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8 旅は続く


「アクセル伍長ですか?」 

 正規兵ならではの綺麗で模範的な敬礼を久しぶりに見た。 


(呆れた変わり種の生き残りだな)

 俺は、座ったままで切るような仕草で答礼する。


「エディングス一等兵です。 中央幕舎に出頭してください。 ダズ少尉がおよびです」


 目の前の若い伝令の襟章からして、指揮系統から離れた呼び出しであることは明らかだったが、当然いつものことだ。 

(……ダズ? どこの部隊だ)


「……?わかったすぐに向かう」


 クーラカスに目顔で別れを告げ、残った豆を一気に咀嚼する。膝に手を置き一気に体を起こすと、脇に置いていた剣を腰のベルトに帯び、伝令兵の背を追った。 



「こちらです」

 隊舎前を通らず、森の間道から直接裏をまわって本部に向かう腹積もりでいるらしい。1分を惜しむ目の前の男に、俺はなんだか不思議な気持ちがわいた。


 そして伝令の持つランプの明かりを目印に黙ってついて行く。


 間道の入り口を越えたところで、前を歩く伝令兵が、突然振り返り、 

「……あの光栄です。 アクセル伍長。 スピリッツバーナーのあなたは、その、ほとんど伝説です!」


 こういうことがたまにあるが、何と返せばいいのか未だに俺は分からない。

 実態は捨て鉢な命令にただただ従って、たまたま悪運で生き残っただけだ。俺自身何も特殊な技を持つ訳でもなし。隊の指揮官に取り立てて優秀な作戦立案ができる者もいなかった。 

 戦場の宣伝を信じ切った若者に、それを開陳することだけは違うと頭ではわかる。

「まぁその楽にしてくれ」


 かろうじてそれだけ言って、なんとはなしの居心地の悪さにとりあえずマントを直す。優秀な兵のふりなどそもそもできない。


 はい、と言い再び敬礼する姿になんだか申し訳なくなって、それきり黙って本部を目指す足を速めた。




 ――突然、風の音の隙間にわずかな振動を捉えた。


「……聞こえたか?」


 伝令兵は困惑した表情で黙って首を横に振る。


 巧妙に隠された、軍が移動する気配を感じる。

(間違いない。 この先だ) 


 俺は、すぐさまハンドサインで付いてくるように指示する。

(離れるなよ)


 方角からして、製塩所に向かう道のあたりだろうと予想する。


 ランプの火を落とすと、身を低くして暗闇の中一気に駆け抜ける。




(いやがった!) 

 警戒網すべての裏をかかれ本陣の真裏から800メートルもない位置で敵の一団を捕捉した。完全武装した高位種オークの群れが目の前にいる! 

 基地内で警戒しているはずの魔道士連中が、これほど深くまで魔軍の侵入を許し、かつ未だに気付かない理由は全くの不明だ。


 敵の目的だけは明白だ。その先の突き当り、垂直の崖を登れば本陣がある。そしてそこにはソルベールがいる。


 俺たちは、さらに敵の戦力を把握するべく接近を続ける。 


 ふと、旧道から近づいてくる何者かの気配を感じて、瞬時に茂みに隠れる。


(今度はなんだ!?)


 そしてとっさにポケットの中の擬音器をならした。

 チチチという夜カケスを模した短い合図に対して、瞬時に全く同じ音による返答があった。


 現れたのは、歩哨任務にあたる4名のパトロールだった。ここで味方と合流できた意味は大きい。


 茂みからはい出て、地面を指さし車座になると、俺は声を落としすぐさま状況を伝えた。

「この先100歩の距離に移動する敵の一団がいる。 足跡から推定される敵兵は30。 うち騎兵が少なくとも一騎いる。のこりは変異オークの歩兵隊だ。北の本陣に向かって常歩の速度で移動しており、後軍の規模もやつらの侵入方法のいずれも不明だ」 


 緊張した表情でうなずく面々に指示を出す。 


「エディングス。 お前は来た道を戻れ。 一番近い詰所が橋の手前にある。 今すぐ全力で後退して防御陣地を構築するよう進言しろ。 おそらく後続が侵入してくるのはそこだ。 北の鐘楼をうまくつかえ。 警鐘を鳴らすのはこちらの合図を待ってくれ考えがあるんだ。 それから本部にも襲撃を伝えろ。もしそこで少尉に会ったら行けなくなったと言っといてくれ。 以上だ行け」


