第三章 第4話|空の村
夜のうちに、人はいなくなっていた。
灯りは落とされ、声は消え、村は静かに眠りについた――ように見えただけだ。
実際には、眠った者などほとんどいない。
帝国が動いているという噂は、すでに届いていた。
そして、王国の守りがないことは、誰の目にも明らかだった。
見張りは立たず、詰所に動きもない。
知らせも、命令も、何ひとつ届かない。
助けは、来ない。
それを悟るのに、長い時間は必要なかった。
男たちは集まり、短い言葉だけを交わした。
声を荒げる者はいない。議論もなかった。
「子どもを、先に」
誰かがそう言い、誰も異を唱えなかった。
樹海という言葉は、口に出されなかった。
だが、全員が同じ場所を思い浮かべていた。
近づいてはならない場所。
だが、拒まれないかもしれない場所。
「信じているわけじゃない」
誰かが、低く言った。
「……だが、他に道がない」
それが、すべてだった。
家々を回り、子どもたちが集められる。
泣く者もいたが、宥める時間はない。
老人が、一歩前に出る。
「覚えておけ」
低く、しかしはっきりとした声だった。
「樹海には、悪意を持って入るな。
欲を持たず、助けを求めよ」
理由は語られなかった。
言葉だけが、夜に残された。
やがて、子どもたちは森へ向かう。
背中を押され、闇の中へ消えていく。
誰も、振り返らなかった。
大人たちは、最後まで村に残った。
逃げる準備は、していない。
捕まることも、追われることも、想定の内だった。
「……生きてくれれば、それでいい」
誰かが、かすれた声で呟いた。
そうして夜は終わった。
村に朝が来たとき、霧は薄く、空は明るかった。
だが、人の気配はほとんど残っていなかった。
戸は閉じられたまま。
道には、急いだ足跡だけが残っている。
ほどなくして、規律の揃った足音が響く。
金属の触れ合う音。
帝国軍だった。
兵たちは、警戒しながら村に入る。
抵抗はない。迎え撃つ者もいない。
「……空か」
誰かが言った。
家々を調べるが、残されているのは生活の痕跡だけだ。
食器、衣類、火の消えた炉。
「逃げたな」
「どこへ?」
短い沈黙。
「……樹海だろう」
その言葉が出た瞬間、空気がわずかに変わった。
村は、通過点だった。
だが、その先には、まだ誰も踏み込んでいない場所がある。
帝国兵たちは、森の方を見る。
樹海は、静かだった。
何も語らず、ただそこにある。
その静けさが、なぜか、落ち着かなかった。




