3.父上の寂しさ
僕は厨房でロヴィーサ嬢と一緒に玉ねぎをスライスしている。
この玉ねぎというのがなかなかの難敵で、切ると目が痛くなって涙が出るのだ。
ほろほろと泣きながら玉ねぎをスライスする僕に、ロヴィーサ嬢が何度も「代わりますか?」と言ってくれるのだが、これくらいで負けてはいられない。
僕は玉ねぎに負けるようではロヴィーサ嬢の立派な夫になれないだろう。
魔窟で取って来た魚は、爺やが魔法で特殊処理をしてくれて寄生虫の心配もなくなった。
ロヴィーサ嬢はそれをお刺身にするのかと思ったら、少し違うようだ。
白身魚を薄くお刺身のように切って行って、レタスの上にスライスした玉ねぎを乗せて、その上に綺麗に白身魚を並べていく。
ロヴィーサ嬢が取り出したのは、オリーブオイルとレモンと塩と胡椒だった。
オリーブオイルをかけて、レモンと塩と胡椒で白身魚に味をつけていく。
「白身魚のカルパッチョができました」
「美味しそうです」
「他の料理も作っていきましょうね」
白身魚のアクアパッツァと、白身魚のカルパッチョサラダ、大根マンドラゴラのグラタンと、その日の晩ご飯はとても豪華だった。
アクアパッツァは食べたことがあったが、カルパッチョは初めて食べる。
癖のない白身魚のお刺身に、レモンとオリーブオイルがよく合って、胡椒がぴりっとアクセントになってとても美味しい。
苦戦しながらスライスした玉ねぎと合わせて食べると尚更美味しかった。
「ロヴィーサ嬢はこれを作りたかったのですね」
「そうなのです。とても美味しいでしょう?」
「美味しいです。ロヴィーサ嬢の気持ちも嬉しいです」
大満足の晩ご飯を終えて、僕は眠りについた。
月に一度は僕は王城に顔を出すことになっている。
前の週末はヘンリッキのお誕生日だったので、王城に行けなかったので、この週末は王城に行くことにしていた。
王城に行く前には、ロヴィーサ嬢と厨房でお弁当を作る。
王城では僕の食べられるものは出て来ないので、自分で持って行くようにしているのだ。
僕のお誕生日のときに王城に僕の食べ物を持って行ったが、事故は起きなかった。
王族だけで会う今日も、エルランド兄上は僕の食べるものを口にしても平気な可能性が高いので、安心してお弁当を持って行けた。
お弁当箱にはサンドイッチやアップルパイなど、軽く摘まめるものを詰めた。
王城に行くと父上とエルランド兄上が待っていてくれた。
エリアス兄上は魔族の国に留学しているし、ヒルダ姉上は隣国に嫁いでいる。
「エリアスもヒルダもいなくて、寂しいことだな」
「私とエドがいますよ」
「エドもミエト家に行ってしまっている。エルランドと二人だけで食べる夕食は、少し侘びしいな」
僕が王城にいた頃から、父上も晩ご飯だけは必ず家族と一緒に食べていた。
僕が王城を出る決意をしたのも、父上と同じ食卓に毒となりうるものを乗せたくない、父上や兄上たちの料理を作る厨房に毒となりうるものを置きたくないのが一番の理由だった。
もちろん、ロヴィーサ嬢と一緒に暮らして二人の仲を進展させたい思いもあった。今では僕はロヴィーサ嬢と同じものが食べられると分かって、食卓を囲むのも楽しくなっている。
食べても栄養にならないどころか、身体を弱らせるものしかなかった王城に住んでいた時期と違って、僕はモンスターの肉や魔力の宿った食材を心置きなく食べることができている。
「父上には申し訳ないのですが、僕は幸せです。ロヴィーサ嬢は僕と同じものを食べられるのですよ。多分、エルランド兄上も、エリアス兄上も、ヒルダ姉上も、僕と同じものを食べられると思います」
僕のお誕生会のときにも伝えていたが、改めて父上とエルランド兄上に報告すると、エルランド兄上が僕の持っているお弁当箱を覗き込んで来た。
「ずっとエドの食べているものは気になっていたんだ。少し分けてもらってもいいかな?」
「エルランド兄上、少し食べてみて、無理そうなら吐き出してくださいね」
「分かった。もらうよ」
エルランド兄上は僕のお弁当箱からアップルパイを一切れ手に取って食べてみる。
