子守唄
全国の『地震速報で目が覚めた経験のある同志諸君』に捧ぐ
漫画やアニメ・小説などを嗜んでいる人間ならば一度は聞いたことのある表現、というやつが世の中には数え切れないほどあるかと思います。
熱心に創作をしている人間でもない限り、『具体的に挙げてみろ』といわれると案外思いつかない。
けれど他人が言ってるのを聞くと意味は理解できるし『あ〜、あるある』となるようなもの。
そんな中から今回取り上げたいのは『〇〇なんざ俺にとっちゃ子守唄みたいなもんだ』というような表現です。
どこが初出なのかなどは一切存じませんが、ジャンルを問わずかなり手垢のついたフレーズではないでしょうか。
この『〇〇』の部分には大抵の場合、世間一般には『騒音』として分類される音が入り、発言者の出自や力強い性格、特定の状況下での頼り甲斐などをいっぺんに表せる非常に素敵なテンプレートです。
これは現実でも往々にしてあり得る話で、私の場合ですと『貨物車の走行音』がこれに当たります。
生家であり、現在でも実家であり続けるマンション低層の一室は、夜間でもそれなりの車通りがある下道に面しています。
いろいろと都合のいい位置にあるらしく、片側二車線しかない道の片一方を休憩中のトレーラーやトラックが路上駐車でぽつぽつと塞いでいる、というのが日常茶飯事です。
そしてこのトレーラー、ただ路上駐車している分には何も害をもたらさないのですが、下道を走る彼らは、そこかしこにある地面の凹凸で跳ね上がっては着地とともに派手な音を立てるのです。
さらに言えば、深夜の物流ドライバーというのは往々にしてスピードを出すもの。
鳴り響く騒音もひとしおです。
しかし私は、記憶にある限りこの走行音で目が覚めた試しが一切ないのです。
そこまで眠りが深いわけでもないどころか、むしろ浅い方だと自認していたのですが。
大人になって『子守唄』のことを自覚してからは、夜中に聞くトレーラーの走行音に安心感すら覚えてしまいます。
繊細だと思っていた自分も、案外図太いものなのだなとも。
こういった、傍目にはくだらないことでもじっくりと感慨に浸れることもまた、自分自身の長所なのだと言い聞かせながら。
眠りから叩き起こされるということは、警報が警報として役割を全うしているという事実に他ならない訳ですが、それはそれ。
警報が鳴ってもイビキをかいて眠りこけていられるくらい、強い心が欲しいものです(あくまで比喩としてですが)