 一等兵は、かかとをそろえて敬礼すると、綺麗な右回り右向きで方向を変え、あっという間に走り去った。


「よし、1名はこの場で100秒待って敵軍の方角に照明弾を発射後、撤退しろ。 お前に頼みたい」

 明らかに一番年若い兵士に命じた。


「お前の合図で俺も仕掛ける。 状況開始後きっかり100秒で頼むぞ」

 俺は無言でうなずく兵士の肩を叩く。


 そして残ったパトロールの3名には海岸沿いを迂回する形で敵が来た方角を調査することを命令する。

「どこからやつらが侵入したのか確かめる必要がある。足跡をたどって後続を確認しろ。 あんな数で攻め込んできたはずがない。手順通りに頼んだぞ」


 全員が短く視線を交わすと、それぞれ頷いた。


「よし」


 立ち上がったパトロールのリーダーを手で制し、

「復唱はいらん。 今すぐ状況を開始しろ」

 短く敬礼し全員が一斉に動き出す。


 照明弾を構えた兵士に無言で合図し、俺は一人、発見した敵軍を追う。


 音が出ないように剣の柄頭を左手で押さえ、真っ暗な林を突っ切り腰を低くして風のように走る。呼吸を響かせぬよう細く長く。 森林探索で徹底的に訓練された動きを忠実に行う。


 襲撃隊の正確な規模はわからなかったが、遠目に一瞬見えた騎手の正体が魔軍の指揮官の一人であることに疑いはない。


 明日の決戦のために、昼間、半時間かけて研いだ両手剣は、隊舎のベッド脇のラックに刺したままであり、磨いた鎧も同様だ。作業用の軍装に、獲物は腰に帯びた片手剣のみだったが迷いはなかった。 

 頼みの綱はマントに仕込んだ探知阻害の防護魔術だったが、それさえも近づけば役に立つとは思えなかった。


(近づけさすれば一泡ふかせてやれる) 


 もとより無事で帰る必要などない、この世との別れが半日早まっただけの話。甘美な復讐の時が期せずして巡ってきたわけだ。


(最終戦争の栄誉はクーラカスに任せよう)


 あの世には賑やかに行きたい。ぜひとも大勢で賑やかに。バンドワゴンの前垂れにやつの首を下げられれば満足だ。ためらう理由が一つもない。


 灰を浴びて葉を落とし黒ずみ枯れた白樺の間道を全速で抜け、静かに行軍を続ける敵部隊の側面の高所を取った。

 身を屈め、敵軍をじっくり観察する。


 集団の先頭、首無しの悍馬の背にいる黒衣の男が指揮官だ。青白い顔に特徴的な額の角。 信じがたい存在を見た。

(ナイトウォーカーの首魁じゃねえか!)


 後ろにぞろぞろとオークの歩兵が続く。見える範囲の敵兵は30で間違いない。 


 千載一遇の白首が目の前にいる! 


 目下の距離は50歩を切った。


(そのまま進んで来い。 必ず殺してやる)


 廃棄された製塩所に差し掛かる林が開けた絶好の奇襲ポイントに差し掛かる。


(合図はまだか?)


 屋根が一部壊れたレンガ造りの建物の脇、月のない深い闇が俺の作戦を後押ししてくれる。



 バン!!




 突然夜空に赤い光が打ちあがり、空中で爆発すると緩やかに炎が下降し煌々と辺りを照らす。


 とっさに敵軍全てが足を止め、一斉に夜空を振り返った。


(今だ!!)

 俺は瞬時に立ち上がると体内で練っていた、最大出力の火炎魔法の一撃を放った。


「メギド!!!」

 左手の中心から一抱えある炎のかたまりが飛び出し、敵の指揮官のいた足元辺りに着弾した。

 敵軍の先頭を巻き込んで炎が爆発し、一気にあたりを業火で包む。味方への狼煙もかねてど派手にかました。


「グオオオオオオオオオオオ!!」


 すさまじいオークの悲鳴と雄たけびが大気を震わせる。


 炎の中でのたうち回る黒い塊の中に、敵指揮官がいないか必死に探した。 

 基地の方角から一斉に警鐘が鳴り響く。 


 重なり合って混乱する敵兵はいずれもオークだけだった。



「チィッ! 躱しやがったか!」



 爆煙が晴れると、爆発の中心から10歩以上離れた所に馬にまたがり悠然と立つナイトウォーカーがいた。

 後続との分断には成功したものの如何なる野生の勘なのか、馬を操り避けきったようだ。 

 照明弾が上がった時、瞬時に奇襲があると判断して前に飛んだのならすさまじい使い手だ。


 たった一人の寡兵で待つ愚かをしない。 すぐさま剣を抜き放つと俺は3歩で丘を下り、未だ炎の淵で体制の崩れた敵兵集団に正面から突入した。


 後ろの兵を振り返りもせず、敵指揮官は手綱を両手でもったまま何かをつぶやいた。


 一瞬で士気回復したオーク共が武器を構えて隊列を組む。 


(完璧に集団全てを使役してやがる! 聞いたことねえぞ)


