心に架かる橋
実際にある島や町、そこで生きる人々の生活をモデルにしています
第六回宮古島文学賞一次選考通過作品になります
もうすぐあの島に橋が架かる。
ある日の朝見たニュースに、なぜかひどく胸がざわついた。いても立ってもいられなくなって、気がついたら有給休暇を取って飛行機に飛び乗っていた。生まれた島へ。育った島へ。十五年前に離れて以来、一度も戻ったことのなかったあの島へ行かなければならないと、何かが僕を駆り立てたのだ。
帰ってきた。
船を降り、港で強い潮の香りに吹かれた瞬間、そう思った。十五年ぶりに降り立ったこの島の匂いは、何も変わっていなかった。
無論、大きな変化もあった。漁港と共同使用していた客船の発着場は独立し、少し離れた場所に専用の綺麗な浮き桟橋となっている。潮の満ち引きに合わせて専用の階段を使ったり、年配の方や子どもを船員が手助けして乗り降りさせなくとも、今は楽に乗下船ができるようになっていた。以前発着場があった方向を見ると、総合センターと呼ばれていた大きな建物がものの見事になくなっており、見晴らしが大層良くなっていた。そういえばあの建物はどのような用途を目的として作られたのだろうか。桟橋の目の前に面した道路から入る一階部分は駐車場のようになっていて、空いているスペースは船の切符売り場や荷物置き場として使われていた。
建物は坂道の下に建てられており、階段を上る、もしくは建物をぐるりと迂回するように通っている道路から回り込むことで、二階部分に進むことができた。そこには確か事務所のような施設と、小さな喫茶店があったのを覚えている。三階より上の部分にはほとんど行ったことがなかったが、一度だけ大きなホールで結婚式を挙げているのを見たことがあった。
昔の景色をまぶたの裏に描きながら、浮き桟橋から島へと乗り移る。桟橋の接続部分からはアーチ屋根の架かった歩道が整備され、待合い所へと続いていた。歩道に沿ってタクシー乗り場も作られており、だいぶ便利になったものだと思った。
さて、いつまでも感動してはいられないと、荷物を持ち直す。誰にも連絡せずに来たため、迎えはいない。いや、この島に連絡を取り続けていた人はいなかった。十年前に祖父が亡くなるまでは。その祖父も東京の病院で長期入院の末に天寿を全うしたので、葬儀も当時僕たちが住んでいた東京で行われ、伯父さん――こちらもやはり島外に住んでいる――が仏壇も引き取って行ったため、島に戻ってくる機会もなかったのだ。
まずは荷物を置くために一度祖父母が住んでいた実家へと行かなければならない。電気やガス、水道などは定期的に伯父が家のメンテナンスのため帰っているので、契約は切れていないとのことだった。集落の東側、坂の上。記憶を辿りに港から果てしなく続いているように見える坂道に向けて、足を踏み出していく。
「大和、大和あらんな?」
実家の近くまでようやくたどり着いた頃、後ろから突然声をかけられ少し驚いた。
「おかえり、大和。みーやみーんむぬい」
振り返ると一人のおばあが立っていた。見覚えは、もちろんある。近所に住んでいた同級生のおばあだった。
「シゲおばあ。久しぶりだけど変わらないね」
「あんたはいっぱい変わったね。あがえー、じゃうにしゃやがまになって。あれ、帰ってきたら最初に言うことがあるんじゃないか」
その言い方にちょっと笑ってしまった。おばあは変わらない。昔から、挨拶や礼儀には厳しい人だった。シゲおばあの孫、僕の友達だった佐久川孝一と一緒によく怒られたものだ。
「ただいま、おばあ。んなまどったいど」
うんうん、とシゲおばあは満足そうにうなずいた。
「荷物を置いて休んだら夜はうちにおいで。食べるものは何もないでしょう、いる間は毎日食べに来たらいいさあ」
とてもありがたい申し出だった。二、三日ほどは滞在する予定だったので、食事はどうしようか少し悩んでいたのだ。外食できる場所もあるにはあるが、さすがに毎日はちょっと抵抗がある。コンビニができているらしいので、どうしようもなければそこにお世話になればいいと考えていた。
「ありがとう。じゃあ後から行くね。そういえば、孝一は元気?」