アップルパイを食べるエルランド兄上に変化はなかった。
「普通のアップルパイだ。いや、とても美味しいアップルパイだ」
「やっぱり! エルランド兄上も魔族の血を引いているから、僕と同じものが食べられたのですね」
「そのようだ。エドと同じものが食べられるなんて嬉しいな」
エルランド兄上と僕が話していると、父上が「それならば」と口を開く。
「王城にもエドのための食糧庫を作って、エドのための厨房も作って、王城にエドが戻ってくるというのはどうかな?」
「父上、気持ちは嬉しいのですが、エルランド兄上が食べられても、父上には無理なのです」
「そうだったな……」
父上の残念そうな顔に、僕は申し訳なくなってしまう。
成人してから結婚するのならば仕方がないが、父上もこんなに早く僕を他家に送り出すとは思っていなかったのだろう。
僕が王城を出てから、もうすぐ一年になる。
理解のある父上だったが、やはり寂しさは感じていたようだ。
「父上を寂しがらせる親不孝な息子でごめんなさい」
「いや、エドが幸せならそれでいいのだ。私の方こそ、無理を言ってすまない。エドは私のためを考えてくれているのに、その気持ちを無碍にしてしまうところだった」
父上は相変わらずどこまでも優しい。
僕は何か解決策がないか考えてみた。
「月に一回の王城の訪問を、月に二回に増やしましょうか?」
「いいのか、エド」
「いいですよね、ロヴィーサ嬢?」
隣りに座って静かに聞いていたロヴィーサ嬢に問いかけると、「もちろんです」と頷いてくれる。
「王城は僕の実家で、僕にとっても大事な場所です。父上にも頻繁に会いたいですし」
僕は父上のこともエルランド兄上のことも大好きだ。
僕の食べ物の事情がなければ、ロヴィーサ嬢と婚約した後も王城で暮らすのも当然と受け止めただろう。
「ロヴィーサ嬢は魔窟で美味しい食材を取って来てくれるんですよ。この前は初めてカルパッチョを食べました。爺やが魔法で寄生虫の特殊処理をしてくれたのです」
「爺やにはそんな能力があったのか」
「全く知らなかった」
父上もエルランド兄上も爺やの情報に驚いている。
「魔力が枯渇してほとんど使うことができませんでしたが、エドヴァルド殿下が魔法植物ならば口にしていいのではないかと仰ってくれて、お言葉に甘えて食べていたら、魔力が戻ってきて魔法が使えるようになりました」
シードラゴンのお刺身を作ったときには、爺やは相当無理をしていたのかもしれない。
今では魔力も戻っているというので安心する。
「カルパッチョは作ってみたかったのです」
「どのような料理ですか?」
「魚のお刺身をオリーブオイルとレモンと塩と胡椒で味付けする料理です。玉ねぎのスライスやレタスと合わせるとサラダにもなってとても美味しいのです」
エルランド兄上の疑問にロヴィーサ嬢が答えている。
「エドが帰りたくない理由が分かるな」
「ロヴィーサ嬢は完全にエドの胃袋を掴んでいますね」
父上とエルランド兄上が笑っている。
胃袋を掴むの意味を知っている僕は、その通りだと思っているが、ロヴィーサ嬢は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。
「ロヴィーサ嬢の料理は本当に美味しいですからね。最近は僕も料理を始めました。父上、エルランド兄上、玉ねぎをスライスしたことがありますか? あれは大変でしたよ」
「玉ねぎが大変なのか?」
「エドが玉ねぎに苛められたのか?」
「切ると目が痛くなって涙が出るのです」
近況報告をしていると話は尽きない。
お弁当箱に入れたサンドイッチも、水筒のミルクティーも、あっという間になくなった。
そろそろお暇の時間だ。
「父上、エルランド兄上、また来ます」
「楽しいお茶会をありがとうございました」
僕とロヴィーサ嬢は挨拶をして王城を辞したのだった。
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