第3話 本と魔術師と触れてしまった手
お読みいただきありがとうございます。拙いながらも続けて投稿できました。のんびりとした展開ですが、楽しんでいただければ幸いです。
午後の屋敷は静まり返り、図書室には紙の匂いが漂っていた。
エカテリーナは机に頬杖をつき、分厚い本をぱらぱらとめくっては、すぐに閉じてしまう。
「マリア、本なんて退屈よ。外でお茶をした方が楽しいのに」
「お嬢様、知識は宝でございます。……それに、お茶はいつでもできますが、学びの機会は限られています」
マリアは落ち着いた声で言いながら、棚に積まれた資料を抱えていた。年季の入った背表紙は重く、腕にずしりと負担がかかる。かつて魔法戦士として武具を振るった彼女にとっては大したことのない重量だが――今は、ただのメイド長である。
そこへ扉が静かに開かれた。
「失礼いたします」
現れたのは二十代半ばほどの青年だった。深い群青色のローブに身を包み、肩まで伸びた銀髪を後ろに束ねている。理知的な灰色の瞳は冷ややかに見えながら、どこか柔らかさを宿していた。
「宮廷魔術師団より参りました、エリアス・グレイと申します」
「まあ! 魔術師ですって?」
エカテリーナはぱっと顔を輝かせた。「退屈な本よりずっと楽しそう!」
しかしエリアスの視線は、やはり――マリアの方へと流れていった。
「……その御方が、屋敷を取り仕切るマリア殿ですね」
「ええ、ただの使用人にすぎませんが」
マリアは丁寧に一礼した。
だがエリアスは、彼女の腕に抱えられた本の山に目を止めると、静かに歩み寄った。
「その重量は……女性が持つものではありません。お手伝いを」
マリアが言葉を発するより早く、彼の手が本の束を支えた。
一瞬、指先が触れ合う。
ひやりとした感触に、マリアはわずかに目を見開き、すぐに表情を整えた。
「ご配慮ありがとうございます。しかし慣れておりますので」
そう言って距離を取るマリア。
だがエリアスは微かに赤くなりながら、小さく呟いた。
「……そういうことではなく」
エカテリーナは二人のやり取りを見逃さなかった。
「ちょっと! なに? 私の前で何を見つめ合ってるのよ!」
「お嬢様、誤解を招くようなことはございません」
マリアは即座に答えたが、令嬢の頬はふくれたままだ。
やがて本の整理も終わり、エリアスは調査のために古い文献を借り受けることになった。
帰り際、彼はマリアにだけ小声で言葉を残す。
「かつての武勇、少しだけ耳にしました。……どうか、無理はなさらず」
マリアは息を呑んだ。過去を知る者など、ほとんどいないはずなのに。
それでも笑みを崩さず、完璧な礼を尽くして答える。
「お気遣い感謝いたします」
扉が閉じると同時に、マリアは深く息を吐いた。
エカテリーナは椅子に座ったまま、じとりとした視線を向けている。
「またよ! またマリアに夢中になってた!」
「……偶然でしょう」
「偶然なものですか! もう!」
マリアは苦笑しつつ、頭痛を覚えるようにこめかみを押さえた。
今日もまた一人、彼女に余計な視線を残して去っていったのである。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。次回も少しだけ騒がしく、そして穏やかな日常をお届けできればと思います。




