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第15章

「……今の、あの方がそうなのですか?」


「ええ、まあ」


 最早嘘はつけまいと思い、カドールは溜息を着いた。本当は、ランスロットの婚約者ギネビアは非の打ちどころのない深窓の令嬢だといったようなイメージを、彼女には植えつけておきたかったのだが。


「なんと言ったらいいか……我々はようするに騎士として兄弟のようなものであり、それはギネビアも一緒なのです。俺だって、お転婆な妹のようにあいつのことが可愛い。そこへ持ってきて、ランスロットの奴はローゼンクランツ公爵から将来嫁にもらってはくれまいかと頼まれたのです。可愛いお転婆な妹と将来結婚する……今はまだギネビアが子供すぎるせいで、ランスロットは兄と親友の合いの子のようなもので、あいつを異性として意識するとか、そんな関係ではありません。ですが、我々貴族の間にはよくあることです。親が取り決めた縁組で、結婚してから徐々にお互いの間で本当の愛が育まれる、なんていうことはね」


「ええ、ええ。もちろんよく存じております……」


 このあと、エレイン姫は突然にしてカドールとの会話に興味を失ったように、柱の並ぶ廊下から姿を消した。彼としては調子の狂うことだったが、何分、ここアストラットにはそう長居するというわけではない。明日にはまたすぐ屋形船へ乗り込み、州都ロドリアーナを目指すことになるのだ。


(エレイン姫がギネビアを見て、何をどう思ったかはわからん。だが、おそらく何も心配はあるまい。俺たち貴族の間では、親の取り決めた縁組をなまなかなことでは破談にすることは出来んからな。そのことは彼女もよくわかっているはず……)


 カドールがほっと胸を撫で下ろし、ギネビアやキリオンのいなくなった廊下の端を眺め、彼自身はアーチ型の天蓋に覆われた外のバルコニーで一休みしようとした時のことだった。


「……ハムレット王子」


 しっ!というように口許に人差し指を立てられ、カドールはすぐ黙り込んだ。彼のそばにはタイスとギベルネスの姿もあった。おそらく、夕食後に露台のほうへ出て少しばかり涼もうとしたのだろう。


「もしかして、エレアガンス子爵からお逃げになっておられるのですか?」


「まあ、そんなところだ。そしたら、カドールがこの城の姫と話している声が聞こえてきたものだから、悪いとは思ったが、つい耳をそばだててしまった」


 タイスがくすりと笑い、ふたりの会話に割って入る。


「先ほどの話の端々を聞いているだけで、ランスロットがここアストラット城へ来たがらなかったのが何故か、大体のところ事情はわかったよ。けれどまあ、何も問題あるまい。我々は明日にはここを発つ。ランスロットは今夜一晩だけ、あのしつらえのいい屋形船の船室ででも眠っていれば事は大きくならずに済むのじゃないか?」


「そうですね」と、ギベルネス。「ギネビアはあの通りの天真爛漫な性格ですから、エレイン姫と顔を合わせたところで……特にどうとも思わないのではありませんか?何より、我々が何もしゃべらなければ、ギネビアのほうでそのあたりの事情について鋭く気づくということはなさそうな気がしますし」


「確かに、その点はギベルネ先生のおっしゃる通りと思うのですが……」


 カドールもまた、彼らと一緒にバルコニーへ寄りかかると、二年前に何があったか、かいつまんで話して聞かせた。ランスロットにとって何ひとつ騎士として落ち度はないにも関わらず、エレイン姫のほうでは思った以上に想いが激しかったのだろうということを……。


「だが、ランスロットに悪気はなかったにせよ」と、ハムレットが言う。「姫の気持ちがオレにはわかる気がするな。何分、あれほどの強さを持つ高潔な男が自分のために戦ってくれたのだぞ?しかも、彼女の与えたドレスの真紅の布をつけてだ……そりゃ勘違いもするだろう。むしろオレにわからんのは、そこまで迫られていながらよく彼女のような人を寝台から追い出せたなという、そちらのほうかもしれん」


「では、王子であれば……ありていな言い方として、姫とねんごろな関係というのになっていたと?このような海と川と森林地帯の、ロドリアーナ州へなど次にいつやって来るやらわからん、いや、その際にはアストラット城にだけ立ち寄らなければいいのだ……と、そんなふうに考えて?」


