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6 夢の終わり


 ラース村への帰りの道は、ずいぶん空いていた。変わらず雑談に興じる二人。

 俺は、様々指さして、「あれは木だね。 あれは石。 あれは水たまりかも」と説明する。 

「都会のお嬢さんは、見たことなかったでしょ?」と、尋ねたら、ソルベールに肩を叩かれた。

 

 本当に何もない岩がちの道が続く帰り道、辺りの地理を教えたり、先ほどの港町の感想を言い合い笑ってすごした。


 しかし、あと林を二つ抜けたら、ラースの村の麦畑が見える所に至り、急にうわの空になってきたソルベール。 

 ソルベールに緊張されると、俺もつられてモジモジしてしまう。無言の時間がふいに訪れ、ブルン、ブルンと馬の鼻息だけが辺りに響いた。

 

 老馬は帰りの道だと知っているのか、ごきげんでパカパカ歩く。二人が遊んでいる間、停車場で散々食って昼寝を終えた我が家の馬は、休むことなく馬車を運んだ。


 おおよそ午後の4時半頃我がラース村に到着した。


 麦畑を通る間、御者席に座る若い女性に手を振って挨拶してくる隣人に会った。 帽子を目深にかぶったソルベールは、静かに目礼を返す。俺はなんでもないように手をあげ、あいさつを返してやり過ごす。

 村人への対応は事前にソルベールに、「狭い村に聖女の卵が来たとばれたら村長が祭りでも始めかねない」と言い含めていた。

 

 「無礼に見えないかしら?」と気にするソルベール。


 「恥ずかしがり屋の女の子ってみんな思うはずだよ」と、無理にでも納得してもらった。 



 青い実を付けたリンゴの木立を抜けると、杏子色の勾配屋根がようやく見えた。

 村の端にある我が家にたどり着いたのだ。 

 

「我が家に到着です。 お疲れ様」と俺。

 そして、俺は馬車から下りて、木戸を押し開け馬車を引く。 

「素敵なカントリーガーデンね」と、隣を歩くソルベール。


 母と姉の趣味が生きたことに感謝しながら、「おほめにあずかり光栄でございまする」と言う。 

 大きなナナカマドとつるバラの庭を抜け、とりあえず裏手の小屋に馬をつないだ。


 馬車の荷台からトランクを取り出し、ソルベールを案内する。

「こっちが玄関だよ」

 少し緊張してるかも。というソルベール。

「まぁ古いだけの家だけどゆっくりしていってよ」 

 ゆっくりうなずくソルベール。



 玄関を開け、俺が「ただいま」と言い終わる前に、どたどたと足音を響かせ姉が出迎えに来た。

 さっそくの粗相(そそう)がひたすら恥ずかしい。

(……たぶん土産をせびりに来たんだろう)


 そこにいたソルベールを見て一瞬固まった姉は、彼女を凝視し、「あらあらあら」と、まつげをぱたぱたさせてさらに近づいてくる。


「僕の姉のエマです。 こちらは同級生のソルベール」と紹介する俺。

「初めましてこんにちは、ソルベールと申します」と、落ち着いた所作で挨拶をするソルベール。

 姉は、「あらーー」と母を呼ぶ。 完全に人間の会話のやり方を忘れてしまったらしかった。


 奥から遅れて顔を見せた母は、挨拶を済ませると「まぁこんな田舎に素敵なお嬢さんがようこそお越しになりました」と余所行きの声で言う。


 慌ただしい玄関でのやり取りを終え、まぁ中へどうぞと、荷物を運び、ソルベールを居間のテーブルに案内した。

 