小学校卒業と同時に東京へ出てからは、島の同級生とは一度も顔を合わせたことはなかった。またいつか帰ってきても、変わらずに楽しくやれると思っていた。一番仲の良かった孝一とは何度か電話をしたが、高校に上がる頃からは連絡を取っていなかった。
「あれは……孝一はアメリカに行ったよ。成人してすぐだったから、もう七年になるかねえ」
孝一の名前を出した途端、おばあは少し寂しそうな顔になった。そんな遠くに行ったのなら仕方ないなと思うと同時に、とても驚いた。大きくなったらアメリカに行く、というのが小学生の頃の孝一の口癖だったからだ。あるときアメリカに言って何をするのかと問うたことがあった。すると孝一は得意げな顔でこう答えたのだ。『アメリカで金持ちになって、儲けたお金で島に橋を架ける』と。
「でも年に一回は帰ってくるし、寂しいけど仕方がないさあねえ。はい、あんたは来たばかりで疲れているでしょう。早く帰って休みなさい。夕飯は六時には食べるから、それまでにはおいでよ」
孝一のことを思い出して少し黙ってしまった僕を気遣ってか、そう言い残しておばあは手を振りながら歩いて行った。
島に橋を架ける。それがどれだけ大変なことなのか、子どもの僕らは全くわかっていなかった。ただ、大人達の熱意は本当にすごかった。隣の島まで一番近い場所でも約五キロメートル。この小さな島に、日本で最も長い橋を架けようとしていたのだ。当時……今もだが、この島から外に出るのは船が一般的な手段だ。でも海が荒れれば船は出せないし、夜中に急病人が出ても大きな病院がある隣の島まですぐには行けない。買い物だって一苦労だ。もちろん島内である程度済ませることはできるが、それにも限界がある。島の発展を願うなら、どうしても橋を架ける必要があった。
『橋を架けるにはお金がやぐみだうかかるだら? だったらばんが稼いでくるからそれを使えばいい』
あの頃孝一は、きっと本気でそう考えていた。行き先がアメリカなのはよくわからなかったけど、たぶん金持ちの国というイメージがあったのだと思う。とてもわかりやすい、単純な夢だ。でも、あの頃はみんなでその夢を見ていたのだ。子ども達はどんな橋が架かるのか、いつ頃できるのかを楽しみに橋の絵を描き、大人達は職場で、道端で、酒の席で架橋実現について熱く語り合っていた。だから自分もみんなの力になりたいと思っていたのだろう。
両親がいなかった孝一は、シゲおばあと今はもう亡くなってしまったおじいに育てられた。失礼な言い方になってしまうが、お世辞にも裕福とは言い難い生活だったと思う。でも、孝一の家に遊びに行くと、いつも近所に住んでいる誰かが何かを持ってきてくれていた。向かいに住んでいる漁師のノブおじいはその日に獲れた魚を、大きな畑をいくつも持っているマサ坊おじさんはイモやカボチャ、ニガウリなど季節の作物を、自宅の裏で鶏を飼っているさっちゃんおばさんは卵や潰した鶏の肉をと、みんなが笑顔で置いていくのだ。そんな環境で育ったからこそ、孝一は島のためにという思いが人一倍強かった。周りに支えられていることを幼いながらに理解していたに違いない。大きくなったらみんなに恩返しをするのだと、よく言っていた。
そんな懐かしいことを思い出しながら久しぶりにやってきた実家の換気と掃除を進める。半年に一度は伯父さんが来ているとのことで、さほど汚れてもいないし空気も悪くない。正直窓を開ける以外にあまりすることはなかった。今夜使う布団を干したぐらいか。賃貸に出したりはしないのかと聞いてみたが、小さい家は道路にも接していない上に駐車場もなく、法律的に建て替えもできないのでたまに来て泊まる場所にするぐらいがちょうど良いとのことだった。この島には、そんな家がたくさんある。車も入らないような細道の奥や、海岸から上がってくる途中の階段しか道がないような傾斜地など、こんなところに一体どうやって、と不思議になるような場所にブロック作りの住宅が密集している。昔の人たちは登記がどうとか特に考えずに、作れる土地にとりあえず建ててしまっていたのだろう。離島のため、なんでも自分たちでやってしまうがゆえの弊害だったのかもしれない。そしてうちも例に漏れることなく、建築基準を満たしていない場所に見事家を建ててしまったというわけだ。
