第百七十九話*《二十三日目》世界の果て
一度、洗浄屋に戻るのかと思っていたのだけど、キースは私の手を引いたままどんどんどこかに向かって歩いている。
怒りのままに歩いているのかと思ったけれど、私の歩く速度に合わせているから、そうではなさそうだ。
うーん。
あれくらいでキースが怒るなんてなさそうだから、違う理由のような気がする。
『キースさん』
『なんだ』
『怒ってます?』
『怒ってない』
キースはそこでようやく足を止めて、ため息を吐いた。
『あいつらに苛ついた自分に怒っているだけだ』
『それはものすごく分かります』
『ゲーム内であればリィナにちょっかいをかけるヤツはいないと思っていたんだが』
キースは再度、ため息を吐いた。
『全員に浸透しているとは思えないのですけど』
『まあそうなんだが。……それを差し引いても、先ほどの行為は明らかにルール違反だ』
『……ローブを引っ張られたのですけど、そういえばそういったことって出来ました?』
されたことに驚いてしまったけど、そもそもプレイヤーに害を与える行為って出来た?
『ローブを引っ張られた?』
『はい』
『……プレイヤーが身につけている物はプレイヤーの一部ではなくアイテムと認識されている、ということか』
『相変わらずそういう設定、杜撰Deathね』
『まったくな』
そういった報告ってされてないの?
ジトッとオルドに視線を送ると、ふいっと逸らされた。
『オルド?』
『ぼくは知りません!』
『考えられるのは、オレたちが装備しているのがプレイヤーメイドだから設定がおかしい、というのもあり得る』
『……ありそうで怖いですね』
運営は装備品は売られている物かドロップ品しか使われないとでも思っていたのだろうか。
『……なんで私たち、正式版になってもデバッグみたいなことをやってるんですかね』
『今、メールを送っておいた。これは明らかなバグ利用だから、対応しろと強めに書いておいた』
この短時間で書いて送るとは、すごい。
『運営の手落ちのせいで色々と迷惑を被っているのは確かだな』
『純粋にゲームを楽しめないってどういうことなんでしょうね』
『……まあ、それに関しては同意するところとしないところがあるな』
『へっ? なんでですか!』
『通常プレイが出来ていれば、オルドをはじめとする裏側と仲良くなれなかったからな』
『確かに』
とはいえ、そこはとても複雑な気分だ。
『へへっ、そう言ってもらえて、ぼくたちはとても嬉しいです』
喜んでもらえて、なにより。
『さて』
キースは私の手を握り直すと、歩き出した。
『この様子だと他の狩り場にもいそうだから、今日はこの辺りを散歩したり、アイの背中に乗って少し遠出をするか』
『あいにゃ』
せっかく綺麗な景色があるところにいるのだ、たまにはお散歩というのはいいかもしれない。
キースと手を繋いで、世界樹の村に沿うように歩いた。
こうしてのんびりとお散歩なんて、とても久しぶりかもしれない。
今までは平日は朝から晩まで働いて、休日は疲れて部屋でぐったりしているか、たまに友だちと会ったりぐらいだった。
世界樹の村の周辺はどこまでも続いていきそうな草原が広がっていた。
たまにモンスターがいるのだけど、この辺りはノンアクティブなので手を出さなければ襲ってこない。
……のだけど、ふと、あのおびき寄せシールのことを思い出して、ゾクリとした。
うぅ、あれはトラウマだ。
思い出さないようにしなければ。
『こちら側にはあまりプレイヤーがいないな』
『言われてみれば、そうですね』
地図を開いて確認すると、私たちがいるエリアは世界の端だった。
『世界の果てに行ったこと、あるか?』
『ないですけど』
『それならば、今から行ってみるか。アイ』
『はぁい?』
『乗せてもらっていいか』
『もちろんなのだ!』
アイは私たちの前に出て、伏せてくれた。
『リィナ』
『アイ、乗るね』
『どうぞなのだ!』
アイに乗ると、キースも乗ってきて、後ろから支えてくれた。
『では、出発なのだ!』
アイはゆっくりと立ち上がり、私の様子を見ながら歩き始め、徐々にスピードを上げていった。
前にも乗ったことがあるし、キースが支えてくれているから、それほど怖くない。
真正面から風を受け、紅い髪がサラサラとなびいている。
スクリーンショットモードにして限界まで遠ざかってみた。
世界樹を背後にして草原を駆けている様はかなり絵になっている。
何枚かスクリーンショットを撮っておいた。
『キースさん、どこまで行くのだ?』
『このまま真っ直ぐ走ってくれないか』
『いいけど、壁しかないのだ?』
『あぁ、それでいい』
壁?
