第2話 お菓子と商会長と頭痛の予感
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昼下がりの陽光が差し込む食堂で、エカテリーナは両肘をテーブルに突き出し、甘い香りを漂わせる皿を前にしていた。
皿の上には、焼きたてのタルトが美しく並んでいる。
「ふふん、今日はいい日だわ! だって、このタルトは新作なんですって!」
彼女の声はいつもより弾んでいた。
厨房の職人が腕によりをかけて焼き上げたタルト。それも、町で評判の菓子商会から特別に取り寄せた品だという。
マリアはエカテリーナの背後で穏やかな笑みを浮かべながらも、ちらりと横目で他のメイドたちを見やった。
「お嬢様、お行儀よく召し上がってくださいね」
「わかってるわ! ……でも、美味しいんだもの!」
エカテリーナはフォークを手に取り、豪快にタルトへ突き立てる。その仕草に、メイドたちは思わず目を合わせ、口元を押さえて笑った。
マリアもまた、柔らかな笑いをこらえきれなかった。
――そんな和やかな空気を破ったのは、執事が告げた来客の報せだった。
「ヴァイス菓子商会長、ルシアン・ヴァイス様がお見えです」
「まあ! あの菓子を作っている商会の会長?」
エカテリーナは目を輝かせた。だが、次の瞬間には「退屈だったらどうしよう」と小声でつぶやく。
迎え入れられたのは、二十代後半ほどの青年。
豊かな黒髪を後ろで束ね、すらりとした体躯に上質な外套をまとっている。大きな瞳は商人らしく油断なく輝き、しかし笑みは柔らかい。
「公爵家のお嬢様、そして……」
ルシアンの言葉は一拍の間を置いて続いた。
「屋敷を取り仕切るメイド長殿。お噂はかねがね」
マリアは軽く会釈した。だが心の中では、すでに嫌な予感がしていた。
(まさか……また、ですか?)
案の定、ルシアンの視線はほとんどエカテリーナには向かず、落ち着いた気配を纏うマリアを捉えたまま離れない。
エカテリーナがタルトを頬張りながら無邪気に質問を浴びせても、ルシアンは笑顔で返しつつ、ちらちらとマリアに視線を戻してくる。
「このタルト、本当に美味しいわ! ルシアン殿、あなたが作ったの?」
「はい、レシピの発案は私です。ただ……お嬢様にそう言っていただけるのは光栄ですが」
そう言いながらルシアンの目は、マリアに向けられた。
「本当に味わってほしい方は、別にいるのです」
マリアは内心で頭を抱えた。
(お嬢様の前で、そういうことを……!)
幸い、エカテリーナはタルトに夢中で気づかない。だが、メイド仲間の数人はすでに肩を震わせ、笑いを堪えていた。
「……商会長殿、こちらはただの使用人です。お気になさらずに」
努めて穏やかに答えるマリア。
ルシアンはわずかに首を振り、意味ありげな笑みを浮かべた。
その後もしばらく会談は続いた。商会と公爵家の新たな取引について、執事や家令が真剣に話を進めていく。
だがルシアンはことあるごとにマリアへ視線を送り、最後には小声でこう囁いてきた。
「――いつか、ぜひお茶を。お嬢様抜きで」
マリアは微笑を崩さず、完璧な礼儀で返答した。
「ご冗談を」
帰っていくルシアンの背中を見送りながら、マリアは大きく息を吐いた。
その隣では、エカテリーナがタルトの皿をすっかり平らげ、満足げに微笑んでいる。
「やっぱり人生には甘いものが必要よね!」
「……ええ。頭痛の種と一緒に、ですが」
マリアの小さなぼやきは、誰にも聞こえなかった。
こうしてまた一人、新たな青年が屋敷を去り、マリアの心の負担だけがそっと積み重なっていくのだった。
次回もまた穏やかな日常をのぞいていただければ嬉しいです。