「まあ、あまり大きすぎても管理が大変だろうし、小さな家で家族とぎゅうぎゅう詰めに生活するのも嫌いじゃなかったかな」
ぽつりとそんなつぶやきがこぼれてしまっていた。独り言が出るのは僕のあまり良くない癖だとわかってはいるが、そう簡単に直せるものでもない。それにどうせここには一人しかいないのだ。黙っていると声の出し方を忘れてしまいそうになるしと心の中で言い訳をする。
「大和! 今日の夜はばんちのやーでおじい達がうぐなーりると言っていたから、あんたのおとうも来るはず。一緒に来て遊ぼう!」
学校の帰りに、孝一がそんなことを言ってきた。めずらしいことでもない。週に一度は近所の大人達がどこかの家に集まって酒を飲む。そこについて行って孝一と遊ぶのもまた、いつも通りのことだった。みんなが話している内容はよくわからなかったけど、つまみやジュースをちょろまかして孝一と部屋の隅でおしゃべりをしたり、一緒に席についてちょっと大人の気分を味わうのは楽しかった。
「八時ぐらいか?」
「それぐらいだはず。宿題も一緒にやろう」
さてはそっちが本命かと少し笑ってしまった。孝一は勉強があまりできる方ではなかったけど、宿題や課題はいつも真面目に取り組んでいた。
と、そこで気がついた。これは夢だと。気づいた瞬間、夢の中の自分が自分でなくなった。意識が空に放り投げ上げられ、起こっていることを見下ろす形になった。視点は違うが、まるで映画を観ているようだった。やがて僕と孝一がそれぞれの家に帰ると、急にシーンが切り替わった。
「大和、この問題がわからん」
どうやら夜の飲み会の席らしい。大人達が酒を飲んでいる部屋の片隅で、僕と孝一はうつぶせに寝そべって算数のプリントを広げていた。
「分数の割り算はひっくり返してかければいい」
孝一のプリントをのぞき込んだ小学生の僕は、そういう風に説明している。
「ひっくり返してかけるのはわかるけど、なんでそうするのかがわからん」
どうやら孝一は解法は理解しているが、なぜそういう解き方をするのかがわからないようだった。僕もそう言われて返事に詰まり、一緒にうんうんと頭を抱えている。
「孝一、これは明日先生に聞いてみよう。考えてもわからんものはしかたがない」
二人で十分ほど悩んだ末に、問題は解くが解き方の謎は持ち越し、と言う結論に至った。時折鉛筆を止めながらも、少年達は宿題をどんどん進めていく。
「勉強は終わったか? 未来の先生方」
あらかた宿題を片付けたあたりで、良い感じに酔っ払ってきたおじさん達が絡んでくる。これもいつものことだった。絡むと言っても悪い絡み方をするわけではなく、話の輪に入りやすいようにと引っ張ってくれるような心遣いだった気がする。
「終わった!」
最後の問題を解き終えた孝一が叫んで立ち上がる。出来はさておき全ての設問を埋めたプリントを握りしめてランドセルへと放り込み、満面の笑みでおじさん達が集まっている座卓の端っこに陣取った。
「今日はもう勉強終わり!」
疲れたとばかりに大げさな伸びをする孝一の頭を、隣に座っているヨシおじさんがくしゃくしゃと撫でる。
「えらい! おじさんが褒美をあげよう」
そう言って酒と一緒に並んでいたコーラの缶を僕と孝一の前に一本ずつ置いた。ヨシおじさんはいつもこうやって宿題が終わった僕らにお菓子やジュースをくれていた。シゲおばあからはあまり甘やかすなと言われていたらしいが、酔っ払ってしまっては怖いものなど何もないようだ。
「じゃあ今日も大和先生と孝一先生の話をみんなで聞こうか」
そうして大人達は僕らに橋のことを話させるのだ。子どもの話など聞いても、と思っていたが、おじさん達からしてみれば夢を語るのに年齢は関係なかったのかもしれない。そして孝一がまかせておけと立ち上がるのもいつも通りだった。
「大和、そろそろサシバが来るはず」
と、また急に場面が切り替わった。小学校の校庭だろうか。日が傾きかけているためおそらくは放課後、僕と孝一は遊具代わりになっている大きな古タイヤに腰掛けて、グラウンドで練習している野球部を眺めていた。毎年、この島には寒露の頃になるとサシバがやってくる。暖かい季節に本土で繁殖し、寒い冬を越すために南の方へ渡っていくのだ。その際、この島が中継地点になっているらしく、秋の渡りには大きな群れを見ることができた。