『壁って?』
『世界の果てだ。現実世界ではあり得ないから不思議なんだ』
地球は丸いから、世界の果てなんてない。
『ループ設定が出来たはずなのにそれをしなかったのはなんでだろうな』
『それをすると、不都合だからDeath!』
『ぉ、ぉぅ。……オルドもさりげなく殺しに掛かってくるんだな』
『ぼくたちも学習しますからね』
そ、それはなにより。
……発言には気をつけなければならないってことかしら?
気をつけようと思っても、それは最初だけのような気がするし今さら感があるから、今のままでいいのか。
それからは無言で世界の果てに向かった。
アイが草を踏みしめて駆けていく音だけがする。
サクッサクッとリズミカルだし、アイの背中に慣れてきたのと、キースの温もりのせいで眠くなってきた。
瞬きをして瞼を落としたままでいると、寝てしまいそうだ。
だから頑張って目を開けて、風景を眺める。
ここで寝たらまたもや寝落ち……?
寝たらダメよ! また寝てしまったら寝落ちキャラとして定着してしまう……!
とそこで、ふと疑問が。
前もだけど、ゲーム内で寝てしまったら、ゲームから自動的にログアウトしてしまうの?
前のとき、どうなった?
あれはアネモネ戦の時で、睡眠のデバフを喰らって寝てしまった。
ゲーム内だけであればよかったのだけど、ちょうどリアルでも眠くて、そのまま寝てしまったのよね。
目が覚めたらVR機の中で寝ていた。
ゲーム内ではログアウトしてもなぜかアバターが残っていたみたいで、キースが運んでくれたというのは後から聞いた。
ということは、今、ここで寝落ちしたらアバターは残っているってこと?
もしかしなくても、寝ている間に目的地に着いちゃう?
いやいや、それだと風情がないというか。
『リィナ?』
キースの声が耳元でして、かなりびっくりして身体がすくんだ。
『眠そうだな』
『眠そうではなく、眠いのです!』
『ほう? では、眠れなくしてやろうか?』
『いえいえ! 耳元でそうやって囁かれただけでばっちり目が覚めましたから!』
むしろ心拍数が上がってバクバクしてるのですが!
『キースさん、あなたの声は凶器であると自覚してください!』
『自覚している』
自覚していてこれってことは、それ、めちゃくちゃタチが悪いってこと?
『自分の見た目、声が相手にどう作用しているかそれは十二分に自覚している』
『な、なるほど?』
無自覚なのも困るけど、自覚していてそれを利用しているのは……。いいこと、なの?
いいこと、ということにしておこう。
眠かったのが目が覚めたので周りを見ると、いつの間にか草原から荒野に景色を変えていた。
地図を見ると、最果ての地、となっていた。
『最果ての地……』
『ほう、名前が付いたのか』
『え、前はなかったのですか?』
『なかったはずだ』
アイは止まるためなのか、速度を緩め始め、そして止まった。
『ここからは歩いて行こう』
アイの背中から降ろしてもらい、キースに手を繋がれて世界の端へと向かう。
目の前を見る限りではまだこの先にも世界が続いているように見える。
不思議に思いながらも歩いて行くと……。
『うわっ!』
いきなりなにかに当たり、ぼよんと跳ね返された。
キースが後ろに回ってくれたようで、抱きとめられた。
『ここが世界の端だ』
『……この先もあるように見えますけど』
『見えるだけだな。見えない壁があって、阻んでいる』
注意深く手を伸ばすと透明の壁があるようで、なにか不思議な感触が手にあった。
『なんだか、変な感じ』
『だよな。……まあ、この世界も限られた枠の中にある、ってのがよく分かる』
『そうですね』
もしかして、現実世界も世界の果てというのがあるのかもしれない。
……なんて思ってしまうほど、不思議な体験だった。




