第2章
「我が聖人の君はご機嫌麗しくいらっしゃるかな?」
マキューシオ・エスカラスは、親友のティボルト・ハリスと偶然街角で出会うなり、そんなふうにからかい調子に声をかけた。バロン城砦を落とすべく、ふたりは第一王子の親友とともに出征し、マキューシオの言によれば、「獅子が犬の首を噛み裂くのを気の毒がり、尻尾を巻いて帰ってきた」わけであった。
「ああ、我が君はお元気さ」と、ティボルトも笑って応じた。彼はマキューシオの機嫌がようやく直ったらしいと感じ、ほっとした。戦場から帰国して二か月にもなるというのに、彼は随分長く臍を曲げたままだったからだ。「今この道を城の方角へ向かっているということは、貴公もカルロに会いにいこうというのだろう?良かったよ。あいつ、どうやら傷病兵のいる病院へ行くつもりらしくてな……マキューシオ、その前におまえと仲直り出来れば、きっと喜ぶだろう」
「傷病兵のいる病院だって!?」
マキューシオは機嫌良く口笛を吹きながら道をやって来たのだが、再び眉間に深い皺を寄せ、機嫌の悪い顔になった。彼は通りの商店でリンゴをひとつ買うと、ポケットの中のコインを店主に指で弾いて渡した。一アドランス金貨。本来ならそれで、リンゴを軽く百個は買えたことだろう。
「なんだってあいつがそんなところにわざわざ行かなきゃならないってんだ、ええっ!?あんなところへ行ったらな、健康な奴だって時と場合によっちゃおかしな病気にかかってコンコン咳き込みはじめて何故だかお熱が……なんてことがあるもんなんだよっ!!まったく、ティボルト、おまえにここで会えて良かったぜ。これからあいつに会ったら、ひとつふたつ説教してやらにゃあならんな。カルロの奴はこの国にとって自分がどんなに大切な存在か、まるきりわかっちゃいないんだから」
「たぶんあいつはこの間の戦争のことで、いまだにしくしく心が痛むのさ。そこで、傷病兵を見舞って家族にいくらかなりと金でも渡せれば……自分の良心の痛みを多少なり取り除けるとでも考えてるんじゃないか?」
「まったく、困った奴だ。王子たるもの、もっと堂々としてなくて一体どうする」
――マキューシオは先の戦争において、自ら先陣を切り、バロン城砦の急峻な崖部分に部隊を取り憑かせるべく、その指揮に当たっていたものだ。彼はその後も右陣側の大将として臨機応変に戦い続け、奇襲作戦のほとんどの実行部隊はマキューシオ側の陣営が行ったものだった。ゆえに、彼はリッカルロが全軍を退かせる決断をした時、最後まて反対したのだ。そして、帰国後も臍を曲げて公爵の城へ一度たりと出仕しなかったわけであるが、酒と女性で憂さを晴らすのにもそろそろ飽き、こうして久方ぶりに親友の顔を仰ぎにいこうと考えたのだった。
この時、ティボルトは参謀として中央陣営を任され、バロン城を攻略する任を受け持ち、左陣側にて白兵戦の主な指揮を取っていたのはリッカルロである。とはいえ、野戦のない間はリッカルロもまたバロン城を攻略し、それはマキューシオの右陣営にしても同様だった。また、この時の戦争時と戦争後に持った感慨は、三人ともがそれぞれに少々異なるものだったと言える。「ボウルズのジジイも年取ったもんだぜ。ありゃ、もうし少し気合入れて何度か攻めりゃあ、バロン城はオレたちのものになるんじゃねえか?」とマキューシオは息巻き、ティボルトも親友と同意見だったとはいえ、彼はもっと慎重だった。今回の戦争で得た教訓を生かし、もっと奇抜な戦法によって攻め込めば……次回はもっと犠牲が少なくて済むだろうと考えていた。そして、彼らふたりとは違い、リッカルロは勇敢さが足りないからではなく、単に民の犠牲と負担を減らすため、なるべくならば戦争など二度とすべきでないと考えていたのである。
ふたりは城下町の目抜き通りを、王都にあるリア城よりも美しいと彼らが考えるレガイラ城へ向け、坂道を進んでいった。マキューシオのエスカラス公爵家とオールバニー公爵家は、歴史的に王の寵愛や力ある政治的役職を競ってきたという経緯があり、リア王朝におけるこの二大公爵家はいつでも仲が良かったというわけではない(そしてティボルトの属するハリス伯爵家は、その時々に応じてオールバニー家に着くこともあれば、エスカラス家側に着くこともあるといったお家柄である)。その上、マキューシオの父はマクヴェス侯爵と親しい友人でもあったことから――彼は息子に対して私学校にてリッカルロ・リア=リヴェリオンとはなるべく距離を置くよう命じていたものである。「一応『王子さま』だからな。ゆえに、邪険には出来なかろうが、相手をそれに相応しく敬いつつも、適切な距離を保つよう心がけよ」と。
リッカルロとマキューシオとティボルトが、同じ貴族学院にて同級生となったのは、ただの偶然である。リッカルロは普段、女性がいる前では口許を布で巻くなどして隠しているが、その王都の外れにある私学校は男子校であったため、口蓋が割れ、さらには父であるリア王から「なんと醜いのだ!」と叫ばれ、ナイフで裂かれた口の端の傷もそのままに……人目に晒していたものである。その醜い容貌と<第一王子>という輝かしい地位によって、他の生徒らはリッカルロとどうつきあったら良いのか戸惑っていたが、マキューシオはその点まったく遠慮がなかったものである。
「おまえ、なかなか勇気があるな。オレだったらこんなクソみたいな学校、その顔だったら絶対来ないぞ」
マキューシオがそう言った途端、教室の空気が凍りついたのは言うまでもないことである。だが、リッカルロは歴史の本から顔を上げると、急に笑いだしたのだった。
「貴様こそ、勇気があるじゃないか。むしろ、俺のこの顔を見てもおべっかを使って『ハンサムな男ってなんか嫌ですよね』なんて言う感じだったら……たぶん今ごろ俺はおまえをぶん殴って叩きのめしていただろうよ」
