第六章 第2話|命令の意味
その命令は、最初から妙だった。
国境警備の任務自体は、珍しくない。
だが、樹海に関する指示だけが、明らかに違っていた。
「近づくな」
「踏み込むな」
「追撃はするな」
理由は、添えられていない。
「理由がない命令ほど、守れってことだ」
古参の兵が、そう言って肩をすくめた。
若い兵士は、納得がいかない。
「敵が逃げ込んだら、どうするんですか」
「見送る」
「それでいいんですか」
古参は、少しだけ考えてから答えた。
「よくはない。
だが、そういう命令だ」
それ以上の説明はない。
樹海についての噂は、断片的だった。
「あそこは、昔から軍が入らない」
「地図に描いてあっても、使われない道がある」
「入った部隊が、戻らなかったことがある」
どれも、具体性に欠けている。
証拠も、記録もない。
「迷信だろ」
誰かが言う。
「そうだな」
古参も、否定はしない。
「だが、迷信なら、
命令で縛る必要はない」
その言葉に、若い兵士は黙った。
命令は、理屈で出されている。
それが、この軍の常識だ。
だが、樹海に関する命令だけは違う。
理屈ではなく、
「越えるな」という線だけが引かれている。
兵士は、柵の向こうを見た。
樹海は、何も変わらない。
風が揺らし、影が重なるだけだ。
魔物が見えるわけでもない。
魔法の気配があるわけでもない。
それでも、
近づくなと言われている。
「……理由を知りたいか」
古参が、不意に言った。
「知っているんですか」
「知らない」
即答だった。
「だが、知らないほうがいいと、
上は判断してる」
それは、慰めでも忠告でもない。
ただの事実だった。
兵士は、樹海から目を離す。
理由を知らされない命令。
それを守らされる現場。
戦場では、よくあることだ。
だが今回は、
敵よりも、
「触れてはいけないもの」が近くにあった。
その夜、見張りに立ちながら、
兵士は何度も森の奥を見た。
何も起きない。
だが、何も起きないことが、
不自然に感じられた。
命令は、続いている。
理由は、語られない。
それだけで、
十分すぎるほどだった。




