第四章 Side魔女|樹海の奥にて
樹海は、騒がしかった。
枝が折れ、
踏み荒らされ、
無遠慮な足音が、奥へと流れ込んでくる。
魔女は、少し高い場所からそれを眺めていた。
「……久しいな」
独り言に近い声だった。
まとまった人の群れ。
迷った者ではない。
導かれた様子もない。
連れてこられた者と、
連れてきた者。
その差は、足の運びに滲む。
傍らに、影が一つ現れる。
角を隠し、気配を薄めた魔族だった。
「今回は、少々荒いですね」
魔女は、視線を動かさない。
「いつも通りだ。
荒いかどうかは、人のほうが決める」
群れの中から、怒声が響く。
「ここを抜ければいい!」
「案内しろ、知っているんだろう!」
魔族は、わずかに眉をひそめた。
「欲を隠そうともしません」
「隠す必要がないと思っている」
魔女の声は、淡々としていた。
その列の中に、
一人だけ視線の低い者がいる。
周囲を見ていない。
進む先も見ていない。
ただ、
引かれるままに歩いている。
魔女は、そこで少しだけ黙った。
「……まただな」
「覚えが?」
魔族の問いに、魔女はすぐに答えない。
「同じ役割を、何度か見た」
名も、顔も、時代も違う。
だが、
重さだけは変わらない。
欲を持った者たちは、
樹海を“通路”としか見ていない。
線を、
線としてしか扱えない。
魔女は、一歩、前へ出る。
姿を現すことはない。
ただ、
空気の向きを、ほんのわずかに変えた。
進軍は、止まらない。
魔族が、低く息を吐く。
「止まりませんね」
「止まらないだろう」
魔女は、静かに告げる。
「だから、ここまでだ」
霧が、濃くなる。
音が、ほどける。
欲を向けた者たちは、
先へ進めなくなる。
争いは起きない。
抵抗もない。
ただ、
戻る道が、どこにもなくなる。
魔女は、視線を落とす。
連れてこられた者が、
立ち尽くしている。
何も求めていない。
選んでもいない。
魔族が、小さく言った。
「……戻しますか」
魔女は、少しだけ間を置いた。
「戻る、というより」
霧が大きく揺れ、
世界の向きが反転する。
次の瞬間、
男は樹海の外に倒れ込んでいた。
境界の、外だ。
魔女は、ようやく言葉を続ける。
「境界に、触れさせないだけだ」
魔族は、それ以上何も言わなかった。
魔女は背を向け、
樹海の奥へと歩き出す。
救ったわけではない。
裁いたわけでもない。
境界が、
役割を果たしただけだ。
「……覚えていればいい」
その呟きが、
誰に向けられたものかは、分からない。
だが、覚えていなくても構わない。
それでも、
同じ線は、また引かれる。
樹海は、今日も奥を保つ。
名を持たぬまま。