――それで決まりだった。リッカルロとマキューシオは妙に気が合い、その後もフェンシングやポロやクリケットの授業などでは常に好敵手であり続けたし、休暇ともなれば、互いの家が所有する豪華な荘園へ出かけていき、狩猟をしたり湖で泳いだり、川下りをしたり、フィッシングを楽しんだりと……彼らが無二の親友となるのに時間はほとんどかからなかった。
ここへティボルトが加わることになったのは、主に学業的に彼が優れていたことが大きかっただろうか。彼はマキューシオのように父からそう命じられたからではなく、貴族か豪商、あるいは国の高級官吏の息子などが通うこの私学校において、誰のことも贔屓目で見ることなく、かといって妙に卑屈になるでもない立場を取ることが肝要だと考えていた。ティボルトは優等生として学業において優れた成績を修めているのみならず、基本的に誰に対しても友好的な態度であったことから――クラス内で彼のことを好く生徒は実に数多かったといえる。
だが、マキューシオは「オレ、ああいう八方美人みたいな奴、でえっきれえだ」と言って、ペッと唾を吐いていたものである。だが、リッカルロは違った。クラス内には自然と貴族の子息を頂点として権力のピラミッド構造のようなものが形作られていたが、ティボルトがそうしたことを嫌っているらしいということが見てとれたからである。ゆえに(コイツ、一見いけ好かない優等生のように見えて、なかなか出来る奴だ)と思い、一目置いていたわけだった。
ある時、ふとしたきっかけからリッカルロが夏の休暇にティボルトのことも別荘に招いたと知ると、マキューシオは激怒した。「他のクラスの奴らは順に招いてるのに、ハリスの奴だけ招待しないだなんて、むしろおかしいじゃないか」とリッカルロは言ったが、マキューシオは湖のほとりの荘園にいる間、随分長く不機嫌であることを隠そうともしなかったものである。というのも、ティボルトはサロンで毎日色々な楽器を弾きこなしてみせ、みなの尊敬を勝ち取っていたからだし、夜のカードゲームでマキューシオは偶然彼に大負けしてしまったのがその原因だったと思われる。
ところが、ある日の晩餐の席にて、ティボルトが主に中心となり神学や哲学、文学について議論を戦わせていると――マキューシオが突然癇癪を起こし、「オレ、もう帰る!!」と叫び、屋敷から飛び出していこうとしたことがある。「エスカラス、君はここに必要な人だ。むしろ、帰るというなら僕のほうがそうするよ」と玄関ホールあたりでふたりは揉みあうことになったわけである。
「なんでオレじゃなくておまえが帰るってんだ!!」、「そのくらいわかるさ。君は僕のことが嫌いなんだ。そのことは入学当初からひしひしと感じていたよ」、「そうだな。確かにキライかもな。けどまあ、オレのせいでおまえが帰ったとあっちゃ、それはそれで面白くねえんだよ!!」、「だったらどうしろと言うんだ!!」……マキューシオとティボルトが先を競うように玄関を出ていこうとするのを、最終的にはリッカルロが止めた。
「じゃあ、こうしよう。明日、川の上の大木の橋で決闘しろ。それで負けたほうが帰る――というのはどうだ?」
「いいだろう」と、ふたりがともに頷いたため、この翌日、彼ら二十名ほどの生徒らはピクニックがてら、近くの川まで決闘見物に出かけた。三日ほど前に嵐で一晩大雨が降ったせいもあり、水量はまだ引いてなかったが、大木のほうは押し流されることもなく、五メートルほどの川幅に堂々とかかったままだった。この近辺に住む者は、他の大きな橋まで遠回りするのが面倒な時、この自然に倒れた大樹の橋をよく渡っていったものである。
フェンシング用の剣先には相手を突き刺さないよう留め金がついていた。ゆえに、ティボルトもマキューシオも甲冑のほうは着けなかった。だが、マキューシオは試合の前にこう言っていたものである。「ハリス、ハンデをやってもいいぜ。おまえのほうの剣先の留め金を外したってこっちゃあ全然構わんからな」、「抜かせ、エスカラス!貴様こそ同じようにしたっていいんだぞ。どのみち、川で溺れてネズミのように無様に流されるのは貴様のほうだからな」――川の土手で掴みあいの喧嘩をすでにはじめそうなふたりを、この時もリッカルロが審判として止めていたものである。
「いいから、それぞれ位置につけ。とにかく、最終的に川のほうに落ちたほうが負けだ。それでいいな?」
白熱した戦いが長く続いた。というのも、ティボルトはフェンシングの授業の時、実際にはそう本気で相手のことをやりこめるということがなかった。常に自分が勝ちすぎるでもなく、対戦相手にもそれなりに華を持たせてやる……それが、クラス内で人間関係を上手くやっていくコツだろうと心得ていたわけである。
だが、この時は流石にティボルトもマキューシオに対し本気を出した。負けて川へ落ち、自分のほうが濡れネズミになるというのではあまりに惨めだったし、たまにはエスカラスの生意気な突き出た鼻をへし折っておくのも悪くないだろうと考えたのである。
(コイツ……っ!!なかなかやるな。普段の授業の時にはむしろ、適度に手を抜いていたということか)
ふたりの剣術の腕前はほぼ互角であるように見えた。ある時はティボルトが鋭い突きを繰りだし、マキューシオは危うく川へ落ちそうになり、また別の時にはティボルトのほうが力で押され、しまいには足許の小さなコブに足を取られ、危うく川へ落ちそうになった。彼らはこんなふうに何度となくバランスを崩しそうになっては、腹筋で堪えて体勢を立て直すこともあれば、大木の上に足をついたものの、もう一度立ち上がったりと――そのたびに、川岸でこの決闘を見ていた生徒らは、「そこだーっ!やっちまえ!!」と叫んだり、「危ない!後ろの横から生える木の枝に気をつけろ!!」だのと腕を振り回したりと、熱中してふたりのクラスメイトを応援した。
