第百八十九話*《二十五日目》お互いの気持ち
オルとラウから『癒しの雨』と『洗浄の泡』の特訓を受けることになった。
実践で『乾燥』をそれなりに使えるようになっていた私には造作ないものだった!
……と言いたかったのですが。
「あれぇ?」
『乾燥』のときのようにMPで強弱を付けるのかと思ったのだけど、どうやらそうではないようだ。
「MPは固定なの?」
『そうでち』
「……となると、どうやって強弱をつけるの?」
私の質問に、オルとラウは顔を見合わせた。それからしばしふたりは眉間を寄せ、腕を組んで悩んでいた。
『はて? ……どうやってたでちか?』
「えええっ!」
『……思い出したでち! 強い雨と弱い雨は詠唱の後に雨の名前をつけくわえるとよいでちよ』
「雨の名前?」
雨に名前なんてあるの?
疑問に思っていると、キースが口を開いた。
「雨の名前というのは、『飛雨』『篠突く雨』とかか?」
『そうでち!』
飛雨? 篠突く雨? なにそれ?
「あとは天泣は空が晴れているのに雨が降ってくることを言うな。いわゆるキツネの嫁入りだな」
「よ、よく知ってますね」
「常識だろう?」
「……いえ、違うと思います」
雨の名前なんて、常識なわけないっ!
「そうなのか」
納得がいってないような顔をしているけど、もっとこう、メジャーな名前ならともかく、そんな風流な名前、知らないです。
『リィナリティよ、試してみるでち』
「う、うん」
『癒しの雨』の後に雨の名前をつける、と。
「それでは! 『癒しの雨』、篠突く雨っ!」
「……それを選択したのか」
キースの力ない声に、首を傾げて見た。
「ほれ、しっかり結果を見ろ」
「にゃ?」
言われて見ると、先ほどの激しい雨よりさらに激しく布の上に降り注いでいた。
「篠突く雨ってのは、激しい勢いで降る雨のことを言うんだ。篠というのは竹の一種で、群がって生えるらしく、それがこの激しく降る様と似ていることからついた名前だ」
「へー。キースさん、物知りですね!」
「そうでもない。……雨の名前はたくさんあるから、どれが最適なのか試す必要があるな」
「うぅ、マジですか」
「あぁ。オレも付き合うからな」
検証ってこと?
洗濯屋のスキル、自由度が高すぎて大変!
「えと、後は『洗浄の泡』だけど、こちらもなにかオプションがあるの?」
『あるでち』
となると、また泡の名前?
うーん、泡の名前なんて聞いたことがないけど、あるのかしら?
『泡の大きさを変えることができるでち』
「なるほど、泡の大きさか!」
今まで戦闘で『洗浄の泡』を使ったのは災厄キノコとイソギンチャクのアネモネ相手くらい? どちらにも効果なしだったのを思い出した。
「泡の大きさを変えるには、どうすればよいの?」
『詠唱するときに大きく、小さくと想像するでち』
いつの間にか『癒しの雨』は止んでいたので、『洗浄の泡』を試してみる。
「『洗浄の泡』!」
試しにかなり大きな泡──人ひとりを覆うほどの大きさ──を想像してみた。
すると、いつもならたくさんの泡がどこからともなく沸いてくるのだけど、今回はひとつだけで、洗い場いっぱいに広がった。
「うわぁ、大きい!」
「ほう、こんなに大きな泡を作ることも出来るのか」
「今度は反対に小さな泡にしてみる」
泡というより玉と言った方が最適な泡はぽよぽよと弾んでいる。すぐに潰れてしまうかと思ったけど、頑丈なのかそんな様子はまったくない。
その横に今度は細かい泡を出してみた。
「すごい! いつもよりきめ細かい!」
その泡は布の上を滑って全体に広がったと思ったら、吸い込まれるように消えた。
「……なんで?」
「布が泡を吸い込んだように見えたな」
「もう一度やります」
泡が小さすぎたからなのだろうかといつもと同じ大きさの泡にしてみた。
いつもなら泡が布から沸き出すように出てくるのだけど、出てこない。
「先ほどの泡が出るのを邪魔してるのかしら?」
上からもう一度、泡を被せてみる?