 指揮官の前に割って入る大柄なオーク。


 俺の姿を認めると、次々炎を飛び越えて燃えるのもかまわず死兵となって殺到してくる。


 貫きはなった剣を右手に構え、半回転して先頭のオークの突きを搔い潜り喉を切り裂く。 もんどりうって右に流れた敵の奥から間を置かず次々にせまってくる


 一つ息を吸い込み、左手から再度炎魔法を放つ。

「メギド!!!」


 俺は、灼熱で半円状の越えることのできない壁を作り出し集団を分断する。長く伸びるオークの影を二つに切り裂き突進した。


「うおおおおおおおおおおおおおおお」

 前後の動きでフェイントを入れ、敵の突きを誘発させ、膝を折り敵の槍を回転しながら潜り抜け、上下2段の神速の車輪切りを仕掛ける。銀色の振り子が夜空に血を撒き、肘を畳み逆足を踏み込み隣のもう一体の胸に剣を突き込んだ。鎖帷子の破片を飛ばし、後ろに吹き飛んでいった。 


 首元まで炎に巻かれながらも雄たけびを上げ突進してくる斧持ちのオークを左に躱し、交差する瞬間に身にまとった鉄の肩当を正確に外して首をはねる。


 横合いから振り下ろされた斬撃を交わし、瞬時に飛びこみ距離をつぶす。長剣持ちとの鍔ぜり合いを強引に押しのけ、敵の膝頭に角度をつけて蹴りこみを入れ、兜の下をくぐらせた剣先で両の目を一文字に切り裂いた。

オークは「ギュオオオオオ!!」と叫び、血まみれの顔をかばい地面に身を投げゴロゴロと遠ざかっていった。


 そしてすぐさま残身をとる。 呼吸を一つ。

「ふうう」

 止まれば必死の流れの中で、常に3手を準備する。 そこから体が無意識に選択した動きを正確にこなし、なんとか戦闘をこなしていく。

(先ほどの攻防は、下がれば確実に詰んでいた)


 後ろで突然気配が膨れ上がり、無言で回り込んできた敵のポールアックスの薙ぎに対して、俺は静止反転し最小限の動きで躱すと左手に剣を持ち替え喉につきこむ。 そこからすぐに飛び下がり、一旦混戦を脱すると、残りの敵を確認しながら早鐘を打つ鼓動を落ち着ける。

 瞬く間に死体が積みあがっていく。


 後に控える指揮官まであと10歩。 目前にはオークが3体。獲物はいずれも長槍だ。十分さばける。 

(チャンスだな)


 固まり身を寄せ合って槍衾を仕掛けてくる3体のオーク。


 中央の敵にブーツから抜いておいたナイフを投擲すると、敵はむき出しの左肩で受け深々と刺さった。

(のろまが!) 

 刃先にはたっぷりと、まだら蛇の毒が仕込んである。 


「グオオオオオオオオオオ!!」


 すさまじい悲鳴を上げ、ナイフを受けたオークの口の脇から瞬く間に黄色いあぶくがあふれ出す。白目をむきながらも獲物の槍は離さず、でたらめに振り回し威嚇してきた。 


 俺は一旦距離をつくり全開で動く。


 今度は左端のオークに狙いを絞る。 マントを巧みにつかい、視界を切ると一気に後背に回り込み巨体の陰に体を寄せる。 

(味方が邪魔で攻撃できまい) 

 鋤の構えを取り、皮鎧の脇の隙間から心臓に突きの一撃を叩きこむ。剣先を捻りこみ傷口を広げると、敵の腰に足を掛け蹴りこみ、剣を一気に抜きながら右の敵に死に体をぶつけると、無傷の1体を巻き込むようにもんどりうって地面に貼り付けた。