結局、この決闘のほうはどちらが勝ったとも言えぬ状態のうちに終わった。何故かといえば、この頃まだ生きていたオールバニー公爵が、狩猟の途中でこの光景に行き会い、ティボルトとマキューシオの戦うちょうど間の木の幹にドスッ!!と一弓矢を射てきたからだ。その瞬間、ふたりは足許の衝撃に驚くあまり、「あわわわっ!!」と完全にバランスを崩してしまった。ゆえに、ふたりはほとんど同時にドプンッ!!と川の中へ落ち、びしょ濡れになってしまったのである。
「あ~あ。オレの勝負服の立派なおべべがすっかり汚れちまったぜ。この服を汚さないためにこそ、ここまで頑張ったようなもんだったのによお」
「オールバニー公爵もひどいもんだよ。男と男の真剣勝負だってのに……あの人、鹿のかわりになんとかだって言って、大笑いしてなかったか?」
「そうだ、そうだ。大鹿や熊のかわりに一弓で血気盛んな少年ふたりが一度に釣れただかなんだか……」
「チッ。僕たちは狩猟でなかなか獲物が見つからないその代わりじゃないっての!」
このあと、ふたりは大笑いすると、「おまえ、普段フェンシングの授業で手抜きしてやがるな」、「君みたいにいちいち血管切れそうなほど気合が入ってないってだけさ」、「なんだと、この野郎っ!!」、「あっ、こんなところにオオサンショウウオがいる」、「マジかよ!?」……といったような具合で、ざぶざぶ川を渡っていくと、決闘なぞどこへやら、他の級友らがやって来る頃には岸辺でくだらぬ話をしては笑いあっていたものである。
今でも時々何かの拍子に、「なんでオレ、おまえみたいな優等生ヅラの腹黒野郎と親友なんだっけか?」と、(どうしても思い出せない)といったように、しきりと首をひねりつつマキューシオは聞くことがある。無論、記憶力のいいティボルトは覚えていたが、「さあね。なんで僕はおまえみたいな貴族とは名ばかりのチンピラ野郎と親友なんだろうね」と返すのみである。
なんにしても、これがリッカルロとマキューシオとティボルトが、十代の前半に親友となった理由とその原因といったところだった。その後も三人はリア王朝の未来設計について、夜更けまで議論を戦わせ、若い青年の純粋な情熱をぶつけあってきたが、今回の戦争というあまりにも現実的な出来事は……やもすれば、この三人の親友同士にさえ、意見の衝突という名の亀裂をもたらしかねぬ出来事だったと言える。
オールバニー公爵領にて主都と呼ばれるオルダスには、王都へと至る大河、美しく青きヴァノワ川が流れている。そして、そのほとりに半ば要塞化された公爵の居城であるレガイラ城が築かれていた。一応建前上は、<西王朝>の軍勢が攻めてきた場合、文字通り<最後の砦>として機能するため――という大義を掲げつつ、歴史の長きに渡って少しずつ城のほうを改修・増築し続けてきた結果、もし仮に王や他の諸侯が何かの言いがかりをつけて攻め込んできたとしても、返り討ちに出来るほどの威容を現在では保持していたと言えよう。
この時、マキューシオとティボルトは、川にかかる橋と同化した長いバービカン(城門塔を防備するため、その前面に配置された防御施設)を渡り、いつものようにリッカルロのいる主館のほうへ向かおうとした。彼は大抵そこの、公爵の執務室か図書室、あるいはこれらの場所から見下ろせる中庭にいることが多い。
一言で<城>と言っても、もし戦争ということにでもなれば、主都に住む市民らや兵士らが篭城して数か月は過ごせるように城砦のほうは設計してあるため、かなり広い。また、慣れた者でなければ、「吟遊詩人たちの集うサロンへ行け」とか、「工廠塔にいる鉛管工にこれこれの言付けをせよ」などと命じられても、地図を渡されてなお案内が必要なほど造りのほうが複雑でもある。また、城の主人である公爵の居館へは、辿り着くのは一本道ではないし、さらにいくつもの騎士や守備兵らの集うホールなどを通り抜けるなどしてやって来なければならず――突然気まぐれな暗殺者がやって来て、なんらかの手段により城門を通れたとしても、そのまま一切迷うことなく主館へ到着するなどということ自体、ほとんど不可能である。
この日もティボルトとマキューシオは、城内にて何人もの顔見知りとすれ違い、軽く挨拶したり、暫く世間話をするのに時間を取られたりしたのち、ようやくのことでリッカルロが執事と明日の晩餐のメニューを相談している執務室のほうへ到着していた。
「ふあ~あ、やれやれ。ここまでやって来るだけでもまったく疲れるな。毎度のことながら」
使者に言伝てを頼むでもなく、いきなり直に訪ねてくる者など、マキューシオ・エスカラスとティボルト・ハリスくらいなものだったろう。だが、彼らふたりがほとんどノックと同時に部屋のほうへ飛び込んで来ても、リッカルロは親友ふたりのことを喜んで迎えていたものだった。
「それは仕方ないだろう」執事との話を中断して、リッカルロは愉快そうに笑った。「おまえがここ二か月ほど臍を曲げてこのレガイラ城へやって来なかったから、家臣たちがオレのためも思ってマキューシオ、おまえのご機嫌を一生懸命とろうとしたんだろうさ」
執事は「明日のディナーがこの11品目のメニューでお間違いなければ、わたくしはこれで」と、頭を下げ、公爵の執務室のほうをすぐに出ていった。おそらく気を利かせたに違いない。
「くそっ!」と叫び、マキューシオはソファに倒れ込むようにして横になっている。「リッカルロ、俺はな、戦場での自分の労苦が報われなかったと思ってぶんむくれてたってわけじゃない。そのことはもういいのさ。だが、おまえの親父はこの件に関してどう言ってるんだ?」
ティボルトは、先月分の議事録がリッカルロの座す執務机にあるのを見て、それを手に取って眺めていた。そこには主に結審した裁判の経過などがまとめて綴じられている。