「おじいが言っていた。早ければ今日には来るって」
孝一は空を見上げている。サシバは夕方、日暮れの前に降りてくることが多い。早い群れは昼過ぎにはやってくるが、ピークは放課後である今ぐらいの時間だろう。毎年見ているので特別珍しいというほどでもないのだが、強く吹く北風に合わせてやって来るサシバは、秋の到来を告げるものという印象が強い。長い夏の終わりをようやく感じられるようで、僕はサシバの時期をけっこう気に入っていた。
「あれサシバじゃないか」
孝一と並んで空を見上げていた小学生の僕が空を指さす。その方向には確かに小さな鳥影が舞っていた。いや、サシバはけして小さな鳥ではない。居付きの鳥と違って高く飛んでいるので小さく見えるだけだ。
一羽を見つけたらあとはすぐだった。二羽、三羽とどんどん増えていく。上空に集まってきたサシバたちはくるくると旋回し、降りていく林を探している。
「来た、来た! サシバだ! おーい、サシバが来たどー!」
孝一が大声でグラウンドの野球部にサシバのことを伝えている。それを聞いた野球部員や監督はみな練習の手を止め、一斉に空を見上げた。サシバの群れはもう数十羽まで増えており、数えるのも大変なほどだった。
「大和、おじいが言っていたけど、昔は数え切れないぐらいサシバがいたって」
その話は僕も聞いたことがある。昔はサシバがやってくると黒い布を引いたように空が埋め尽くされていたらしい。木の枝を頭に乗せて座っていると、そこにサシバが止まる、という笑い話もあるぐらいだ。
「隣の島まで繋がるぐらい群れが続いていたから、昔の人は『たかばしら』と呼んでいたみたいだい。こんなに減ってしまっているけど、ばんちゃが大人になってもサシバはまだこの島に来てくれるかい」
サシバを見つめながら孝一がそんなことをつぶやいた。年々減っていくサシバが心配なのだろう。このままではいなくなってしまうのではないかという気持ちは僕も同じだ。毎年、少なからずこの季節を楽しみにしているのだ。
「わからん。わからんけど、秋には毎年来てほしい」
「見ておけよ、大和。ばんがこの先何十年、何百年でもサシバが飛んでくる島にするから」
夢の中の僕はどうやって、とは聞かなかった。孝一が大口を叩くのは、決まって島のためになることを言うときだ。それができようとできまいと、孝一の志に水を差したくないという気持ちだったのだろう。
「言ったからい。まかせたど」
「まかせてないで手伝えよ」
そうして二人で笑い合う。好き勝手にものを言えるのは子どもの特権だなと、まだ大人になりきれてもいない僕は思った。
「おじい、おはよう!」
次の場面は昔の孝一の家だった。朝だろうか、家の庭に小さな椅子とテーブルを置いてコーヒーを飲んでいる孝一のおじいに、子どもの僕が挨拶をしている。天気が良い日にはおじいはこうやって朝夕庭でコーヒーを飲むのを習慣にしていた。
「おはよう。孝一はまだ準備しているから座って待ちなさい」
おじいは手振りで向かいの椅子を勧めてくれる。その席にはいつも通り、僕の分の麦茶が用意されている。おじいと一緒にお茶をしながら朝が苦手な孝一を待つのが僕の日課だった。二人でのんびりしていると、道の方から向かいに住んでいるノブおじいが手を振っているのが見えた。
「栄徳あじゃ」
栄徳はおじいの名前だ。僕から見たら手を振っているノブおじいも年齢はそう変わらないように見えるのだが、ノブおじいは孝一のおじいとおばあを栄徳あじゃ、シゲあにと呼んで慕っていた。
「ノブ、きゅうやゆくいーどぅーいがやー。じゃうどぅきゃがまど」
「じゃうどぅきゃやいすが、波ぬ高かいば、船ぬいだはりん」
そう言ってノブおじいは笑いながら散歩、散歩と歩いて行った。おじいたちの使う方言は難しい。何を言っているのかはだいたいわかるが、自分ではなかなか話せない。僕たちはせいぜい知っている単語を会話に交ぜて使う程度だ。年寄り達も子どもと喋る時には方言を控えているように感じる。子どもが島から出たときに困らないよう、なるべく標準語で話していたのかもしれない。昔は方言が使用禁止になっていた時期もあったそうなので、いろいろと事情があるのだろう。
「大和、おはよう!」