そんなことを考えていると、急に布がブルブルと波立ってきた。
「なにっ?」
ブルブルとしていてびっくりしてキースにしがみつつ見ていたら、急に止まった。……と思ったら、布からどす黒い赤い泡が吹き出してきた。
先ほど洗ったときはこんな変な色にならなかったのに! やはり泡が布の中に入り込んだから、汚れと一緒に出てきたのかしら。
「うわっ!」
「リィナ、布を大きな泡で包め!」
「あ、はいにゃ!」
このままでは洗い場内が泡だらけになってしまうと思っていたら、キースが的確な指示を出してくれた。
布に視線を定めて、
「『洗浄の泡』っ!」
と詠唱すると、大きな泡が布を包み込んでくれた。
大きな泡の中はあっという間に赤黒い泡でいっぱいになり、いまにも大きな泡を突き破りそうだ。
『リィナリティ、泡の中に『癒しの雨』を送るでち』
「え、中にっ?」
今までなにかの中に『癒しの雨』を使ったことはない。だから戸惑ったのだけど、それをしなければ外側の泡が破れて大変なことになるのは明白だった。
泡の中に視線をさだめて『癒しの雨』を詠唱すると、思惑通りに泡の中に小さな雲が現れて、泡を洗い流していく。
はち切れんばかりの泡は雨に流されてみるみるうちに小さくなっていった。しばらくして外側の泡はパチンと音を立てて消えた。
『うむ、綺麗に洗えたようでち』
ラウが確認してくれたので、キースに近づくように肩を叩いたら、洗い場に近寄ってくれた。
中を覗くと、赤黒く斑になっていた布が、茶色くなっていた。だけどこの布がカーテンであるという証拠に、陽に当たっていたからなのか色褪せて濃淡があった。
「やっぱりこれ、カーテンだったんだ」
「そうみたいだな」
「『乾燥』をかけて、アイロンを掛けて仕上げましょうか」
カーテンに『乾燥』をかけて乾いたので布を手にしようとしたのだけど、キースはいまだに離してくれない。
「キースさん」
「触るな」
「なんで」
「この布、あいつの物なんだろう? だからだ」
触るなと言うけれど、何度か触ってますけど?
キースがなんで触るなと言っているのか分からないけど、私を抱えたまま器用に布を手に取り、アイロン部屋に移動してくれた。
「クイさん、これにアイロンを掛けてくれないか」
「え、私でも掛けられるよ!」
キースに抱えられたままバタバタしてみたけど、降ろしてくれない。
「リィナではまだこの大きさにアイロンを掛けるのは無理だよ」
クイさんにそう言われたら言い返せない。
アイロンを掛けることに慣れたけど、テーブルクロスも大きいのにはまだ掛けることが出来ない。カーテンはそれよりも大きいから、クイさんに頼むしかなかった。
クイさんは苦笑気味にキースから布を受け取って素早くアイロンを掛けてくれた。
「リィナもすぐにこれくらいの布にアイロンが掛けられるようになるさ」
「……うん」
しょんぼりしていると、キースが優しく頭を撫でてくれた。
「リィナ、そんなに落ち込むな」
「……うん」
「クイさんにお願いしたのは、これ以上、リィナにあの布に触れて欲しくないからだ」
「……にゃ?」
さっきもそんなことを言っていたけど、触れて欲しくないってどういうこと?
「なるほど、キースはきちんとリィナの能力を把握しているのかと思っていたけど、違ったと」
クイさんはなにやら納得しているのだけど、私はまったく分からない。
「違ったって?」
「まったく、リィナはそういうところは鈍いんだね」
「ぅ。鈍いですよ……」
「キースも苦労するね」
「想定内だ」
ん~?
布が汚いから?
いやでも、綺麗に洗って乾かしていたよね?
どうやらこれは違う、と。
キースとクイさんはなんの話をしているのだろうか、見当が付かない。
「リィナは分かってないみたいだな」
「布の話ですよね?」
「あぁ、そうだ。……そこまで分かっているのに、オレの気持ちは分からないのか」
「気持ち?」
気持ちと言われても、分からないのですけど。
「あ! 洗濯しているのを見てるのは退屈とか?」
「……どこまで行ってもリィナはリィナだった」
「違うの?」
「違うに決まっているだろう。あの布の持ち主はだれだ?」
「……赤の魔術師」
「赤の魔術師に対するオレの気持ちは分かっているか?」
「嫌いと見せかけて、実は好き?」
「なんでそうなる」
「やたらと布を気に掛けてるし、持ちたがってるから」
そう口にして初めて気がついたのだけど、もしかしなくても私、キースがあまりにも赤の魔術師のことを気に掛けるから、嫉妬していた?
「あのな。オレが唯一好きなのは、リィナだ。そのリィナが他の男の持ち物に触れるのが激しく嫌だからオレが持つことにした」
「え……?」
「……天然かよ!」
「キースさんも嫉妬していた……?」
「も、って」
「……わ、私だってキースさんがやたらと赤の魔術師のことを気に掛けるから」
「はいはい、そこ。相思相愛なのは分かったから、この布を早いところ届けてくるんだよ」
クイさんの一言でクエストが進んだのがわかった。