 カドールのこの言葉に、タイスもギベルネスも内心で笑った。『アストラット城』という名をアントニオから聞いた時の、ランスロットの取り乱した顔の表情と態度を今一度思い出したというそのせいだった。無論、このあたりにはアストラット城のみならず、川沿いにいくつもの城が、遠くや近くにいくつも並んでいたから――そんな中、よりにもよってという、ランスロットとしてはそのような思いだったに違いない。


「いや、どう言ったらいいか」と、ハムレットも微笑う。「とにかく、あんな凄い美人にベッドで押し倒されようものなら、その前後のことなど頭から吹っ飛んでしまって、女性に恥をかかせてはいけないと、そちらの思いのほうが先行しそうな気がしたものだから」


「まあ、普通の男ならばそうでしょうな」


(自分だってそうだったろう)と、カドールはそう思いつつ答えた。


「ランスロットの説明によれば、二日も続けて馬上試合で何人もの敵を倒したあとだったので、高いびきをかいていたところを突然叩き起こされ、狼狽したということでしたがね。『もしそうじゃなかったらどうだったんだ』とからかってやりましたが、あいつはあの通り、女性のことではめっきり無口になるタイプの奴なので、いじめてやるのはそれきりにしてやりました。普通の男ならこういう時、あんな美人に言い寄られたんだぜと、多少は自慢するものでしょうが、ランスロットにはそういうところがありませんのでな」


「なるほど、確かに」


 ハムレットとタイスとギベルネスは同時にそう言ってしまい、顔を見合わせると頭上に輝く満月に向かって笑った。そして、その笑い声に誘われるようにして、壁の松明の下に姿を現す影がある。


「おお、ハムレットさま!こんなところにいらっしゃったのですか」


 それはエレアガンスと、彼に付き従っている近衛の従者ふたりだった。途端、明るく笑っていたハムレットの顔に、暗い陰が差す。


「リオン・ド・ティリー殿が、お抱えの吟遊詩人トルバドゥールに宮廷の恋愛詩を歌わせてくださるそうです。なんでもこの吟遊詩人のバルサザール、長く内苑州のあちこちを巡って旅をし、王都でもクローディアス王の御前でお褒めの言葉と褒美を与えられたこともあったとか……とても素晴らしい歌声だそうですよ。さあ、みなさま方も是非」


「そうか。それは楽しみだな」


 ハムレットもタイスも、すぐエレアガンスと共に、再び大広間のほうへ戻ることにしたようだった。カドールも彼らに続こうとして、ふと後ろを振り返る。ギベルネスが一緒に来ようとはせず、紺碧の闇に輝く満月と、それを覆う虹色がかった雲をじっと見上げていたせいだった。


「ギベルネ先生、どうかなさいましたか?」


「いえ……明日、とまではいかなくても、近いうち、天候が崩れるのではないかと思ったのですよ。ほら、ああいう虹色の暈が月にかかると、よく雨になると言うでしょう?」


「そうですね。ですがまあ、旅の予定としては、明日には州都かその付近には到着するでしょうからね……どの程度の雨であればアントニオといった船頭たちが中止にするのかわかりませんが、よほどの嵐ということにでもならなければ、我々は屋形船のキャビンのほうへ引っ込んでいるということになるのではありませんか?」


「だといいのですが……」


 この時、ギベルネスは(まあ天候のことは誰にもわからない)と思ったそれだけだったのだが、カドールのほうでは違った。何故といってこの翌日、朝起きてみると小雨が降っており、朝食時にみなで天候のことを話しあっていると、それが激しい雨に変わったからだ。無論、この程度のことで<神の人>が翌日の天気を当てた……などというのは流石に大袈裟な物言いだったろう。だが、(ギベルネ先生のおっしゃった通りになった)と思っていたあたり、やはりいかに疑り深い彼にしても、迷信深いこの時代世界の住人のひとりだったということだろうか。


 しかも、この雨のほうが一向やむ気配がなく、一同はこのアストラット城に足止めを食うことになった。そしてそんな中、黒ずくめの騎士が城門を叩いたのである。言うまでもなくランスロットだった。彼はこの前夜、水門塔に詰めていた衛兵たちとトランプ遊びをしながら過ごしたのだったが、そこへギネビアとキリオン、それにウルフィンの三人がご馳走を持ってやって来たわけである。