ノブおじいが行ってすぐに、孝一が家から飛び出してきた。シゲおばあも一緒だ。まだ遅刻するような時間ではないが、早く行くに越したことはないのだろう、僕もランドセルを担いで立ち上がる。
「おばあ、孝一、おはよう。行ってきます」
「はい、おはよう。二人とも行ってらっしゃい。かりゆしゃがまーひぃかないーくーよ」
僕たちが出かけるとき、シゲおばあは必ずこの言葉をかけてくれていた。方言のおまじないのようなものだ。たくさんある方言の中で、僕はこの『かりゆし』という言葉が特に好きだった。直訳するなら元気で、安全に、といった意味だ。シゲおばあが行ってらっしゃいとともに使うこのフレーズには、相手を思いやる気持ちであふれているといつも感じることができた。
「行ってきます!」
僕の隣で叫び返す孝一に、おじいも手を上げている。そして、僕と孝一は並んで駆け出すのだ。それが当たり前に続いていた朝の光景だった。
差し込む西日のまぶしさに目を開ける。いつの間に寝てしまったのか全く覚えていなかった。家に着いたのが昼過ぎだったが、もうすっかり日が傾きかけている。掃除やらなにやらを考慮してもたっぷり二時間ほどは寝ていただろう。
「孝一の夢なんて何年ぶりだ」
正確には夢ではなかった。あれは実際僕が過去に経験したことだ。完全に覚えているわけではないけど、ああいった感じの出来事があったな、というぼんやりとした記憶はある。この島に帰ってきて、懐かしい人に会ったことで、無意識に昔のことを掘り起こそうとしているのかもしれない。
「六時って言ってたっけ」
時計を見ると五時少々過ぎたぐらい。多少早く行っても問題はないだろうと、戸締まりをして家を出ることにした。手伝えることもあるかもしれないし。たぶんおとなしく座っていなさいと言われるだろうけど。そんなことを考えながら立て付けの悪くなった引き戸を閉め、東側に建っている二軒隣の家の扉を叩く。
「おばあ、来たよ」
我が家から孝一の家まで徒歩で三十秒。これがこの島の距離だった。集落の端から端まで歩いてもせいぜい三十分程度。この感覚は、東京ではとても考えられない。
「はい、おかえり。ひゃーむぬい」
声をかけると、台所からシゲおばあの返事。夕飯の準備をしているようだ。
「上がっておいで。先に仏壇に手を合わせてきなさい」
「うん、ただいま」
靴を脱いで家に上がる。昔は長く見えた廊下も、今ではそれなりだ。玄関から上がってすぐ右の部屋が仏間だったはずだと十五年前の記憶を引っ張り出す。
「ただいま、おじい。今帰って……」
開けっぱなしになっているふすまをの戸をくぐり抜け、おじいに線香をあげようとして仏壇を見た瞬間、言葉を失ってしまった。
仏壇には、おじいの写真と一緒に孝一の写真が並べられていた。僕の知っている子どもの姿ではないが、それは間違いなく成長した孝一の顔だった。おそらく今の僕より少し若い。二十歳前後だろうか。あの頃と同じ笑顔で仏壇にいる孝一を見て、頭の中が真っ白になった。
「なんで……孝一、アメリカに行ったんじゃ……」
思考が麻痺する。シゲおばあはさっき孝一は七年前にアメリカに行ったと言っていた。年に一回は帰ってくるとも。じゃあこの写真は、遺影はなんなのだ。シゲおばあは呆けてしまっているのか? いや、もしかしたら、父親か、僕の知らない孝一の兄なのかもしれない。親兄弟の話は聞いたことがなかったが、知らないだけでどこかにいるのかも……。
「……まと! 大和!」
どれほどの時間そうしていたのだろう。気づいたらシゲおばあが大きな声で僕の名前を呼んでいた。
「大和、どうしたか。まだ疲れているか? あんた、顔色が悪いよ」
心配そうにこちらを見るシゲおばあの目にはちゃんと輝きがある。痴呆が始まっているようにはとても見えない。何より、孝一がまだ生きていると信じているなら、仏壇に写真を飾ったりはしないだろう。だから、単刀直入に聞いてみることにした。そもそも、僕も頭がどうにかなりそうで、遠回しな聞き方なんてできそうになかった。
「シゲおばあ、なんで孝一の写真がここにあるの」
「さっきも言ったさあ。孝一は七年前に……」
一瞬眉をひそめたシゲおばあだったが、合点がいったように言葉を止めた。
