第七章 第3話|試み
準備は、入念だった。
護符は複数用意され、
魔力の流れを測る器具も揃えられた。
魔術師は儀式を終え、
学者は記録用の紙束を抱え、
将校は撤退条件を確認する。
「異変を感じたら、即座に戻る」
それが、今回の約束だった。
小規模な部隊。
経験のある兵。
無謀な人数ではない。
「では、開始する」
森の縁に立ったとき、
誰もが緊張していたが、恐怖ではなかった。
対策はある。
理解は進んでいる。
そう信じていた。
最初の一歩は、何事もなく踏み出された。
空気は、変わらない。
風も、音も、そこにある。
「記録を」
学者が言い、魔術師が頷く。
数値は、正常だった。
「問題なし」
その言葉に、誰かが小さく息を吐いた。
進む。
もう一歩。
さらに奥へ。
やがて、違和感が生まれた。
「……音が」
兵の一人が、足を止める。
耳鳴りではない。
ただ、周囲が均されていく。
「測定値は?」
「……変動なし」
器具は、正常を示している。
「護符は?」
「反応なし」
理屈は、破綻していない。
だが、感覚だけが先に進まなくなる。
「戻るか?」
将校が問う。
「……もう少し」
学者は、前を見た。
「今なら、まだ——」
言葉は、最後まで続かなかった。
誰かが、いなくなっていた。
悲鳴はない。
音もない。
気づいたときには、
最初からそこにいなかったかのように、欠けている。
「——点呼!」
数は、合わない。
「後退だ!」
将校の声は、即座だった。
撤退条件は、守られた。
だが、戻る足取りは、揃わない。
進んだ距離は、短い。
だが、戻る距離が、測れなくなる。
「出口が……」
誰かが言いかけて、黙る。
光は見えている。
だが、近づかない。
護符が、静かに砕けた。
理由は、分からない。
次の瞬間、
視界が切り替わった。
森の縁に、立っている。
誰も、倒れていない。
誰も、負傷していない。
だが、
数が、減っていた。
「……戻ったのか」
将校は、息を整える。
戻った。
確かに、戻った。
だが、
全員ではない。
記録用の紙束は、白紙のままだった。
数値は、最後まで正常だった。
学者は、何も書けない。
「……失敗だな」
誰かが言った。
否定は、なかった。
今回は、違うはずだった。
備えた。
測った。
条件を決めた。
それでも、同じ終わりだった。
「次は……」
誰も、続きを言わなかった。
森は、変わらない。
変わったのは、
帝国が費やしたものだけだった。