 その隙に毒で苦しむ一体を右腕の肘の上から切り飛ばし無力化すると、返す刀で袈裟懸けに振り下ろしとどめを刺す。

 オークの顔で血の華が咲く。


 前のめりに崩れ落ちた片腕のオークを踏み台に、仲間の死体を跳ね飛ばしようやく立ち上がってきた最後の獲物に引導を渡す。 

 逆手に持ち換えた剣を首元に突き刺し素早く抜くと、俺はがら空きの背中にさらに剣を突き込んだ。 


 ゴウと鳴き最後のオークが動きを止めた。


 周囲はすさまじい喧騒の中にある。

 先ほどから味方の戦いに目もくれず、ナイトウォーカーは一切動かず崖の上だけを眺めていた。


(とことんなめやがって)


 気付けば周囲全てを炎が囲っていた。

 炎の壁の向こうには傷ついたオークが恨めしそうに顔を歪ませ吠えている。 踏み込めばたちまち炎に包まれるだろう。 オークは必死に消火を試みるが火の手の勢いは衰えなかった。 


「はあ、はあ」

 俺はすさまじい熱に噴き出す汗をぬぐう。さて残るはナイトウォーカーだけだ。


 すると突然、敵の指揮官が首を伸ばし、何かに気付いた様子で右手をわずかに上げた。


 何をするつもりだ――


 敵方の後続の到来を告げる魔獣のすさまじい吠え声が森の中で響いた。

(まずいな)

 いつまでたっても魔道部隊の火力支援が来ない。

 先ほどまで鳴り響いていた接敵を知らせる鐘の合図が途絶えていた。基地の方角のあちこちで炎が上がっているのが見える。


(何かがあったのは確実だな)


 混乱からバラバラに動いていたオーク集団に、再度指揮官が人には聞こえない声で命令した。

 たちまち炎を超えて塊になった敵が、体が燃えるのもかまわず突進してくる。



 俺は、再び飛び込む覚悟を決める。


 最後の信号弾を、煙幕代わりに一番手前の敵の足元に打ち込んだ。 魔力の残りもかまわずに灼熱魔法を連発し、煤けてぼろぼろになったマントをあおり、遮二無二剣を振るった。


 敵指揮官は、俺を無視して馬首を返すと炎を突っ切り、何をする間もなく無言で走り去った。

(逃がすか!!)

 

 急な動きに気を取られ、一瞬敵への警戒がおろそかになる。俺の背後に回った3体が、声を殺して突っ込んできたのは同時だった。 


 極限の状況に時間が引き延ばされる。 

 ステップと同時に回転の歩法で、敵の位置をコントロールし、前列2体の同時の突きを躱すが、後列にいたオークが、味方の首をへし折り巻き込みながらハンマーを振り抜いた。


「くっ!!」


 俺は虚を突かれ、躱しきれず左脇腹にしたたかに一撃を受ける。吹き飛ばされ何度も転がって敵の死体に引っかかって止まった。

「ガハッ」

 血の塊を吐き出し、大地を掴む。

 目も眩むすさまじい痛みが全身を駆け巡り、呼吸もままならない。威力を殺したはずだが、それでもすさまじいダメージを負ってしまった。



 そして終わりを告げる更なる敵の増援の到来を知らせる蹄の音がゴゴゴと轟いた。


(……ちくしょう。ここまでだな)


 敵のオーガの騎馬突撃が、手前にいたオークの歩兵隊ごと巻き込んで、猛烈な速度で迫ってくる。


 血煙。 爆風。 舞う肉片。

 

 そして、それらが巻き起こす土煙の中で、後ろから突然何者かに腕を引き込まれ、頭を押さえつけられて前が暗くなる。

 俺は金属が激しく打ち付けられる音を聞いた。


「よう、遅れてすまんな」

 土煙が晴れたとき、頭上にいたのは大盾を構えたクーラカスだった。


 見回すと周りには、盾を構えた同じ部隊の兵士たちがいて、目が合うとこちらに頷き返した。 


 クーラカス達は流線形の盾を地面に突き刺し、さらに続く2度目の騎馬突撃を正面から受け止めた。

 魔力を纏った盾が、正面からの衝撃を、大地に逃がす。

 地脈が乱れてノームと精霊が馬鹿ギレする狂気の沙汰だが、この際誰も咎めまい。


 二度の突撃をいなしたクーラカスが分隊に指示を出す、

「全周囲防御!!!」


 たちまち盾を重ね合わせて、強固に作られる円陣。その中心に俺は立ち、隙間から状況確認をする。

 敵はどんどん増えていく。盾の壁の隙間から、槍を突き出す見事な連携で、次々敵を屠っていく。


「ほらよ」 

 クーラカスが差し出したのは、俺の愛刀の両手剣だった。


 俺は黙って受け取ると、

「俺は逃げた敵の首魁を追う。 本陣の方に向かって行ったんだ」

 そうクーラカスに告げ、その場を味方に託しさらに進むことにする。


 ゲラゲラ笑うクーラカスが、

「だから言ったじゃねえか。 巫女様のもとへ早く行ってこい!」

  