「あんたはアメリカに行く、という言い方を知らなかったみたいだね」
「だって、孝一は昔からアメリカに行くとずっと言っていたから」
僕の言葉にシゲおばあは大きく首を振った。
「孝一は七年前に亡くなっている。ごめんね、おばあの言い方が悪かったね。最近ではあまり聞かなくなったけど、この島では人が亡くなることを『アメリカに行った』と言ったりするんだよ」
初めて聞いたことだった。島にいた頃はまだ子どもで、冠婚葬祭に関わることがほとんどなかったからなのかもしれない。また、わざわざ子どもに誰それが亡くなったとかそういう話をする大人もあまりいないだろう。だから僕がそういう言い回しを知らなくても不思議はなかった。でも。
「でもおばあ、なんでそんな言い方をするの」
「なんでかねえ。……アメリカは遠いところさあ。昔の人からすれば、行ってしまったらもう帰ってこられなくなる場所だったはずさあね。だからもう会えない人のことを『アメリカに行った』と言うのかもしれないね」
寂しそうにつぶやくおばあの言葉に、どうしようもない喪失感があふれてきた。孝一がもうこの世にいないということを全く実感できない。栄徳おじいが亡くなったことは当時まだ島に住んでいた僕のおじいから聞いたし、東京の病院でおじいを看取った時もこんな気持ちにはならなかった。おそらく、順番通りでないことに心が追いついていないのだろう。また、若い友人を失っていたことに気づいていなかった自分自身に対する怒りもあったのかもしれない。
「じゃあ、孝一が年に一回帰ってくるって言うのは」
「盆にはあっちに行った人もみんな帰ってくるからね。孝一は優しかったから、おじいの荷物も自分の杖に提げて、一緒に帰ってきているはずさあ」
シゲおばあは仏壇を撫でながらそう言う。僕も改めて仏壇に向き直り、今度こそおじいと孝一に線香をあげた。
「アメリカに行く、とあれだけ言っていたのに、ちがった意味で行ってしまったんだな」
手を合わせながら、思わずそう漏らしてしまっていた。しかし、皮肉なものだ、という僕の考えは、シゲおばあによって破られた。
「そう、孝一はずっとそう言っていたね。あれは……高校を卒業して本当にアメリカに行ったんだよ」
シゲおばあの言葉には、それほどの驚きはなかった。意味は違っていたがアメリカに行ったと聞かされるのが二回目と言うこともあるし、やっぱり行っていたか、という気持ちが強かった。有言実行を旨とする孝一は、ずっと変わっていなかったのだ。
「高校でアメリカ人の先生と仲良くなって、向こうで働きたいとずっとお願いしていたみたいだね。勉強も真面目にやって、卒業する頃には英語もペラペラだったさあ。方言より上手だったんじゃないか」
当時のことを思い出したのか、苦笑しながらシゲおばあはそう言った。
「そして、卒業と同時にその先生の知り合いを訪ねてアメリカに行ったわけさ。お金をいっぱい稼いで帰ってくるから待っていてと言っていたねえ。でも、成人式で一度帰ってきたときにね、式が終わって、アメリカに戻る途中だったね。空港に向かっているときに事故に遭って、それでいってしまったわけさあ」
シゲおばあの言葉ひとつひとつが胸に突き刺さっていくようだった。もっと連絡を取っていれば、多少顔を出す程度でも島に帰っていればという気持ちでいっぱいになる。帰れなかったのではなく、帰らなかったのだ。実際、多少無理をすれば短期間の帰省は可能だっただろう。それどころか、連絡もしていなかったのだからなにも言い訳はできない。もちろん、連絡を取っていれば孝一が生きていたかと聞かれたらそうではない。でも、友の死を何年もの間知ろうとしなかった自分がどうしても許せなかった。
「大和、あんたが気にすることじゃないよ。新しい生活が始まったらそれに合わせて行くのは大事なことさあ。だから、島のことを置いてけぼりにしたとか、忘れていたとか、そんな風に考えてはいけないよ」
黙ってうつむいてしまった僕を、シゲおばあは慰めてくれる。が、割り切れない思いはどうしても残ってしまう。生まれたばかりの後悔は、すぐには消化しきれない。
「はい、ひどい顔をしているよ。外の空気を吸ってきなさい」
