第百八十二話*上総さんに説教しました
だいぶ時間が経ったのだけど、心春さんが帰ってくる気配がない。
どうしたものかと思っていたら、部屋の外で言い争う声がしてきた。
むむ? 事件か?
こっそりとドアを開けて隙間から覗いてみると、そこには心春さんと背中しか見えないけど、たぶん上総さんがいた。
上総さんは心春さんを抱きしめて……うむ、見なくてもなにをしているのか分かるぞ!
「上総さんっ! いい加減にしてくださいっ!」
「心春はなにを怒っているの?」
なかなか戻って来ないと思ったら、上総さんに掴まっていたか。
「莉那ちゃんを待たせていると何度も言ってるじゃないですか」
「待たせていいよ。いやそれより、もう帰ってもらってよ」
「……相変わらず、雑な対応ですね。それに私まだ、仕事中ですよ!」
「休めばいいよ。有休、余ってるんでしょ?」
「そういう問題ではないと何度も言ってるじゃないですか!」
あー、うん。
なんかどこかで見たことのある風景だ。気のせいか既視感を感じるぞ。
「上総さん、心春さん」
これは介入しなければいつまでも終わらない。
なので口を挟ませてもらおう。
「私からおふたりにお話がありますので、少しお時間をいただいても」
「帰れ」
「…………」
さ、さすがだ、上総さん。
「麻人さんを待たせているので帰るのはまったく構わないのですが、私が帰ったら、心春さんの心は一生、手に入りませんよ?」
「……………………。──分かった」
ふ、チョロいな!
上総さんは心春さんを半ば抱えるようにして部屋に入ろうとしたので、ドアを開けて入りやすくしてあげた。
心春さんは目でお礼を言ってきたけど、上総さんは当たり前のように通って行った。
お礼を言われたくてやったわけではないからいいのですけどね。
……上総さんってもうちょっとこうなんというか、常識があるのかと思ってたんだけど……うーん。
大切な伴侶を護るためってのは分かるけど、この対応だとむしろ反発されるような気がしないでもない。
上総さんは当たり前のように心春さんを膝に抱っこして座ろうとしていたので、心春さんの肩をつかんで強制的に離した。
「……なにするんだ」
むちゃくちゃ低い声で威嚇してきたけど、怖くないから! こちらは麻人さんで慣れてますからね!
「上総さんには色々反省をしていただかなくてはいけないので、それまで心春さんはお預けです」
「なにっ!」
「心春さんを返してほしかったら、きちんと私の話を聞いてください!」
心春さんを背後に隠して上総さんが聞いていようがいまいが関係なしに言いたいことを一気に言ってやった。
上総さんは最初は私を睨み付けて聞いていないようだったけど、話が進むにつれて段々と聞いてくれるようになった。
最後は少し涙目になってたけど、私は手を緩めることなく言いたいことを一方的に言ってやった。
「溺愛されるのは私たちはとても嬉しいのですけど、あなたたちの溺愛はただの愛の押し売りですからね!」
そういえば、麻人さんと実家の自室で並んで同じような話をしたのを思い出した。
……なるほど、それもあって麻人さんはかなり大人しいのか。
それからは上総さんも耳を貸してくれるようになり、ようやくソファに座ってゆっくりと話をすることができた。
途中、心春さんが飲み物をお願いしてくれたおかげで喉の渇きもどうにかなった。
気がついたら結構な時間が経っていた。
麻人さんを放置している状況になっているけど、どうしよう。
とはいえ、上総さんは少しは分かってくれたようなので、今日はこれでよしとしよう。
「……分かった。心春のことを一番に考える」
「そうしてくれると、大変に助かります」
「それにしても、莉那ちゃんは怖いな」
「どこがですか!」
「麻人が大人しいのに納得したよ」
怖いってなによ、失礼ね!
