第四章 第2話|連れて行かれる理由
出立は、朝だった。
相談の余地はなかった。
前日のうちに、すべては決まっていた。
彼がそれを知ったのは、家の戸を叩かれた時だ。
外に立っていたのは、昨日まで村に滞在していた男たちだった。
「時間だ」
それだけ言われた。
断る言葉は、最初から用意されていなかった。
用意できるような状況ではなかった。
背後で、別の足音が止まる。
振り返ると、村の者が数人、距離を取って立っている。
誰も、目を合わせない。
――決まったのだ。
彼は理解した。
ここで拒めば、問題になるのは自分だけではない。
「……案内だけだな」
確認のように口にすると、男は短くうなずいた。
「そうだ。余計なことはさせない」
その言葉を、彼は信じなかった。
だが、信じないことを理由にはできなかった。
村を出るとき、振り返ることは許されなかった。
誰かが後ろに立ち、自然に距離を詰めてくる。
逃げるつもりがあるかどうかを、測られている。
畑を抜け、丘を越える。
足並みは、常に合わせられた。
歩調を落とせば、前から声がかかる。
早めれば、後ろから距離が詰まる。
命令ではない。
だが、選択肢はない。
「この辺りまでだ」
彼は、いつもの場所で立ち止まった。
村の者が、薪を拾うのもここまでだ。
それより奥は、行かない。
「十分じゃないな」
男は、初めてそう言った。
声は穏やかだった。
だが、歩みは止まらない。
「これ以上は――」
言いかけて、言葉が途切れた。
肩に、手が置かれた。
力は込められていない。
だが、離す意思もなかった。
「案内だろう?」
問いではない。
彼は、何も言えなかった。
言葉を重ねれば、状況が悪くなるだけだ。
樹海は、すぐそこだった。
昼の光を拒むように、境界の内側は暗い。
風の音が、そこで途切れている。
「入るぞ」
宣言と同時に、男たちは踏み込んだ。
彼の足は、遅れた。
だが、背中を押されたわけではない。
――押されなくても、進むしかない。
境界を越えた瞬間、空気が変わった。
音が、削がれる。
距離感が、狂う。
「……変な場所だな」
誰かが笑った。
彼は、笑えなかった。
ここから先は、案内ではない。
逃げ場でもない。
「戻るなら、今だ」
誰かが、軽く言った。
だが、戻る者はいなかった。
戻るという選択が、すでに奪われている。
彼は歩く。
自分の意思ではない。
だが、逆らえる力もなかった。
連れて行かれる理由は、
それだけで十分だった。




