余章|王国は、境界を語らなかった
窓辺には、午後の光が差していた。
王国の玉座は、もはや装飾としての意味しか持たない。
女王は、そこに座ってはいなかった。
低い椅子に腰を下ろし、
宰相と向かい合って、茶を飲んでいる。
「……帝国の報告は、以上です」
宰相は、書簡を畳んだ。
言葉は淡々としている。
そこに、驚きはない。
女王は、ゆっくりと頷いた。
「衰退は、もはや隠せない段階なのですね」
「はい。勢いは、戻らないでしょう」
しばし、沈黙。
カップに触れる音だけが、室内に残る。
「責められるでしょうか」
女王が、ふと尋ねる。
宰相は、即答しなかった。
「誰から、でしょう」
「国内からも。
そして……後の時代からも」
宰相は、少し考え、答える。
「責められる可能性は、あります」
女王は、苦笑した。
「そうでしょうね。
なぜ、何もしなかったのか、と」
王国は、戦っていない。
侵攻も、反撃も、していない。
ただ、
樹海に近づかなかった。
「踏み込めば、何かが得られたのでは、とも言われるでしょう」
宰相の声には、感情が乗らない。
「ですが……」
女王が、言葉を継ぐ。
「私たちは、“得られるかどうか”を考えなかった」
それは誇りではない。
自慢でもない。
事実の確認だった。
「伝承は、知っていました」
女王は、遠くを見る。
「信じていた、と言えるほどではありません。
けれど……」
「否定できるほど、軽くもなかった」
宰相が、静かに補う。
女王は、頷いた。
「だから、扱った」
理解しようとしなかった。
確かめようともしなかった。
触れない。
越えない。
それだけを、選び続けた。
「帝国は、理由を探しました」
宰相が言う。
「我々は、理由を語らなかった」
「語れなかった、とも言えますね」
女王は、そう言って微笑む。
「説明できない選択を、
説明し続ける立場にあるのが、王なのですから」
宰相は、一礼する。
「重い役目です」
「ええ。ですが……」
女王は、カップを置く。
「越えなかったことで、
我々は“答え”を残さずに済んだ」
それは、利点でもあり、
呪いでもある。
後の世代は、問うだろう。
なぜ踏み込まなかったのか。
本当に正しかったのか。
その問いに、
明確な答えは渡せない。
「それでも、続けますか」
宰相が、尋ねる。
女王は、迷わない。
「ええ。続けます」
理由は、語らない。
だが、
選択は、変えない。
「分を越えない、という選択を」
それは弱さではない。
勇気とも、呼ばない。
ただ、
王国が王国であり続けるための、姿勢だ。
窓の外で、風が揺れる。
樹海は、遠い。
だが、
確かにそこに在る。
「帝国は、境界を知りませんでした」
宰相が言う。
女王は、静かに応じる。
「私たちは、語らなかっただけです」
知っていたとも言えない。
理解していたとも言えない。
それでも、
越えなかった。
「……それで、十分です」
女王の声は、弱々しい。
だが、揺れてはいない。
宰相は、深く頭を下げた。
この王国は、
何も成し遂げていない。
だが、
何も壊さなかった。
それだけの話だ。




