第六章 第1話|前線の静けさ
国境は、静かだった。
あまりにも静かで、かえって落ち着かなかった。
王国軍の兵士は、柵の内側で空を見上げる。
雲の流れは遅く、風は弱い。
戦場に向かう空ではなかった。
「……来ないな」
誰に向けたわけでもない言葉が、口をついた。
帝国軍が迫っている。
そう聞かされて、この地に配属された。
だが、敵影は見えない。
斥候も、緊急報告もない。
代わりにあるのは、
「警戒を続けろ」
それだけだった。
「終わったんじゃないのか」
隣の兵が、小さく言った。
「終わったなら、撤収命令が出る」
古参の兵が、淡々と返す。
「出てないってことは、終わってない」
それは理屈としては正しい。
だが、実感が追いつかない。
夜営の火は、最小限。
見張りは二重。
緊張は解かれていない。
それでも、何も起きない。
敵が来ない。
攻めてもこない。
退いたという確かな報せもない。
ただ、国境の向こうが、
ひどく静かになった。
「帝国は、どうしてるんだ」
誰かが言う。
答えは出ない。
「補給が切れたんだろう」
「内輪揉めじゃないか」
「疫病かもな」
どれも、もっともらしい。
だが、どれも確証がない。
兵士は、森の方を見た。
国境線の先、
濃く影を落とす森。
樹海だ。
あそこだけは、
最初から命令が違った。
近づくな。
踏み込むな。
追うな。
理由は、説明されない。
「……なんだよ、あそこ」
誰かが呟いた。
兵士は、答えなかった。
ただ、視線を逸らす。
戦場なら、敵がいる。
敵がいれば、撃てる。
だが、あの森には、
撃つ相手がいない。
それが、一番気味が悪かった。
その日も、何も起きなかった。
報告書には、
「異常なし」と書かれる。
だが、兵士の胸の奥には、
消えない違和感だけが残った。
戦争は、終わっていない。
だが、始まってもいない。
その狭間に、
樹海は、黙って在った。