 この時、もしやギネビアの耳にエレイン姫とのことが入ってしまったのでないかと怯えたランスロットだったが、彼女がいつも通りニコニコしていたため、彼の杞憂は去った。その後、ギネビアとキリオンも彼らのトランプ遊びに加わっていたわけだが――滅多に食べられぬ貴族さま方のご馳走に与って、警護兵らは上機嫌だった――そしてある時ふと、エレイン姫のことに話が及んだのだ。


『エレイン姫はどうやら、ロドリゴ=ロットバルト伯の息子さんたちのどなたかとご婚約されるのじゃないかね』


『ほえ~、こりゃおったまげた。姫は随分長いこと、恋わずらいの病床にあると聞いておったからのう。ほら、今から二年も前のことになるけえのう。水門の鉄柵のところに、エレイン姫のすっかり冷たくなったお体を発見した時には……わしゃあ、こりゃもう死んでおるかと思ったもんだわい』


『馬上試合で自分のために戦ってくださった騎士さまが去っていってしまったそのせいだということだったがなあ。あれほどの美貌の姫さんがと思うと、城に仕える女方はみんなそのことでちょくちょく泣いておったそうじゃぞ。なんでも、あんまり不憫で見ていて堪らないということでな』


 途端、ランスロットはトランプ遊びもサイコロ遊びのほうも、すっかり手につかなくなった。ゴホンゴホンと、本人がそれと自覚しない白々しい咳をつくと、「そろそろ船のほうへ戻るとするかな」などと言ってそわそわ席を立とうとする。ランスロットは彼らにただ「ランス」とだけ名乗っていたし、この地方の農村一帯では、ハンスという名前が多いようだったから、素姓がバレるような心配はない。けれど、実直で誠実な性格の彼としては、どうにもいたたまれなかったわけである。


『オラも見とったがな、あの馬上試合!黒づくめの騎士さんがな、次から次へとここらあたりの貴族さま方が自慢にしとる騎士をバッタバッタ倒していかれてな……あれがエレイン姫の想い人よ。一体、姫さまほどの方の何が不満だっちゅうんじゃろうなあ。ま、大方エレイン姫だけでなく、他の貴族のお嬢さん方にも方々手を出しとるような手合いの色男だったのだろうて。きっと姫さまはそのことを後から知って絶望されたのじゃ……おお、なんてお可哀想な!!』


『その黒づくめの騎士、名前なんてえの?』


 そんなふうに無邪気に聞いたのは、ババ抜きで一抜けしたキリオンだった。もちろん彼は、ランスロットがその黒づくめの騎士だなどと思ってもみなかった。むしろ、ランスロットの他にもそのような強い騎士がいるのだと思い、名前を知りたくなったわけである。


『なんてえたかいのう……ハンスなんとかってえたかいのう』


『いやいや、そんな名じゃなかったぞい。ランスハンスとかいう……』


『いやいや、ハンスランス……ロットハンス?ロットハットでもねえしな……』


『そいつ、ランスロットっていうんじゃないの?』


 そう言って引導を渡したのは、他でもないギネビアだった。途端、衛兵室にいた三人ばかりの警護兵らが『あーっ!!』と叫ぶ。『そうそう、そんな名前だったど!』というわけである。


 いかに鈍いギネビアと言えど、ランスロットが自分に近い名前を呼ばれるたび、ビクビクした態度なのを見れば――すぐにピンと来ようというものだった。だが、彼女はあくまで冷静だった。その後も、『さあて。そろそろアストラット城のほうへ戻るとするかな』と言い、一ゲームすんだので、サイコロをテーブルの元の位置へ戻したというそれだけである。


『ギネビア!ち、違うんだ……』


 角灯を片手に、ずんずん緑の丘を進んでいくギネビアの後ろ姿を、ランスロットは慌てて追っていった。キリオンもウルフィンも遠慮して、ふたりを残し、道を先へ進んでいったものである。彼らは大広間にて、ギロン男爵の隣の座席に、ちらと視線を送るのも憚られるほどの美女が座していたのを知っていた。そして、つい先ほど衛兵たちの言葉を聞いて初めて――ランスロットがアストラット城と聞いただけで、何故あんなにも顔色を変えたのか、その理由がわかったというわけなのである。


