2 会いに行くね
ソルベールから届いた突然の手紙。
「会いにいくね」と突然告げられたその日から――。
彼女を迎えに、港に行くまでそりゃあもう大変だった。
デートの楽しみの9割は、その献立で決まると信じてひたすらあれこれ調べまくった。
絶対に失敗できないと己に命じ、情報集めに準備!準備だ!と慌ただしくしてみたものの結局何をしたらいいかが分からない。
情報は、遍く全ての生物にとって重要なものだとは、誰も疑わない。大根を知らない者も、大根の桂剥きができるのは、桂剥きを知っているからであり、蜂がせっせと巣に持ち帰る花の蜜も、月明かりの海原のラッコの居眠りも、全て、本能に根付いた情報ありきなのは、自明だ。
しかしながら、まともなデートやエスコートなど、物語の中の言葉としてしか認識が無かった自分。
蜂もラッコもやってるはずのデートをろくに知らない自分。
そして、ぐぬぬと準備を考えるにつけ、前にタムから言われて、人生の教科書に付箋とアンダーライン付きで、注釈まで入れた一言があったのを思い出す。
「遊びに行くのに旅行本買わねえのかよ? 俺だって1冊かったぜ? 4ページだけど裏表刷りのやつ」
――ムカル山には、休憩所がある。
天へと続く階にも、終わりはあって、ただ、それがいつかわからない。そんな道だ。
ムカル山には、休憩所がある。
延々続く登山客の列の先の先に、頂上があって、その先で憩う瞬間をただ目指してひたすら歩き続けるというある種倒錯した時間がただそこにある。時間も、景色も、人の蠢きも、やがて慰めにならなくなる瞬間がある。
自身のイメージを超えた先、麓で見上げた雲の向こうの光景を目指すあの高揚も、いずれの一歩が運んだ現在なのか、疑う時間がやがて絶対訪れる。
過酷な旅だ。一歩をつないで必死に進み、もう戻れないところまで来てようやく気付く、まだ道半ば。痛む足、軋む体、凍える風に気力を削られそれでも前に進む道。
歩き続けた先、そして、見つけるのだ。休憩所の看板を。そこには、距離の表示があって、初めて成果を確かめる。報われぬ試みでないことを確信する。
荒れる足場が、体力を、厳しい気温が気力を、次第に無言が板につき、呼吸の音、足音も、風に消え、わずか一間歩のその先がわからなくなる疲労感が募る、瞬間がある。
「マイファーダ、マイファーダ、あそこに休憩所の薄明かりがみえるよ」
「子よ、あれは星を映した岩石の破片だ」
「マイファーダ、マイファーダ、あそこに休憩所の、人の憩う声が聞こえるよ」
「子よ、あれは地に打ち付けられた、杭くいの間、風にゆれるロープの軋きしる音だ」
「マイファーダ、マイファーダ、ここ休憩所だよ」「ホンマや。」
そうしてたどり着いた、売店で、誰しもが手に取り、刻印を撫でて、あるものは、故郷に錦と。あるものは、旅の友にと。長い、杖を、買う。
俺の兄も買った。ご他聞に漏れず、買ったのである。
買うのは、理解が及ぶ。買えば、どうなるか? 持って帰るのである。
「棒」である。帯に長く、タスキに長い、棒である。
家に帰った棒は、もはや杖ではない。無価値な、長い、棒である。
その無価値で、長い、邪魔な棒はどうなるか?
捨てられないのである。
5合目の刻印があるからか? 違う。
眺めて心を休めるのか? 違う。
触れて思い出す、決断の道に未練があるのか? 違う。
もはや、棒など触らない。話題にならない。思い出さない。
ではなぜそこにあるのか?
やがて、いつか、意外と、使うんじゃないか、と、思っているからである。
狂気の沙汰だ。嘘も休み休み休み休み休み言え。と、人は言う。
だが、一握の真実を知ったものは、それを捨てることに抵抗を感じるのである。そして、もはや思い出さなくなる日までそこに安置され、気付かずに消えるまで、そこにただあるのである。
そんな不幸な棒を、結構前に、梁を固定するのに使った。
いつだったかは、もちろん忘れた。
しかし、なんか棒ないかなあ、と思って探すと、都合をつける棒なんて、大都会たる我がラース村の道端には無いし、うちに来て初めて役に立った棒の、そのひと時、歴戦の古強者の糞意地を見た気がした。
そう、普段、大したことしないやつが、揚げた手柄は、意外と、記憶に残るものなのである。
今回の、タムに言われた「旅行本買えよ」が、まさにそんな感じで、心の片隅にあったのである。
そしてポツリと口に出す。「旅行本が欲しい」
問題はふたつ。 一、旅行本は50キロ先の王都で売っている。
二、そして金がない。より正確に言うと金がもったいない。
果たしてこの散財はソルベールを喜ばせることになるのか否か。たっぷり1分悩んだ末、旅行本をタムから借りていた。
舞い上がりすぎて忘れていた。タムのかつてのデート先と今回の小旅行の目的地が一緒だったことを。
こんなかんじで、前日までに荷造りと旅行計画策定を終えて、両親とタムから金も借りて、明日着る服を足元目立つ場所において、灯りを消して、夜10時、寝たのである。
そして日付変わって、午前0時。
目がギンギンである。
楽しみが、跳ね返って、心臓を抜けて、脊椎に跳ね返り、臓物のいくつかを、貫き、あるいはかすめて、目玉の裏で、楽しみが、ぐるぐるしていたのである。
振り返ってみても、たぶんこんなことは無かったと思う。少なくとも寝ないってのは、無かった。
笑えたし、呆れたけど、不思議では無かった。だから、その五分後には、藁のベッドを抜け出ていた。
旅装に着替え、すでに準備してあったバックパックを担ぐと、裏手の馬小屋に急ぐ。
そして我が家唯一の幌馬車に馬をつなぐと、先祖の墓に十字を切り、気付けば港に向かって走っていた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたのなら、幸せです。
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