 クーラカスは大盾を振り回し、敵の死体から槍を拾うと遮二無二突きまくる。たちまちオーガの死体が積みあがっていく。

 

 再び始まった敵の大攻勢に俺は一瞬足が止まる。

 

「いいから行け!!」


 大声で言われ、覚悟が決まった。


 満身創痍で愛刀を担ぎ、盾の列を潜りそのまま全力で走り抜けていく。

「陣列前にあり」

 まだ止まるわけにはいかない。 




 本陣までわずか50歩の距離で、馬から降り、立ち止まっている敵指揮官を発見した。

(何をしているんだ?)


 視界の先を辿ると、崖上の本陣が燃えている!

(すでに侵入してやがったのか!)

 崖の上から垂らされた真っ黒い縄梯子がいくつも見えた。


「終わりだな」そう呟いて、指揮官が歩き去ろとする。

 

 追いついたその背中に俺は呼びかける。

「こそこそ奇襲に来て、味方置いて逃げ出すと。 どうした? 玄関の鍵でも掛け忘れたのか? 帰る前に首だけ置いてけ」 


 俺の露骨な挑発に敵はようやく足を止め振り返った。

「ああん? 下等生物が何かいったか?」


 10歩の距離。にらみ合いは一瞬だった。


 互いに武器を構え、そのまま無造作に歩き近づいていく。


  

 魔力がもうほとんど無い。左の脇腹に受けた一撃の痛みで動きが鈍い。しかしこの距離なら勝負は一瞬で片が付く。 


 間合いに入った――。


 会敵する直前。 マントを払い死角を作ると、左手に仕込んだ全開の灼熱魔法を放つ。 

 敵は余裕を見せ、腕の一振りで至近距離からの魔法を払い飛ばすという常識外の行動に出た。そのまま俺が作った炎の残滓(ざんし)を切り裂き上段から斬撃を放つ。 


 ザンッ!!!!

 

 敵の一撃で左腕が飛ぶ。



「へへっ」

 俺は、自らの左腕を餌に本命の斬撃を返す。 確かな手ごたえがあり、ナイトウォーカーの左肩から抜けた刀がヘソまで割いた。


 俺の攻撃など全てたやすく躱す気でいたんだろう。


 敵指揮官は驚愕の表情で、下を見つめ固まっていた。

 視線の先にはナイフで地面に縫い留められた後足。


 刃先を殊更重くした特別なナイフを直前に打ち込んでやった。


(全部おとりだ馬鹿野郎。 人間を舐めたツケはその身で払うんだな)


「ざまあみやがれ」


 敵は血をゴボッと吐き、足を振ってナイフを抜くと、 

「ちっ。 人間風情が」

 そのまま、足を引きずりたたらを踏んで、後ろに倒れると動かなくなった。 




 グオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!


 来た道を振り返ると、天を焦がす炎の中、援軍に来たクーラカス達がいた辺りを、オーガの軍勢が雪崩れ込み蹂躙していた。


 真っ二つに割れた盾の脇、遠目に見える血だまりの中で仰向けに横たわるクーラカスの姿があった。


 俺はもうほとんど痛みも感じない。 ベルトを使って腕と脇を締め止血をするが、鼓動に合わせて失われていく血液。

 肘から先を失った。 


「……ふう。 終わりだな」




 単騎のオーガが俺に向かって、雄たけびを上げて迫ってくる。


(もう足が動かん)


 腹に騎乗の槍を受け、吹き飛ばされ小石のように地面を転がり崖に当たって体が止まる。

 


(もう十分だ) 