『ランスロット、何故さっきからおまえはそんなにも男らしくなくビクビクしてばかりいるんだ?そんなの、ちっともいつものおまえらしくないじゃないか!!』


『エレイン姫のことは誤解なんだ……そのう、俺の心にやましいところはこれっぽっちもない。確かに、恋わずらいの病床云々というのがもし俺のせいだったとしたら、何か責任を感じなくもないが……俺は何もしてないんだ。おまえが誤解するようなことは、本当に何も……』


『だったらもっと男らしく正々堂々としてたらいいじゃないか!!さっきからずっと女みたいにオロオロしてばかりいて、みっともないぞ。というより、エレイン姫にはわたしもさっき会った。会った、などと言っても、ちらと顔を見たという程度ではあるがな。ちょっとぞくっとするようなところのある、凄みのある美女だったぞ。おまえが、もし姉さまの他にも誰か好きな女性がいたとして……それが一体なんだというんだ?これからハムレットさまが王になられたとすれば、姉さまはクローディアスの息子レアティーズとは婚約解消ということになるだろう。そのあとのことであれば、姉さまは誰でも好きな男と結婚できる。ゆえに何も問題はない。なんだったらランスロット、おまえはおまえで、あのエレイン姫と結婚でも婚約でもなんでもしたらいいだろう……わたしはこのことに関して、一切何も関係などないのだからな!!』


『姉さまって、テルマリアさまのことか?テルマリアさまは確か、カドールのことが好きだったのではないかと思うが……』


 恋愛に関して鈍いランスロットが、テルマリアのカドールに対する想いに気づいていたとは驚きだが、彼はこの時、まったく別のことで驚いていた。ギネビアがまさか、自分がローゼンクランツ家の長姉に懸想しているなど、そんな誤解があったなどとは、今の今まで考えてみたこともなかったからである。


(ああ、そうか。だからか……それであの馬上試合の時、ギネビアは俺のことを殺すような真似までして、婚約を解消したがったということなのか?)


『カドールだって?なんだって姉さまがあんな、ずる賢い赤狐のことを好きにならなきゃならないんだ?』


『いや、俺も直接テルマリアさまからそう聞いたわけではないが……レアティーズとの婚約が決まっているそのせいで、自分の本当の気持ちを打ち明けられないように感じておられるのだろうと思っていたものでな』


 ギネビアは訳がわからず首を傾げた。そしてこの時、幼い頃からこんなにもずっと一緒にいながら――あるいはいすぎたからこそ――ふたりの間には誤解という壁のヒビの上に、さらなる誤解という名の漆喰が塗り重ねられることになったわけである。


 素直な性格のギネビアから発された言葉はすべて、ただそのままの意味だった。ランスロットがもしあのエレイン姫の色香に惑い、その昔ほんの一時期恋愛関係にあろうがなかろうが、彼女にはどうでもいいことだった。ただ、ローゼンクランツ騎士団最強とまで謳われる男が何故、アストラット城であるとかエレイン姫という言葉にいちいちこんなにもビクつきオロオロするのか、ギネビアはそのことに対しイライラするというそれだけなのである。


 けれどこの時、ランスロットはそれを嫉妬から生じた態度に違いないと誤解した。彼としては、ずっと次のように理解していた。婚約解消などと言っても、自分はギネビアと婚約しているようなものであり、いずれはそのことを彼女も承知するだろうと……しかも、不貞の事実のようなものは一切ないにも関わらず、状況からいってギネビアに信じてもらえそうもないこと、それがランスロットが終始オタオタする理由だったのである。


(そうか。ギネビアは俺がテルマリアさまのことを本当は想っていると誤解していたのか?だが、レアティーズとの婚約のことがあるもので、俺がそのことを口に出せずにいると?だが、ハムレットさまが王におなりになったとすれば、テルマリアさまは自由だ。その場合は次女の自分ではなく、長姉であるテルマリアさまと俺がなんの障害もなく結婚できると……まさか、ずっとそんなふうに考えてきたのだろうか?)


