1 明日終わる世界で
明日世界が終わる日の正しい過ごし方がわからなかった。
広大な野辺の中心に据えた演説台を、十重二十重に囲った戦士団の壁。その最後尾の縁辺に俺はいた。
農夫のアクセルが、スピリッツバーナー隊のアクセル伍長と呼ばれるようになり、気付けば、救世軍での生活も3年が経った。
生臭い曇天に、足首まで積もった、ねばつく灰の大地を振り返る。
枯れた森と民家を壊して積み上げたバリケード。無数の馬車が作った轍は、はるかイェジテの町の向こうから続く濁った小川を作っている。埋葬にあぶれた死体から物資をはぎ取る、亡霊さながらの補給部隊の女たちが土色の顔で大地を睨んでいた。
最高司令官に返り咲いたダガン将軍の演説も終わりの気配を見せていた。声などそもそも届いてこない。今年90ともいわれる最古参兵を引っ張り出して、無情な神へ必死に祈願を続ける景色に笑みをする。
矢尽き弓折れ矢羽根打ち枯らし、まだその先がある人類の業そのものに、体の底から笑みが浮かぶ。
俺の隣では片足のルパートが弟の肩を抱いてようやく立っていた。無事の戦士などそもそも居ない。
血染めの包帯を体中に這わせ、己の獲物を杖代わりに震える足を叱咤してようやく大地に立つ。
隊の残骸を固め合わせてどうにか軍事組織の体裁を整えているにすぎないことは、モザイク画のようなバラバラの隊旗を見れば明らかだった。
かたわで済めば御の字で、後送され晴れて堅気の暮らしに戻れた時代はとうに過ぎていた。
ポーニー川のこちらに残った全軍を糾合してようやく集めた諸家連合も、最後の戦いを前にして、吹き付ける乾いた風の音にさえ満たぬ士気。王都陥落を皮切りに、敗戦続きの陣中に、傷兵のしわぶきと、そここであがるうめき声こそ、あるいは大軍の活気と嘯く。
あちこちで天への抗議の音がする。
鼻をならし、地面に唾を吐き、咳払いの連鎖。
まだ生きている音がする。
ようやく2000の戦士団。地獄の撤退戦を半年貫き通し、30万ともいわれた王国のつわものは、千切れ、吹き飛ばされて人の形を失った。今この瞬間も救護所では次々命が失われているだろう。
軍編成の致命的な偏り、指揮系統の深刻な分断。士官不足の軍中にあって機動的な作戦行動などもはや無い。そもそも軍装さえもまちまちだったが、敗軍の糞意地だけで兵士はそこに立つ。
そして己がこれから行う仕事だけは心得ている。
併せて2000の纏う風格は、子供も老いぼれもいずれ古参兵のそれ。
モクタヴァー陛下の豪奢な天幕からはついぞ誰も現れず、わずかに残った近衛兵ももはや最高指揮官不在を隠そうとさえしなかった。
去るものは去った。生きるべき人はあらかた死に、死すべき者は危険な武器を研ぎ澄ませ山と待ち構えている。
あらゆる感情を経た後。諦念の先。それでも戦士は立っているのだ。
見上げた鈍色の空と、北風に舞う灰。100万の王国民の命そのものが宿る灰。そして近づく終わりの時の予感。
終いにフォーティナイナーは現れなかった。
(最後にふさわしい景色だ)
神が見放した世界だったがその日初めて心が穏やかだった。
◇◇
3年ぶりに見たソルベールはただ綺麗で、もちろん言葉を交わすことなどできやしなかったが、遠くから彼女の演説を聞く間中考えていたことと言えばやっぱり昔のことばかりだ。
――魔軍襲来より3年。ありとあらゆる事象は転変した。
言っても誰も信じやしないだろう。片や農夫、片や巫女。考えつかないほど昔の記憶、俺とソルベールは、同学年の学生同士だった。
金の髪に真っ白なローブを纏い、円環のオリーブの髪飾りをつけた戦場の乙女。
全兵が、憧れと隠しようのない情欲に塗れた視線を注ぐ天が遣わした救世の巫女。
彼女と最後に会った日。
あの日、俺たちは確かに会っていたんだ。別れの予感と目を覆いたくなるような現実の狭間、そして逃げ出したあの日。3年と少し前の記憶。
考えると大声が出そうになる。今では夢の中の奇跡と同義の、失われた輝かしき記憶。
右が左、下が上になった日。
誰しもにほんのたまにある、きっとあることになる日が俺に訪れた記録。
荒れた視界一杯の荒野をただ1人耕し、手のタコと黄ばんだ丸首を誰に披露することなく、「それ」を喜びにする男を夢見ながら、先祖が残した美しい畑を管理し、日暮れに酒を飲む男にもご他聞に漏れずやってきたのだから、おおよそたくさんの人にも訪れる、そんな日。ほんのこの前、僅か3年という永遠にも似た想念の隔たりの向こうにある日の楽しかった話――。
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