第三章 第7話|境界のこちら側
村に戻ることを、誰が最初に決めたのかは分からない。
ただ、帝国兵の姿が見えないことは、確かだった。
見張りもいない。焚き火の跡も冷えきっている。
人の気配が、ない。
村人たちは、慎重に近づいた。
罠を疑い、伏兵を疑い、それでも一軒、また一軒と家を確かめていく。
壊された戸は、ほとんどなかった。
略奪の跡も、思ったほどではない。
残されていたのは、途中で止まった生活の痕跡だけだ。
「……いないな」
誰かが言い、誰も否定しなかった。
理由を考える者はいなかった。
なぜ帝国兵がいなくなったのか、なぜ戻れたのか。
問いは、意味を持たなかった。
「戻れる」
それだけで、十分だった。
村人たちは、静かに暮らしを再開する。
火を起こし、水を汲み、戸を開ける。
誰も、樹海の方を長く見なかった。
やがて、子どもたちのことが思い出される。
迎えに行こう、という声は出なかった。
それが正しいかどうかを、誰も口にしなかった。
ただ、村の外れで待つ。
境界の、こちら側で。
霧の向こうから、最初に姿を見せたのは一人だった。
次に、もう一人。
小さな影が、ゆっくりと現れる。
「……いた」
誰かが呟く。
子どもたちは、歩いて戻ってきた。
泣いている者もいれば、きょとんとした顔の者もいる。
走り寄る大人たち。
抱きしめる腕。震える声。
言葉は、途切れ途切れだった。
「大丈夫か」
「怪我は」
「怖くなかったか」
問いは重なるが、答えは揃わない。
「……よく、分からない」
そう言った子どもがいた。
「森の中を、歩いて」
「気づいたら、外にいた」
それ以上の説明はなかった。
大人たちは、うなずいた。
それで、十分だった。
誰も、樹海の奥で何があったのかを聞かなかった。
誰も、助けた存在について語らなかった。
知ろうとすれば、境界を越える。
そう、分かっていた。
村は、再び人の営みを取り戻す。
以前と同じようで、少しだけ違う日常。
樹海は、変わらずそこにある。
近づかない。
だが、否定もしない。
境界のこちら側で、人は生きていく。
理由を知らないまま。