 それ以上のことは、ランスロットは考えるより早く、行動で示していた。すなわち、ギネビアのことを抱き寄せると彼女の唇に深く口接けたのである。


 ビシッ!!と即座に右頬を打擲されても、ランスロットは驚かなかった。否、予想通りの反応と言うべきだろうか。とにかく彼はこの時、生まれて初めて心から愛する相手に思いを遂げた。(俺が愛しているのはテルマリアさまではない)などと言葉で説明するより――こちらのほうがよほど雄弁に自分の想いを語れると、そう思ったせいである。


『ギネビア……』


『く、来るなっ!!おっ、おまえ、今一体わたしに何を……さっ、最低だっ!!クソッ!!腹をすかしているだろうなんて、心配なんかするんじゃなかったっ!!あの水門塔の衛兵たちは衛兵たちでそれなりに食事しているところだったし、おまえなんか死ぬほど腹でもすかしてぶっ倒れてりゃ良かったんだっ!!』


 ランスロットはギネビアの後を追うことまではしなかった。彼女は帯剣していたし、あの怒りようではおそらくすぐにもキリオンやウルフィンに追いつくことだろう。何か賊のような存在に襲われたとしても、並の男では到底ギネビアには敵わない……そう冷静に判断したせいだった。


(そうだ……俺はずっと、あいつが今のように妹として信頼を裏切られたとでもいうような、あんな失望した態度を取られるのを恐れていたんだ。だが、実際にそのことが起きてみると想像していたほどひどいということもないな……)


 そうなのだった。ランスロットにしてみれば、ギネビアのほうがよほど酷い、無情な女なのだった。どんな過酷な状況にあろうとも、自分が敵に勝利するのは当たり前、婚約などしてないのだから、いついつまでも恋人のような関係にならないのも当たり前……それでも、彼は待とうと思った。とりあえず、ランスロットの目が見る限りにおいて、ギネビアを他の男に取られそうな気配はなかった。だが無論、そのような男が現れたとすれば、彼は自分に負けるような青二才に婚約者をただ黙って譲るようなつもりだけは一切ないわけである。


 ランスロットはこの夜、ギネビアとした唇のキスの余韻に浸りつつ、水面のせせらぎを子守唄に眠った。彼女も少しくらいは苦しめばいいとしか、今のランスロットには思えない。だがそんな彼ではあったが、エレイン姫の使者が一通の手紙を手にやって来ると、再び怯えだした。ランスロットは無論、今もエレイン姫が自分を想っているに違いない……などと自惚れていたわけではない。エレイン姫が城塔から飛び降り自殺したという話にしても、自分が原因というより、その頃姫には何か他に心に重くのしかかる何事かがあったのだろうと、どちらかというとそういった見解だったのである。


 この時、ランスロットは最初、怯えつつ手紙の封を切ったのだが、そこには彼に対する恋心が長々と綴られてもいなければ、約二年ほど前にあったことに対する恨み・つらみが連ねられているということもなかったのである。



 ――ランスロットさまへ。

 お久しぶりでございますわね。あなたさまが再びこのアストラットの地をお踏みになったと聞いて、嬉しく感じ入っております……ですが、何故そのように離れて船の中にいらっしゃるのですか?どうか是非、再び我がアストラット城へお越しくださいませ。父と兄にはよく言って聞かせ、ランスロットさまへの誤解を解いておきました。


 二年前にあったことは、二年前にあったこと……わたくしはもうそのことについて、何も思ってはおりません。それより、あなたさまのような方に、そのように肩身の狭い思いをさせているように感じること、そちらのほうにこそ痛みを感じます。どうぞ、明日の朝には大広間のほうへいらっしゃって、お食事なさってから出立してくださいませ。わたくしに対する気遣いは、一切無用です。



<エレイン・ド・ティリー>と、最後にサインがあるのを見ても、ランスロットとしては特に何か思うところはなかった。『おお、そうか。それならばたらふく朝食を頂戴してから出発するかな』と思うでもなく、彼としてはやはり礼儀として、アストラット城へ足を踏み入れるつもりはなかったのである。


 ところが、翌朝雨が激しくなってきたことで――夜の間は降ったりやんだりだったのだが――今一度エレイン姫の使者が遣わされてきたわけである。そこで、彼らのしつこいまでの勧めを受け、しぶしぶランスロットもまたアストラット城へ足を踏み入れざるを得ないということになったのだった。




 >>続く。






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