「さてな。一応、結果報告のために王都へ赴いたが、特段怒鳴りつけられたり、癇癪を起こしたりはされなかったっけな。何より、さっさとおっ死んで欲しい俺がピンピンして元気に帰ってきたもんで、それだけで物凄くがっかりしたんだろ」
「どうかな」と、一緒にリア城へ出仕したティボルトは、議事録に目を通したまま言った。「僕はね、リア王はむしろ、第一王子の有用な使い道に気づきはじめてるんじゃなかなという気がしたよ。もし今カルロ、どのような形であれおまえが死んだとしてみろ。おまえの弟のエドガーとエドマンドはまだ十四歳だからな。今回の戦争の報復にと、<西王朝>の軍勢が攻め込んできた場合……誰が対抗するよりも、エスカラス公爵家とオーバニー公爵家の軍勢が盾となって守ってくれるというのが一番心強い方策というやつじゃないか?」
「とはいえ、リア王は疑り深い」と、足を投げ出して横になっていたソファから起き上がり、マキューシオが言う。「<東王朝>における二大勢力であるふたつの公爵家が、王家に反逆を企ててもおかしくないんじゃないかってくらい、仲がいいわけだからな。リア王の考えがオレには読めるようだぞ。自分が死ぬ前にどうにかこの叛逆の芽を摘んでおかなければ、ふたりの可愛い双子王子を残し、おちおち死ぬことも出来やしない……そんなところじゃないのか?」
「まあ、普通に考えればそうかもしれない」ティボルトはマキューシオの隣に座ると、議事録を熱心に読みつつ言った。「だが、エドガー王子もエドマンド王子も、年の離れたリッカルロ兄貴のことが大好きなんだよ。戦争に行ってる間、この大好きな兄貴に何かあったら大変だと思って、戦争の神ヴァルキリーの神殿に詣でて祈っていたなんて言うんだぞ?しかも、僕の母の伯母の姉の従姉妹ってくらい遠い親戚が、偶然会った時に『あなたのために祈ってますよ、ティボルト』なんていうんじゃなく、ほんと、目つきのほうが純真で真摯な感じなんだ。まだ穢れを知らない真っ白な小ウサギか小鹿かっていったような具合でね。あれには僕も胸を射抜かれるように打たれるものがあったよ」
「ティボルト、おまえこそリッカルロの弟の叔父の兄の従兄弟ってわけでもあるまいに、何故胸を痛めねばならないというんだ?」マキューシオが笑って混ぜっ返す。「ま、あの双子王子たちは今十四歳か。なんとも微妙なところだな。ほら、あと三年もしてみろ。周囲にどんな人間がいるかで、そのくらいの年になれば大好きだった兄貴のことも大嫌いになり、憎々しげな眼差しで恨みをこめて一緒にいるオレやおまえのことも見るようになるかもしれないんだぞ」
「俺は、王位なんていうものに拘りはない」
(また始まった)というように、マキューシオはビロードのソファの背に首をのけぞらせ、腕と一緒にもたせかけた。(呆れてものも言えやしない)とでもいうように。
「だーら、オレが今までに何度も、ご親切にもお説教してやってきただろーが」と、彼は言った。「リア王も双子王子のおっかさんであるメアリ=マライア・マクヴェスも、エドガーかエドマンドのことを王位に就けたいんだぞ。で、第一王位継承権のあるおまえが、『おれっち、王位なんてもんに興味ないんでー』なんつって、それを放棄したとするわな。だが、それでもおまえはやはり、王領に次ぐ広大な領土を持つ、ここオールバニーの公爵ではあるわけだ。となるとどうなる?王位継承権を放棄したにせよ、一体いつまたおまえが気を変えて王領に攻め込んでくるかと、双子王子たちはその生涯に渡ってビビリっぱなしということになるわな。で、それが双子王子のどっちかの本意であるかどうかは別として、後ろ盾になっているマクヴェス侯爵とその一派の意向がどうかということが、この場合は一番重要なことなんだ。まったく、『公爵であればいざ知らず、侯爵とは笑わせる』とはよく言ったものさ」
「リッカルロ、もちろんおまえの気持ちはわかるよ」と、ティボルトは珍しく、この場合は即座にマキューシオの味方をした。「あの可愛らしい双子王子がおまえのことを心から愛しているように、おまえのほうでもあの腹違いの弟たちが可愛いってことも……だが、マキューシオが今言ったように、おまえが王位をあの弟のどちらかに譲ったところで、根本的な解決にはならない。それならそれで、その場合であっても、おまえがもっと苦しい立場に立たされるってことだってありうる。これはあくまでたとえばってことだけど、あの今はとっても可愛い双子王子が、リッカルロお兄ちゃまが王位を譲ってくれたってことで、今度はこのふたりの間で大喧嘩になる可能性だってあるだろ?リア王亡きあと、エドガー王子派とエドマンド王子派に王宮は真っ二つに割れ、カルロ、おまえがこのふたりのどっちに着くかでどちらが王になるかが決まる……なんていう可能性だって当然なくはない」
「そうだぞ、そうだぞ!!」マキューシオが突然元気を回復したように、両腕を振り上げて言う。「あの双子王子だって、今はまだ仲がいいかもしれん。が、今からもう何年かすれば、弟のエドマンドが『たかがほんの1分30秒程度早く生まれたからって、それがなんだってんでえ!!』と兄貴のエドガーに対して思うようになり、おまえんとこやってきて、『カルロ兄ちゃん、エドガーなんかじゃなく末の弟の僕の味方してよお。うえーん』なんて言ってきたとしたらば、実際のとこどーすんの、おまえ?」
「ありえないよ、そんなこと」と、リッカルロが笑って否定する。「エドマンドは兄さんのエドガー以上に気が弱くて内気だからな。そして残念ながらそれは俺も同じ傾向にある……だから俺たち三兄弟は気が合うのさ。親父の奴はアレじゃないかな。俺たち三人のうちのひとりくらい、のちに歴史にエドガー豪胆王とか、何かそんなふうに名を残すくらい剛毅で野心家だったとすれば――その王子を自分の跡取りにしたいくらいだったろう。もしかしたら今回の戦争は、俺にどの程度の底力と胆力があるか、次の王として相応しい器があるかどうかと試したかったのかもしれんな」