シゲおばあが僕の背中をどんと叩いて仏間から追い出す。確かに一度深呼吸でもして気持ちを落ち着かせた方が良いだろうと、玄関に向かった。靴を履いて外に出た瞬間、後ろからシゲおばあの声がした。
「かりゆしゃがまーひぃかないーくーよ」
あれ、と思って振り返ると、今出てきたばかりのはずの家の扉が閉まっていた。それどころか、さっきまで全開になっていた窓も雨戸が閉め切られている。
「え……」
ドアノブをつかんで回してみても、鍵がかかっているのか扉は開かない。どうして。さっきまで中にいて、シゲおばあと話をしていたのに。わけがわからずに呆然としていると突然声をかけられた。
「誰か、ここで何をしている」
驚いて声をかけてきた人物を見て、もう一度驚いた。
「ヨシおじさん!」
「んん? ……もしかして大和か?」
記憶の中の姿からは多少年を取っているものの、見間違うはずもない。いつも僕たちにお菓子やジュースをくれていたヨシおじさんだった。
「みーやみーんむぬい。いつ帰ってきた。あがえー、じゃうにしゃやがまになって。して、なんで自分の家じゃなくて佐久川の前にいるか」
ヨシおじさんの疑問はもっともだと思った。僕だって自分でも今何をどうしているのかわからずに混乱しているのだ。どう話したものかと困っていると、ヨシおじさんは僕の方をじっと見てつぶやいた。
「シゲおばさんのあっじゅうたいくとぅや、まーんてぃあたりーどぅーい」
「シゲおばあが何か言っていたの?」
「……いや、それはあとで話す。あんたはいつ帰ってきたか。島に何か用事があったのか」
シゲおばあの話は気になったが、なるほど、まずは僕がここにいる理由を説明しなくてはヨシおじさんもすっきりしないだろう。僕はどうにかこうにか、島に帰ってきた理由と、さっきまでの出来事をヨシおじさんに話した。
「…………」
僕の話を聞いたヨシおじさんはしばらく腕を組んで唸っていたが、やがて意を決したようにポケットから鍵を取り出し、孝一の家の扉を開けた。
「大和、入りなさい。話は中でしよう」
そう言って僕を促すと、さっさと中に入って行く。どうしてヨシおじさんがこの家の鍵を持っているのか不思議だったが、とりあえず言われたとおりに後に続く。ヨシおじさんは中に入るとそのまま僕がさっき出てきたばかりの仏間に入っていった。
「さっき手を合わせたのはおじいと孝一にだけか?」
「うん」
「じゃあ、もう一度手を合わせなさい」
よくわからないことを言う、と思ったが、仏壇を見た途端に今日何度目かもわからない衝撃に打たれた。さっきはおじいと孝一のものだけだったはずのそこには、シゲおばあの遺影も一緒に置いてあったのだ。固まっている僕の肩に、ヨシおじさんが後ろから手を乗せる。
「大和、落ち着いて聞きなさい。シゲおばさんは……シゲおばあは先月に亡くなった。明日が四十九日だ」
嘘だ、という気持ちと、自分を納得させようとする気持ちが胸の中に広がっていった。冗談でこんなことを言う人ではない。ましてや、大好きだったはずのシゲおばあのことで。そう、栄徳おじいとシゲおばあはみんなから本当に慕われていた。あじゃ、あに、おじさん、おばさん、おじい、おばあ。近所の人はみんな家族のようにそう呼んで、佐久川の家に集まっていた。
「シゲおばさんは、亡くなる前に言っていたさあ。自分が死んだら四十九日までには大和が必ず帰ってくるから、面倒を見てあげてと。だからあんたの家を気にするようにしていたけど、本当に帰ってきたからたまがりたど」
「じゃあ、さっきまでここにいたシゲおばあは」
「……もしかしたら、あんたが帰ってくるのを待っていたのかもしれんね。四十九日が終わったらあっちに行ってしまうから、それまでに顔を見ておきたかったんじゃないか」
後ろに立っているヨシおじさんの顔は見えないけど、少し鼻声になっているのがわかった。僕もとっくに目の奥が熱くなってきている。
「シゲおばあは、佐久川のみんなが行ってしまったことを伝えるために、お別れを言うために僕を島に呼んでくれたのかな」
「そうかもしれん。あんたのことを本当に大事に思っていたから、亡くなるまで心配だったはずね。でも大和、さっきシゲおばさんから言われたことを忘れるなよ。こうやって久しぶりに帰ってきて顔も見られたし、ちゃんと手も合わせている。だからあんまり自分が悪いとは思うなよ」