「陽茉莉も似たような状況だと思うけど、どうする?」
「そこは私が心配しなくても、楓真が自分で対処しますから問題ないです」
「……そうだったな」
これでお開きとなったから帰ろうかと立ち上がったところで上総さんに待ったをかけられた。
「麻人は家に戻っている」
「さすがにそうですよね」
麻人さんに終わったということをメッセージしたら、迎えに行くから待っているように返事が来た。
「麻人は莉那ちゃんのことを信頼してるんだな」
「そうなんですかね?」
そんな話をしていたら、着いたという連絡が来たので、今度こそ部屋を出た。
「上総さん、色々生意気なことを言って、すみませんでした」
「今さらそれを言う?」
「えと、まあ……一応?」
上総さんと心春さんが顔を見合わせた後、くすくすと笑っていた。
うん、大丈夫そうだ。
玄関のドアを開けると同時に腕を引っ張られて、抱きしめられた。その温もりにホッとする。
「麻人さん、大変お待たせしました」
「あぁ、かなり待った」
「苦情は上総さんまで」
「そうだな、そうしておく」
この日はこの後、麻人さんを待たせたので麻人さんのリクエストに応えてフィニメモにログインすることなく、色んなことを話した。
麻人さんと話をしていると、話が弾みすぎて時間を忘れてしまう。
夕飯を食べた後、少し休んでお風呂に入って寝る準備をしてから麻人さんの部屋のソファで並んで座ってずっと話をしていた。話が途切れたところで思いっきりあくびが出た。ふと、今、何時なのだろうかと思って時計を見て驚いた。話に夢中で時間を気にしていなかったけど、就寝時間をとっくに過ぎていた。
「眠そうだな」
「眠そうではなくて、眠いです」
時間が分かってしまうと、まぶたが重くなってきた。
瞬きをするために目を閉じると、そのまま開けられなくなった。
「莉那と話をしていると楽しくて時間を忘れてしまうな」
「んにゃ?」
「莉那と仲良くするのもいいが、こうして話をするのも楽しくていい」
「……あのですね」
「今日はもう寝よう」
さすがに私の状況は分かっていて、麻人さんはソファから立ち上がると私の手を取って引いてくれた。
そのままベッドに連れて行かれて、おでこと頬にキスをしてくれた。
「おやすみ、莉那。愛してるよ」
「っ!」
なっ、なんでこの人はこの場面でそんなことを言ってくるの。
しかも頭を撫で撫でしてきた。
かなり長い間、放置していたから機嫌が悪いかと思っていたのだけど、それは杞憂だった?
「莉那は頑張り屋だな」
笑みを浮かべながら頭を撫でてくれてるのだけど、待ちすぎて壊れた?
「麻人さん」
「ん?」
「連絡を入れずにかなり待たせていたの、怒ってます?」
「いや。実は長引くだろうからと莉那が上総の家に入るのを見届けてすぐに帰っていた」
「そうだったのですね」
「上総に連絡をしただろう?」
「はい」
「家に戻るというメッセージが来たから、長引くのは分かっていた」
「さ、さすが」
「同じ藍野だからな、分かる」
「なるほど……」
独占欲の塊だからなぁ。
とはいえ、大切にしてもらえているってのは良く分かるから、強く拒否できないのも計算してるんだろうし。
だからこそ、心春さんも強く言えなかったんだろうなぁ。
「心春から、お礼のメッセージが来ていたぞ」
「へ? 心春さんから?」
「あぁ。莉那を長い時間、借りていたばかりか、上総にはっきり言ってくれて助かったって」
「借りていた……。私は貸し借りされるような立場だったのですか?」
「実際、心春に貸していたからな」
「…………」
なんと申せばよろしいのでしょうか。
「だから、頑張ったご褒美だ」
「……それ、単に麻人さんがやりたいからやってるんですよね?」
「それもある」
麻人さんの大きくて暖かいを通り越して熱い手で頭を撫でられると、余計に眠くなってきた。
「寝るまで撫でているから、オレのことは気にせずに寝てくれ」
「……はぁ。おやすみなさい?」
「おやすみ」
目を閉じると、額に柔らかな感触。
驚いて目を開けると、間近に麻人さんの顔があった。
「どうした?」
「え……と?」
「ほら、寝ろ」
顔が近いまま、麻人さんは私の頭を撫でている。
「あのぉ」
「ん?」
「落ち着いて寝られないのですが」
「気にするな」
「気になりますって! 寝顔を観察しようとしてるでしょうっ!」
「バレたか」
「麻人さんはまだ寝ないの?」
「少しやることがある」
「それなら、私に構わず用事を早くすませてください」
麻人さんの手を振り払うように寝返りを打って背を向けて、頭から布団を被った。
耳を澄まして麻人さんの様子を窺っていたけれど、少しして衣ずれがして去っていったようだった。
布団の中で寝返りを打ち、隙間から覗くと部屋の電気が消えて、麻人さんもいなくなっていた。
側にいたら落ち着かないけど、気配がなくなると淋しく思ってしまうなんて、我ながらワガママだ。
そんなことを思ったけれど、気がついたら眠っていた。




