第三章 第6話|戻らぬ理由
気づいたとき、隊列は崩れていた。
下級兵は、足を止めて周囲を見回す。
前にいたはずの兵がいない。後ろの気配も薄い。
「……おい」
声を出すと、霧に吸われた。
返事はない。
「集合だ!」
誰かが叫ぶ。
士官の声だったはずだが、距離が掴めない。
兵たちは、互いの姿を探して動く。
だが、見える範囲は狭く、数歩先で霧に遮られる。
「数を確認しろ!」
叫びが飛ぶ。
下級兵は、近くにいる者と目を合わせる。
二人、三人……。
足りない。
「……一人、いない」
誰かが言った。
「はぐれただけだ」
別の声が即座に返す。
「すぐ戻る」
そう言い切ることで、状況を保とうとしている。
誰も、その言葉を否定しなかった。
進軍は止められなかった。
立ち止まれば、さらに乱れる。
動き続けるしかない。
だが、進めば進むほど、何かが削られていく。
音が、ほとんどしなくなった。
鎧の擦れる音も、足音も、遠くで鳴っているようだ。
時間が、曖昧になる。
どれほど歩いたのか、誰も分からない。
太陽の位置も、霧の向こうで判別できなかった。
「……また、いない」
確認のたびに、数が減る。
叫び声が上がることはなかった。
消えた者が、どうなったのかを想像する余裕がなかった。
ただ、いない。
それだけだ。
士官は命令を出し続けた。
隊列を保て。
進め。
止まるな。
その声も、次第に聞こえなくなった。
下級兵は、気づかぬうちに一人になっていた。
前にも、後ろにも、人影はない。
だが、不思議と恐怖はなかった。
代わりに、妙な静けさがあった。
霧が薄れ、視界が開ける。
下級兵は、足を止めた。
そこは、森の縁だった。
見覚えのある地形。
踏み固められた道。
樹海の外だ。
「……?」
息を整え、振り返る。
樹海は、変わらずそこにあった。
何も起きていないように見える。
仲間の姿は、どこにもない。
叫んでも、応えはなかった。
下級兵は、理由を探そうとした。
だが、説明できることは何も残っていない。
ただ、戻ってきた。
それだけだ。
後に、帝国軍の記録には、こう残される。
――進軍部隊、一部未帰還。
――原因不明。
――樹海内における行動、詳細不明。
それ以上の記述はない。
村は占拠されたが、前線は伸びなかった。
侵攻は、いつの間にか停滞し、やがて勢いを失った。
理由は、語られない。
樹海は、今日も静かだった。
何も語らず、ただそこにある。
不可侵である理由は、
誰にも説明されないまま。