 お茶を運んで来た姉が席に着き、一つのテーブルを挟んでの3人の会話。

 同じ学園に通っていた一つ上の姉は、やはりソルベールの事を知っているようだった。

 姉は急に馴れ馴れしくなり、あれこれしゃべりだす。


 母はと言えば、一旦奥に引っ込み次に姿を見せた時には、お気に入りのおしゃれ着に身を包み、化粧をばっちり決めて戻って来て席に着いた。 

 そしてソルベールが聖女の卵であることを姉の口から紹介され、「あらあらあら」と今度は母がやりだした。 

 目元に手をやり天を仰ぐ俺と、フフフと笑うソルベール。



 俺をそっちのけで、女性陣であれこれ話だし、ソルベールを質問攻めにする。 ソルベールはニコニコ微笑みながら、楽し気な様子で返事をする。

 ちなみに家族から俺への質問は、姉の「馬の手入れはちゃんとした?」の一言だけだった。 

 絶対こうなると思ってたんだよ……。 ソルベールが気分を害していなそうなことだけが救いだった。


 姉とソルベールが仲良くしゃべっている姿に少しだけ嫉妬し、「ちょっと馬を見てくる。ゆっくりしててね」と彼女に言って泣く泣く中座した。 母と姉に頼むからお手柔らかにと目線で合図したが、こちらを見もしなかった。


 

 そして、俺は急いで馬小屋に行き、頑張った馬の世話をする。

 飼い葉と水を替え、体を拭き、ぼろ布で蹄鉄を磨く。 寝藁はこのままでも良さそうだと、判断し一目散にソルベールの待つ居間へ走った。


 俺が戻ると母と姉の前で椅子に腰掛け、だいぶ打ち解けた様子のソルベール。 お茶を入れてきてと姉に要求され、トホホとキッチンと居間を往復する羽目になった。


 あっという間に時間が経って、そろそろ夕暮れになる頃、父が農作業を終え帰って来た。

 玄関に立つ俺とソルベールを見て、目を見開き、ぎょっとする父。


 俺が紹介する前に、母が、「この子はソルベールちゃん。 聖女様なんだって」と横から一言。


「アクセル君の友人のソルベールと申します」と優雅に見えるやり方で自己紹介をするソルベール。


 父は「え!!」と一言発すると、ポカンと口を開け、動かなくなった。


 そして目元を覆い、なぜか静かに泣き出す父。


 全員があっけにとられ、そして時間差で家族3人大笑いした。 その横で、ソルベールだけすこし慌てておろおろしている。 

 父は恥ずかしそうにフフフと笑い、鼻を拭った後「何で涙が出たのかわからん」と言った。



 母から、「今日ソルベールちゃんが泊まって行ってくれるんだって」と聞いた父は、「何たる栄誉だ!」と感動しきりだった。


 そして父は腕まくりをし、普段やったこともないのに「ぜひとも料理を振る舞いたい」と息巻いて

ラース村唯一の自慢の自分で育てた野菜を抱えてキッチンに行く。

 

「それなら私も何か作らせてください」とソルベール。姉を伴い3人はキッチンに消えた。


 

 その間、母は『猛烈に、かつ、静かに』掃除と言う離れ業をやってのけ、キッチンの説明を終えたらしい姉は、ルンルンで、自分とソルベールが寝るためのベッドを整えに、シーツを抱えて歩いて行った。


 手すきになった俺は、風呂沸かしの魔道具に魔力を通すだけの簡単な作業を終えて、あっという間にまたやることが無くなった。

 キッチンにいる二人が作業する音を聞きながら椅子を窓際に寄せ腰かける。



 先祖が建てた広いだけが取り柄の古い家の居間に残された俺は、突然一人になった。



 ソルベールの持ってきたトランクの持ち手に下がった、毛糸の猫に気付く。

 そして俺は、ポケットの中にいた色違いの人形を取り出し、手の中でもてあそぶ。

 昼間に動物園の売店で買ったおそろいの品だ。


 そして黄色い猫をボーっと見つめるうち、周囲の音が静かになりだした。

 思考の渦が辺りを包み急速に迫る心臓の音が追いかけてくる。 窓から差し込むオレンジの光を顔中に浴びて――。





 明日でさよならを思うと、あまりさよならを考えられずにいた自分に気づいて驚く。それはとても弱い自分で、小さいときから変わらない自分の姿である。それが嫌で、憎んで、心の奥にしまっても、ふとした瞬間に意識させられ、肌がちりちりする焦燥に似た感覚をもたらす苦手な自分の姿だ。