この時点でマキューシオもティボルトも(やれやれ)というように、ほとんど同時に首を振っていた。そうなのである。彼らの愛する親友の第一王子には、何よりも一番野心というものが欠けているのだ。オールバニー公爵領のほうも、父代わりに育ててくれたという恩義の気持ちから、出来る限り臣民の意に沿うような形で政治を行なおうとしているのであり、実際のところそうでなければリッカルロは田舎にでもすっこんで、鵞鳥や家鴨にでもエサをやり、日々植物でも育てるといったような、牧歌的な生活を送りたいと本気で願っているような男なのである。
「やれやれ。我が友リッカルロよ」マキューシオは疲れたような溜息を着いた。「もし仮におまえが王位も公爵の地位もうっちゃって、ど田舎どころでない、どど田舎かどどど田舎にでもすっこんだとするわな。王位継承権や公爵の地位を放棄する代わりに、それなりに一生食うに困らない程度の財産や土地をもらったとして――かといってそれで、臣民が幸福になれるとは限らんのだぞ。何より、彼らの素朴な生活のすべては、上に立つ人間がどのような政治判断を下すかで決まってくる。たとえば、おまえの親父のリア王な。若い頃はほとんどスポーツ感覚で戦争を<西王朝>に仕掛け、下っ端の兵がいくら死のうと、チェスで歩兵を失ったほどにも良心なんぞ痛んでない様子だったと聞くぞ。オレの親父から聞いた話によればな……そして、そのオレの親父自身、戦争で流れ矢に当たって死にかかったことまであるほどだが、そんなことでいちいち王のことを恨んでなぞいない。今回の戦争のことだってそうだ。おまえは何もわざわざこのレガイラ城砦の城塔あたりから大きな声で叫び、『気が進まないけど、戦争へ行くしかないんだーっ!!みんな、そこのとこわかってくれーい!!』なんて、男らしくもなく馬鹿みたいな演説をぶちもしなかったわけだが、それでもみんなちゃんとわかってるのさ。このお優しい醜男の第一王子は、あくまでも王さまの御命令で仕方なーく戦争へ行ったに過ぎない、だからその犠牲についても文句なんて言ったりは出来ない……という、そこのところについてはな」
(本当にそうだろうか)
リッカルロはそう思い、親友ふたりが座るソファの斜め向かいの袖椅子に腰かけた。その場所に座ると、自然壁に飾られた先代のオスカー・オルダス・オールバニー公爵の肖像画と目があう。
「まあ、そう落ち込むなよ」と、ティボルトもまた、親友の第一王子のことを励ました。「レイラお嬢さんも、おまえが戦争に行ってる間中、ずっと尼僧のように祈ってくれていたのだろう?何より、<西王朝>が攻めてくるか、向こうがよほど不穏な気配でも見せぬ限り戦争はしない……というふうにおまえが考えるのであれば、その理想の実現のためにはリッカルロ、おまえが王になるのが一番いいんだ。そしてそのためならば、僕はどんなことをしてでも必ずおまえのことを助けるよ。それで、そのことはこの僕の隣にいる公爵さまの息子だとて、同じことなんだから」
「まあな」と、何故か不承不承といったように、エサール・エル=エスカラス公爵の息子は頷く。「それにしてもティボルトよ、おまえもなかなか言うな。元は娼館に住んでいた女が尼僧のようだとは……ついでにオレは、特段べつに戦争を悪だとまでは思わんし、もしかしたら今の<西王朝>にとっては、そのような荒療治が必要かもしれんと思わんでもないと感じるところすらある。ほら、このままいったらクローディアス拷問王とでも<西王朝>の歴史に名を残しそうな例の王さまな。そんなやつに国を治められているよりは、オレたち<東王朝>に征服されたほうが、あいつらにとってもその後はなんぼか住みよい未来……なんてえことになるかわからんのだからな」
「そんなのは、俺たちの傲慢な押しつけに過ぎないんじゃないか?」
リッカルロはあくまで、この時も内省的に目を伏せていた。彼が心から愛する女性、レイラ=ハクスレイの名が出たのでは、尚更に胸の奥が痛んだ。
「だって、そうだろう?俺の親父のリア王はまだ若かった頃、好んで隣の<東王朝>へゲーム感覚で戦争を仕掛けていたと聞く。そんな王の息子が今度は攻めてきたとなったら……罪のない臣民に何かと罪をこさえて、自分の残虐趣味の生贄とするという噂のクローディアス王が、今度はまるで聖人さまのように見えてくるものなんじゃないか?とにかく、同国人の隣人を相憐れむ感情というのは、そういった種類のものだろう。隣国の異国人に過ぎない我々よりも、どんな酷い人間であれ、そうなった途端、同国人の欠点ですらも麗しい美点のようにすら感じられるようになってくる……そうだな。このたとえがわかりにくかったとすれば、つまりはこういうことだ。<西王朝>よりも、我々<東王朝>のほうが土地として緑も多く豊かなわけだが、自分の生まれ故郷というのは、そこが不毛な砂漠地帯であれ、いざ何者かに奪われるという段には泣きたいほど愛しくなるものだという、簡単に言えばそうしたことさ」
「確かにな」と、ティボルトが頷く。「この穏健温和な僕にしても、<西王朝>の立派で徳が高いと評判の人物より、そんな時にはこの城砦の路地裏にでも住むしかない、ボロの乞食のほうにこそ、突然にして愛情が激しく湧き上がってくるだろうね。単に同国人だという、たったそれだけの理由でさ」
「おまえら、オレのこと、どんだけ馬鹿だと思ってんだ?そんなつまらんことをたとえで説明されなくても、オレにだってちゃんとわかるっての!!あとティボルト、てめえでてめえのことを穏健温和なんてわざわざ言いやがる奴に、ろくな奴はいねえ。そのことだけ、一応言わせといてもらうぞ」