「……尋常な勝負だった」


 血にまみれたボロボロの体。やまない耳鳴りと虚脱感。戦いは終わりだ。



 思考と言葉に逆らって、体が勝手に進む。 ソルベールがいる崖の先に向かって。

 永遠とも思える時間をかけて、這い進んだ先で黒いロープに行き着いた。

 その上から垂らされた縄梯子を利用し片手で崖を這い上がる。 

 視界が狭い。 もう何も感じない。

 もう横たわり楽になりたい。 無意味だ。 絶対に不可能だ。

 それら思考に、体は頑なに従わなかった。

(……なぜ俺はこんなことをしてるんだ)

 一つ岩を上り、一つ張り出しを躱して、それでも上っていく。



『その言葉をお守りにして私はこれから頑張るから――。』

 あの日の言葉が突然胸に沸いた。


「――約束したんだ」

 途方もない時間をかけて俺は崖を越えた。



◇◇


 巫女の間に続く魔獣と護衛の騎士の亡骸の列の中に、伝令兵エディングスの死体が紛れていた。

 なぜこんな所にと考え、一瞬で答えに思い至る。

 「……ソルベールを守ってくれてたのか」


(俺は救いようのない馬鹿だ。 少尉の用事はこれか)


 予感を辿ってそれでも進む。 

 肩を壁に預け、足を引きずり、杖代わりの槍を頼りに一歩一歩。

 あちこちで怒号が聞こえる。 まだ兵士は戦っている。


 おびただしい戦闘跡と血塗れの通路の先、魔獣の死体の奥で、剣を握ったままこと切れた鎧姿の騎士。その背中で閉ざされたドアの向こうに俺は用がある。




 そこは、小さな蝋燭がともる静かな部屋だった。 

 ほとんど私物の無い棚に横たわる旅行トランク。 

 皺ひとつない真っ白なシーツが敷かれた大きなベッドの脇。 


 下を向き、壁に背を預け、座るソルベールがいた。  


 ゆっくりと近づき、彼女の正面に立つ。


「……会いに来たよ」


 ソルベールは、長いまつげを伏せたままで返事はない。

 

 俺はノロノロと、彼女の隣に腰掛ける。


 窓の外では、オレンジ色の光が瞬き束の間の静寂が訪れる。


 あの日のようだ。


 ふと見ると、ソルベールの半分開いた手の中に、白い猫の毛糸人形がいた。


 それを見て、俺も首から下げたお守りを取り出してみる。

 胸元から取り出した人形は、熱で溶け、黒く血に染まってなんだか分からなかった。

「……君に会いに来たんだ」

 涙は静かに流れる。


 炎と煙の中で。


 視界が霞み、そして闇に閉ざされる――。











◇◇◇◇◇◇◇◇



 やがては皆そこに立つ。いくつものやり方で。





 ゆっくりと目を開くと、柔らかな照明に照らされた一面乳白色の壁に囲まれたホールに立っていた。見上げた天井は白い光に溶け、眩暈がするほど遠くにあるような錯覚を生む。


 唐突をいぶかしんでいると、一枚の写真に行き着いた。



 どうやらここは、嘗て起きた私の知る出来事も扱っている写真館のようだ。そこにある全てが懐かしく、頭の中では昨日の事のように思い出せるそれらが、写真に写るとひどく昔のことのように思える。ずいぶん遠くへ来たのだ。いくつもの邂逅をへて、ここに行き着いたのだ。いつか求めていたように。

 

 やがて記憶を遡った先でどうしても思い出せない何かを掘り当てた。それはひどく大事なもので、どうしようもなく愛おしい物の様に思えた。だがやはり思い出せない。


 辺りをうかがうと、据え付けられたベンチに老人が一人佇んでいた。瞳を閉じ何事かを反芻するような穏やかな物腰で、その影に大きな満足と少しの未練が窺えた。


 私も隣に腰掛けて、ずいぶん長いこと、静かに思案していると、隣の老人が自分の膝を一つ打ち、では私は先に行きます。と残し大きな木製の扉の向こうに去っていった。老人は微笑んでいた。


 老人を見送り顔を上げた拍子に、ベンチの正面にも作品があったことに気づいた。

 

 何も入っていない(から)の額縁が一つ。

 

 立ち上がり近づいて、よく見てみる。


 プレートに書かれたタイトルは「右が左、下が上になった日」

 再び覗き込んだ先、空の額縁に嵌ったガラスに反射して映った自分の顔の隣に、穏やかに微笑む女性がいた。






「あなたが来るのをずっと待ってた」


 そして俺は振り返る――

 





ここまでお読みいただきありがとうございました。

少しでも楽しんでいただけたのなら、幸せです。

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