 窓の外は、大きな入道雲の浮かぶ夕暮れで。泣いて許されるならそれで済ませたい最も醜い感情を生む空で。


 こんな日が来なければ思い出の中で、殆どの後悔と、少しの可能性と同義の夢を持っていられたのに。でも、こんな日に出会ってしまった。


 おそらく人生で二度とはない右が左になった人生の真ん中の日だ。

 俺は俺を殺したいほど憎んでいて、殺せないでいる自己愛を恥ずかしく思う。自分の定まらない立ち位置に反吐(へど)を吐き軽蔑していながら、立ち位置という概念そのものを蔑視(べっし)している。


 

 馬鹿野朗から順番に前に出ろ。 


 

 友達になろう。

 

 俺は、僅かしか生きてはいかれない人間と同じ心で居たい。




 嘘つきから順番に前に出ろ。 


 貴様がいることで、僅かしか生きられない人間が泣かずに生きていかれるこの世界で、人知れず死んでいく貴様らに、何も与えることができない、何も持たない俺の殆どをささげたい。


 力も勤勉さも情熱も献身も知らない丸裸の餓鬼の、無知故の純真と無価値ゆえの渾身の物語をあげたい。


 たぶんこれが最後の物語だ。太陽は西に沈む。そろそろ、料理が来たころだ――。



◇◇


 5人が座る食卓に、焼いたアジが5匹。 母が作った野菜のスープ。 父が作った会心の焼き野菜はは死ぬほど焦げ臭かった。 ソルベールが作ったケーキは、オーブンの中でモコモコした後、爆発したそうで少ししか残らなかった。


 奇妙な表情での5人の食事。 

 

 父とソルベールの料理を一口ずつ食べた姉が眉間にしわを寄せ一言。

「まだソルベールが卵でよかった。 聖女にこれを食べさせてたら教会から兵士が攻めてきてたわね」


 全員笑ってそれから賑やかに過ごした晩餐だった。




◇◇



 夜の帳が下りる。

 

 賑やかな虫の音の響く広葉樹の森を上った先、泉のほとりにソルベールと二人。


 散歩する間、お互い無言だった。山の灯は落ちると輪郭のボケた黒い塊になる。 手に持つランプの明かりを追って鬱蒼(うっそう)とした木立の最後の夜を抜けてここまでやってきた。 



 水面に映った風に揺れる銀色の月だけを見つめる。


 行くな! 好きだ! まさか言えない。


 手紙が来るまで1年何もしなかった男のセリフではありえない。

 

 どうして今になって会いに来てくれたの? 歯を食いしばり最後の意地で、この愚かで卑怯な一言だけは言わなかった。




「いつか会いに行くよ」

 果たせないと、想いながら。 


 そして彼女は――――







◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!


 唐突に怒号のような歓声が爆発する。


 驚き顔をあげ、周囲を見回すとそこは戦場だった。


 そこここでガンガン!!と、武器を盾に打ち付け、足を踏み鳴らし地響きに大地が揺れる。


 こぶしを天に突き上げ神への祈りを叫び、満身創痍の全兵が涙を流し(とき)をあげ、気焔が空に満ち渡る。


 アクセル伍長は、熱狂する兵の隙間を強引にかき分け、一歩一歩前に進む。

 押し戻され、尻餅をつきそれでも前に突き進む。息もできない人垣をくぐり、ようやく掲げられた籏先が見える位置まで来た。  

 そして隣の男の肩を掴みつま先立ちで演説台を見た。



 ――もうそこには誰もいなかった。


 

 白昼夢を見る間に、気付けば最後の祈祷は終わっていて、部隊は三々五々に解散を始めた。


 雨を吸ってぐちゃぐちゃになった大地に、おびただしい足跡だけが刻まれる。



(……結局タムの墓参りにも行けずじまいだったな)



 行き場の無い俺は、体中に薄く積もった灰を払いのけ、そのままいつまでもソルベールが居た演説台をぼんやり眺めていた。





 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

少しでも楽しんでいただけたのなら、幸せです。

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