三人の間に、このあと暫しの間沈黙が落ちた。彼らはもう十代の頃からの気心の知れた仲間なため――これだけでもう十分だった。やがて、誰からともなく笑い声が洩れはじめ、最後にはほとんど三人で唱和するような大笑いとなる。
「やれやれ。これでオレたち三人は、もうすっかり元通りだな」と、マキューシオ。
「ああ、まったくだ」と、リッカルロ。彼は今回の戦争のことで、マキューシオとの友情に亀裂が入るかもしれないと、少しだけ疑わなくもなかったのだ。
「穏健温和だなんて自分で言う奴に、ろくな奴はいないだって?」と、怒った振りをしてティボルト。「マキューシオ、おまえの目は節穴か?おまえの下手くそな絵で、この僕の肖像画でもちょいと描いてみろよ。おまえにもしちょっとでも人を見る目があればだな、その肖像画の下あたりにこう書きたくなるだろうよ……<我が友、ティボルト・ハリス>っていうんじゃなく、<穏健にして温和を絵に描いたような我が友、ティボルト・ハリス>ってね」
「減らず口を叩くな、減らず口を!!」と、マキューシオはやり返してやる。「いや、これは減らず口を叩くのはオレ様の専売特許だから、それを親友のおまえが奪うなという意味さ、ティボルト。なんにしても、これでオレたちはすっかり元の関係に戻ったというわけだ。持つべきものは友……いや、持つべきものは金と地位のない友ではなく、出来れば金を持っていて地位のある友というやつだな、まったく。それとも、金はないが地位のある友と、地位はないが金のある友、おまえらならどちらを選ぶ?」
「僕なら、地位はないが、金のある友かな」と、ティボルトが即断して言う。「だって、地位があって金のない友ってのには、何かと無心されそうだからね。しかも気位だって高いだろうし、貸した金の金額についてもすぐに忘れ、踏み倒されそうじゃないか」
「まあ、そいつの性格によりけりなんじゃないか?」と、リッカルロ。「地位がなくて金のある奴は、地位があって金のない奴をその財力によって操ろうとするだろうし、そんな奴からでも金を借りねばならんとしたら、最後にはそんな奴のことは憎みはじめたとしても不思議じゃない。地位があって金のない友にもし金を貸すをしたら、それはもう返ってこないと思って貸すことさ。それじゃなかったら、『おまえのことを大切な友と思えばこそ、この友情にヒビを入れたくない。だから金は貸せない』とはっきり言って断るしかないだろうな」
「ふう~む。まったく、金と地位のある奴らってのは、余裕ぶっこけていいもんだな。ま、そんなしても仕方のないくだらん架空の話なんぞはどうでもいいとして……突然だがオレ、とうとう婚約することになったんだわ」
(えっ!?)
リッカルロとティボルトは不意打ちを食らい、互いに顔と顔を見合わせた。
「なんだよ。ティボルトは従姉妹のジュリエッタと婚約してるし、オレたちの二十一とか二とかいう年なら、すでに結婚してガキのひとりやふたりいたって不思議でもなんでもないくらいだろーが!!」
「そりゃそうだけど……でも、僕の場合ジュリエッタとは、小さい頃からの親しい間柄というやつだしね。お互い、将来は結婚するようにっていう、親同士の約束みたいなもんがあるらしいってことも知ってたし……マキューシオの結婚は、そういうのとは違うだろ。相手の令嬢はどんな人?」
ティボルトとリッカルロはこの時、心の奥底で深い哀しみを味わっていた。いつか来るとわかってはいたものの、とうとうその時がやって来たのだ……とでもいうような。自分たち三人の男の友情というのは、今後ともおそらくは続いてゆくだろう。だが、お互いに一度家庭というものを持ってしまったとすれば、それはやはり少しずつ変質せざるを得なくなってゆくに違いない。
「それがさ……相手の女のことはよく知らねえんだ。つか、肖像画を二幅渡されてな、親父の奴が『どっちがいいと思うか?』なんて聞くわけだ。ひとりは、地位はあるが金のない男が父親で、もうひとりは金はあるが地位のない男が父親だという娘でな。それぞれ、結婚するとしたらそれなりに我がエスカラス公爵家にはメリットがある。いや、とにかく親父の話ではメリットがあるという話だ」
「会ったことはないのか?」
リッカルロがショックを受けているらしいのを見て、マキューシオはむしろそのことを嬉しく思った。彼にしても、本当はまだ親友の男三人で、将来の政治的野望がどうのと、馬鹿を言ったりやったりしていたいのは山々なのだから。
「ああ、まあな。相手の女のほうでも、どこそこのなんとかいう貴族さまのサロンでちらとお会いしたことが……くらいのことしか、オレについてはよく知らんだろうよ。とにかくこれから、お見合いよろしく晩餐会だの、ダンスパーチーだのに出席して、気に入ったほうと結婚せねばならん。なんとも面倒なことだがな」
「そうかな」と、ティボルトは笑った。「マキューシオ、おまえは人を見る目があるほうだと思うし……でもおかしいな。地位はないけど金のある男が父親の娘?公爵家に嫁入りする女性としては、その時点ですでに資格なしという気がするがな。むしろ、地位はあるが金はない男が父親だが、その娘がとてつもなく素晴らしい美貌の持ち主でってんなら、まあわかるよ。マキューシオ、おまえ面食いだしさ」
「ふふん。一体どこのどいつが穏健温和なんだ?リッカルロの前で面食いなんていう単語を出すこと自体、ティボルト、おまえには思いやりの気持ちが欠けるってもんだ」
(そうだろ?)と、目線で合図され、リッカルロは笑った。確かに、マキューシオは彼の前で「男は顔じゃないっ!心だ、魂だ、精神だっ!!」と、肩を叩きながら叫んでくれる、実に思いやりのある男である。