ヨシおじさんは僕の肩を強く叩いて励ましてくれた。
翌日、四十九日の法要には僕も参加させてもらうことになった。小さな佐久川の家にはとても入りきれないほどの人が集まっていて、外に立っている人も多い。喪服の人もいれば黒っぽいだけの普段着の人もいるあたり、おおらかというか、あまり物事に頓着しない島の気風を久しぶりに感じた。
ピッ、ピィーッ、ピッ、ピィーッ
「あれ」
知っている人に挨拶をして、庭の隅にあるフクギの下で休んでいるときだった。聞き覚えのある鳥の鳴き声が、家の裏にある小さな林から聞こえてきた。
「サシバが鳴いているねえ」
いつの間にか隣にきていたヨシおじさんが、林の方を見ながら言った。でも、今はまだ九月の末頃だ。サシバの渡りには少し早いのではないだろうか。
「あれはすまばんだかだね。もう三年ぐらいあそこにいるさあ。普通は渡りに失敗しても翌年の春か、次の秋には飛んでいくんだけどねえ」
「もしかしたら、シゲおばあのことが心配で孝一が帰ってきているのかもしれないね」
自分で言って、本当にそうだったら良いなと思う。そして、孝一ならやりかねないなと思わず笑いを漏らしてしまった。
「シゲおばさんも、同じことを言っていたよ。あれは孝一が帰ってきているはずと。シゲおばさんの孫は、言うことも似ているさあ」
常日頃から近所の人はみんな家族、あんたも自分の孫だと僕に言っていたシゲおばあだったから、周りの人たちもみんな同じように思っていたのだろう。実際、僕もそうだった。
「……ねえヨシおじさん」
「なにか」
「この島の言葉は優しいね」
「急にどうしたか。漁師町の荒い言葉が優しいとは、東京の冗談はあまり笑えんね」
苦笑いをするヨシおじさんだったが、まだサシバの鳴き声が聞こえてくる林を見つめる目は、ぶっきらぼうな言葉遣いとは対照的にとても穏やかだ。
「すまばんだかとは島番鷹、島の番をしているサシバという意味だよね。渡りに失敗したサシバをそういう風に呼んだり、人が亡くなることを遠回しにアメリカに行くと言ったり、そんなところが優しいと思う」
「そうか」
一言だけ返事をして、ヨシおじさんは黙り込んだ。僕もそのあとは何も言わず、法要が終わるまで二人で並んでサシバの鳴き声がする林をずっと見ていた。
「じゃあ大和、またいつでも帰っておいで」
シゲおばあの四十九日から二日後、僕はヨシおじさんに見送られて港まで来ていた。年明けには橋が開通する予定なので、もしかしたら乗るのはこれが最後になるかもしれないと思いながら、船に足をかける。
「うん、次は連絡するから」
予想以上に慌ただしい帰郷になったものの、帰ってきて本当に良かったと思う。次はもう少しゆっくりしたいものだ。近所の人だけじゃなくて、同級生に一報入れておくのもいいかもしれない。名残惜しそうに手を振るヨシおじさんにこちらも手を振り返し、客室へと入る。もうすぐ出航なのだろう、耳が痛くなるほどの汽笛が鳴っている。
やがていくらもしないうちに船は離岸し、空港のある隣の島へ向けて動き始めた。遠ざかっていく島の町並みを心に刻みつけながら、来年橋が架かったらまた帰ってこようと誓う。いや、来年だけじゃない。これからはできるだけ帰ってこよう。孝一達はもういなくなってしまったけど、僕の大事な人はまだまだたくさんこの島で今を生きているのだ。今度こそ、後悔するようなことはしたくない。
港内を出ると、船は本格的にスピードを上げて走り出した。窓の外を見ると、そこには建設途中の大橋。もう両岸からは繋がっており、あとは仕上げだけなのだろう、この距離でも橋の上で動いている影が小さく見える。
あの美しいアーチは、昔みんなで見た夢の形だ。島の人々の願いが大きな大きな力になって、橋を架けたのだ。いつか、ではなく、きっと実現させるという強い気持ちをひとつにして、途方もない夢を叶えたのだ。それだけじゃなく、あの橋とシゲおばあが、島から遠く離れていた僕の心ももう一度つなげてくれたことが、本当に嬉しかった。
『かりゆしゃがまーひぃかないーくーよ』
客室に響く船のエンジン音の中、シゲおばあの声が聞こえた気がした。
「うん、行ってきます」
目を閉じて、小さく返事をする。
もうすぐこの島に橋が架かる。 (了)