「リッカルロのことはいいんだよ。何しろ第一王子だからね。結婚したがる女性なぞ、磁石に吸いつく蹉跌ほどにもたくさんいるわけだから……しかも、その容貌に反して、カルロは詩と花と白鳥と絵画を好む、なんて男なんだから、結婚した女性は必ず幸せになれる。それより、僕はマキューシオのことのほうが断然心配だね。なんというかこう……おまえは性格のほうが天邪鬼だ。みんなが地位があって金のない女性と結婚することを望んでいるようだったら、むしろ逆に別の女のほうを選んで冒険してやろうとか、くだらん判断が働いて、何故だか運命を試そうとするような傾向にある。もしその場に僕がいて邪魔にならないとしたら、末席でいいから招待してもらえないか?誤解のないように前もって言っておくと、僕は好奇心や野次馬根性からこんなことを申し出てるわけじゃない。本当に親友のおまえのことが心配なんだ。何分おまえは、公爵として気に入らん奴のことでも表面上それなりに扱わねばならんという場合でも――嫌いな奴のことははっきり嫌いだというシグナルを送らずにはおれんような性格をしているからな」
「今度ばかりは、流石のオレもぐうの音もでない」と、マキューシオは珍しく、降参でもするかのように頭を垂れた。「そうなんだ……オレはな、リッカルロ。この件ではティボルトのみならず、おまえにもオレの結婚相手選びを手伝って欲しいんだ。つまりはだ、オレは親友のおまえと普通に話せないような女とは結婚したくない。だから、オレと一緒に晩餐会の席だのに出席して、どちらの女性と結婚するのがいいか、是非ともおまえの忌憚ない意見というやつを参考にさせていただきたいわけだ」
「…………………」
リッカルロは黙り込んだ。もちろん、親友のマキューシオがどんな女性と結婚するのかは気になる。だが、そのような席に自分がいれば、その場に居合わせた全員に異常なまでに気を遣わせる結果になるだろう。何より、その婚約者候補の女性が心底気の毒に思えてならない。
「そんなの無理だよ、マキューシオ」と、ティボルトが助け舟をだす。「未来のお婿さん候補であるおまえがその場にいるってだけで、相手の女性だってそれじゃなくてもビビリまくってるだろうしな。そこへ加えて次期この国の王になるだろう第一王子が同席しているだなんて……突然ヒステリーを起こして失神したとしてもおかしくないような状況じゃないか」
「いや、むしろそれだからこそさ」マキューシオは珍しく真面目に、真摯な表情で言った。「なあ、頼むよ、リッカルロ。この件にはオレの一生がかかってるんだ。オレはな、何かいつものようにふざけてるとか、不真面目な気持ちからこんなことを言ってるんじゃないんだよ。前にも同じプレッシャーを親父がかけてきたことはある……だが、その時には弟のルシアンが『結婚したい女性がいるんです、お父さん』なんて言って、相手が伯爵家の娘だったのみならず、なかなかいい感じのお嬢ちゃんというわけで、親父もおふくろもすぐに許可をだした。で、結婚後すぐ子宝にも恵まれて、最悪……いや、変な意味で言うんじゃない。オレだって弟家族のことは愛してるんだからな、これでも。最悪、これでもう跡取り息子のほうは最低ひとりは誕生したってわけだ。オレはその時、このまだ知能の足らない甥のことを見てこう思ったよ。『ああ、生まれてくれてほんとにありがとう。おまえのお陰でどうやらおじちゃんは、まだ暫くは独身貴族の生活を楽しめそうだ』ってな。が、雰囲気的に感じるに、親父は今度こそ本気らしいんだ。『跡取りならルシアンの息子がすくすく元気に育ってるじゃないか』なんて言ってみたところで、まるで効き目なしさ。どうやらオレが戦争にいってる間中に、色々無駄な架空の想像ってやつをしすぎたらしい……とにかくな、女なんてものは一度か二度会ってみたくらいじゃ、その本性なんてものはわかりゃしない。が、唯一、オレにもわかることがある。リッカルロ、おまえと会っても物怖じせず、物怖じしないどころか将来の夫の永遠の親友ということで、顔色も変えず自ら率先して親しくしようというくらいの女とオレは結婚したい。大事なのは、そういうことさ。きっと、そういう女となら長く一緒に暮らしても、うまくやっていくことが出来るに違いない」
「何勝手なこと言ってんだよ、マキューシオ」ティボルトは呆れたように肩を竦めている。「そりゃあね、一度か二度食事しただの、サロンのティーパーティで話したって程度じゃ、向こうだって何重にも猫の皮を被ってるだろうから、記憶に残るのは相手の容姿やドレスが綺麗だっただの、馨しい香水の香りが今も忘れられないだの、何かそんなロマンチックなことかもしれない。だけど、どこのなんていうお嬢さんかは知らないけど、育ちのいい家の娘ほど、話したことのない男が相手だってだけでろくに口も聞けないなんてこと、普通によくある話じゃないか。そこへ持ってきて、第一王子が同席してるとなったら……もうすっかり縮こまっちまって、『はい』とか『いいえ』って答えるのもやっとって感じになるのが当たり前だ。つまりな、マキューシオ。おまえがやろうとしてることはほとんど無意味だってことだよ」
「いーや、オレはそうは思わんね」と、マキューシオはなおも続ける。「とにかく、その時の相手の態度や反応で、わかることが絶対あるはずさ。ちなみに、相手のお嬢さんってのは、地位があって金のないのがエレノア・エステンヴェルク侯爵令嬢で、金があって地位のない父親の娘ってのが、イルマ・シュテファンベルク男爵令嬢だ。年のほうは侯爵令嬢が十八で、シュテファンベルク男爵令嬢のほうが十六。ま、ふたりともまだねんねのお嬢さんってとこだろうな。とはいえ、侯爵令嬢のほうは乗馬が趣味で活発なご性質ということだったし、男爵令嬢のほうは絵を描くのが趣味っつったかな」
「なるほどね」と、ティボルト。「エスカラス公爵は、チンピラみたいなドラ息子のために、どうやら色々考えてくださったらしい。おまえは少しくらいお転婆なところのある娘じゃないと退屈に感じるタイプだし、かといって、そんなんで性格的にぶつかってばかりいたんじゃ夫婦としてうまくやっていかれるかどうかわからない。ということは、男爵令嬢のほうは本当に何も知らない汚れのない娘ってことだろうね。たぶん、絵を描くのが好きなちょっと内気なタイプってやつだ。マキューシオ、おまえはそのくらい純真なタイプの娘であれば、意地悪をせずに優しくなるようなところがあるからな……で、それぞれの娘には結婚したとしたらば、どういったメリットがあるんだ?」
ティボルトがすっかり、土地や家屋を見て値踏みする弁護士のような顔つきをするのを見て――マキューシオは若干呆れた。いや、むしろ自分も彼のように家のためを思って冷徹に私情を押し殺したり、メリットとデメリットを秤にかけて後悔しない生き方を……などと思えればいいのかもしれない。
「まあ、ふたりとも肖像画を見る限り美人だ。無論、そんなものはアテにはならんがね。エステンヴェルク侯爵令嬢のほうは、ようするに所有してる領地は広いが、いまやすっかり借金だらけというわけでな。だが、オレが人助けとでも思って彼女と結婚したらば、我が公爵家はさらに広い土地を所有することが出来るようになる……シュテファンベルク男爵令嬢のほうは、元は豪商だったのが、三代前くらいに爵位のほうを金で買ったといったような家系だ。とはいえ、家系図を遡ってみるに血筋のほうは悪くない。伯爵家の末の娘やらなんやらが、嫁に来たこともあるって意味ではな。この娘と結婚するとエスカラス公爵家は、土地としてはエステンヴェルク侯爵家ほど馬鹿のように広くはないが、交通の要衝である、ただ黙っていても税がしこたま入ってくるような場所が手に入るといったところかな。向こうが手に入れるのは、腐っても威光輝く公爵家という名ばかり栄誉といったところのような気もするが」
「それだけじゃないだろ」と、マキューシオは実務家の顔を覗かせて言った。彼は最近、土地や家屋といった資産から出る損益について、新式の帳簿をつける方法の研究をしている。おそらく、エステンヴェルク侯爵家は、土地が広すぎるあまり、どんぶり勘定で気前よく振るまいすぎてしまった、よくある没落貴族だったのではあるまいか。「エスカラス公爵家に娘が嫁入りしたとなれば、エステンヴェルク侯爵は、実は借金だらけらしいといった噂を揉み消すことが出来、今後とも今までの生活水準なるものを、恥を見るでもなくどうにか保つことが出来るだろう。シュテファンベルク男爵家にしても、娘が公爵さまの嫁御ということになれば、まずは金で爵位を買ったという成金のイメージを払拭することが出来、さらには商機が何十倍にも増幅する。何分、娘ともども公爵家の一員として親戚づきあいがあるとなれば、人々もおもねるようになり、態度のほうが百八十度変わるだろうな。のみならず、商売上での信用も増し、それじゃなくても金があるのに、黙っていてもさらに金が転がりこんでくるようになるというわけだ……まあ、いわゆるWinWinの関係ってやつだね」
「ティボルトよ、おまえにかかっちゃ身も蓋もねえな」
マキューシオが意外にも、男女の関係においてはロマンスを必要とするタイプであるのを知っているリッカルロは、笑わずにいられなかったものである。
「リッカルロ、おまえだって笑っていられるのは今だけだぞ」と、マキューシオはふてくされたように言った。彼は本当に、『Aという美人な女とBという可愛い女、どっちがいいかな~』などという俗っぽいことで悩まねばならぬ状況に、腹立ちさえ覚えているのである。「いずれ、おまえだっていつかは似たようなことで悩むことになるってことを、オレは今から予言しておいてやろう。ふふん、無論オレはわかっているさ。おまえが『自分のような醜男の元に嫁に来てもいいというなら誰でもいい』などと、曖昧に茶化そうとするってことはな。が、その時にはオレは、過去におまえが実に協力的に自分の結婚話のことで悩んでくれたことから、おまえの苦しみをまるで我がもののように感じることすらして、一緒に悩んでやることを前もって約束しておいてやろう……だからさ、晩餐の席で隅っこのほうにいてくれるってだけでいいんだ。で、オレが何かの拍子に、相手の女におまえのことを紹介する。あとはその時の侯爵令嬢や男爵令嬢の反応で、オレはどっちと結婚すべきかがわかるってな寸法だ」
「やれやれ。こりゃどうやら、どうあっても協力させられるパターンってやつだぞ、リッカルロ。僕はやっぱりマキューシオの案には不賛成だけど、おまえは優しいいい奴だから、結局この公爵のドラ息子に協力しちまうんだろうな。それで、僕はやっぱりそんなおまえたちのことが心配で、舞台の袖に控える脇役みたいに、何かあったら助力を惜しまないみたいな立ち位置にいるってことになるんだ」
――そして実際のところ、このティボルト・ハリスの予言は見事なまでに的中した。リッカルロは露骨な見合いの場としてセッティングされた晩餐会へ出席する前に、エレノア・エステンヴェルク侯爵令嬢が招待された乗馬レースの見学時に彼女を紹介され、イルマ・シュテファンベルク男爵令嬢とは、ギルスティンベルク伯爵夫人のサロンで引き合わされ……当のマキューシオはといえば、どこか脇のほうか、あるいは数多くいる客の群れに隠れるなどして、親友と将来妻となるかも知れぬ女との対話をじっと様子見していたわけである(無論、この傍らにティボルトもいた)。
結局、マキューシオはこの二件の見合い話を二件とも断るということになる。何故なら、エレノア侯爵令嬢は肖像画通りの目が覚めるばかりの美人であったが、リッカルロの顔を見るなりハッと息を飲み身を引いていたからであり、イルマ男爵令嬢は、「いつかあなたの肖像画をわたくしに描かせてくださる?」などと、びくびくしながらおべんちゃらを振るまったというのがその理由であった。
>>続く。