おっさんは、朱い髪の少女に紋を習うようです。
「……完璧ですね」
スイキが、クトーの刺した紋符……木の札に、たった今習った紋を彫刻したものを見て、深く息を吐いた。
「では、それをかざして呪を口にしてみて下さい」
「〝燃えろ〟」
クトーが近くの草に符を近づけて言われた通りにすると、チリチリ、と音を立てて草が黒ずんだ。
魔力を使っていないが、その符の中でどこかから集まった天地の気が魔法に変化する瞬間は感覚で捉えられた。
スイキが言うには初歩の紋であり、初めて刻んだもの、かつ対象が水気を含むただの草なので、威力の面では【火付石】よりも低いが、成功は成功だ。
クトーとしてはまだまだだったが、スイキは心の底から感心したようだった。
「初めてなのに、紋を発動できる形で刻めるのですね……貴方には、シラヌイ並の、刺紋の才があるように思えます」
「魔法陣の論理が応用出来たからな」
別に、全く知識や経験のない状態から出来たわけではない。
それにやはり、魔力を練り上げる形、などの曖昧で感覚的な話より、クトー自身には論理的なものの方が分かりやすかった。
それよりも、クトーには彼女が口にした言葉の方が気になる。
「シラヌイ、と言うのは?」
初めて聞く名前にそう問い返すと、スイキはわずかに視線を落とした。
「私の、飼い主に当たる人物です」
「……飼い主?」
他者との関係を表すのに、だいぶ不適切な言葉を聞いたような気がしたが、彼女本人はそれをついて気にしていないようだった。
「奴隷商の村に拐われた時に、その村を滅ぼして助けてくれたのがシラヌイです。弟と共に飼って欲しいと、願ったのは私の方でした」
「ふむ」
生きるためだったのだろう、とクトーは推察した。
今でも年若い少女である。
どれほど前の話かは分からないが、幼児と呼べる歳の少女に、身を守る方法は他になかったのだろう。
しかし僅かな口調の差異から、クトーは決してスイキがその立場を卑屈には感じておらず、むしろシラヌイと言う人物に対して、好意を抱いているように感じられた。
「その人物と、弟は?」
「少し前にはぐれました。私も、あなた方同様に、他者の意思によって転移したのです。違いがあるとすれば、あなた方は我々の世界に跳び、私は元々住んでいた場所に跳んだ、という違いくらいでしょうか」
やはり、ある程度スイキは心を開いてくれたようだ。
自分の境遇や事情をクトーに教える、というのは、つまりそういうことだろう。
「では、お前が王都を追われることになったなら、その仲間達を探そう」
「え?」
クトーが、手にした紋符を眺めながら言うと、スイキがこちらに目を向ける。
「アルゴたちにそれを語るかどうかは、まだ迷っているのだろう? この世界で俺たちが最初に出会い、街まで導いてくれたのは、スイキだ。その程度の恩は返すべきだろう」
少なくとも仲間に出会うまでは、行動を共にしたいところだ。
その後、ペンタメローネの王都に戻ってくるかどうかは状況によるだろうが。
「いいのですか?」
「何か問題があるか?」
クトーにとっては至極当たり前の話なのだが、スイキは驚いている様子だった。
「貴方は、変わった人ですね」
「そうか? ……それよりお前も、行動を決めるのなら早い方がいいとは思うが。俺も、アルゴへの返事をいつまでも保留するわけにはいかない」
帝国や和繋国との戦いが起こるなら、アルゴとしても準備は早く進めたいはずだ。
『誰にでもチャンスを与える』という彼の言葉を信じるのなら、イーサらが魔力の扱いを会得することで、スイキの功績を認めてくれる可能性は、ないこともない。
しかし、それぞれに事情がある以上、何がお互いに一番良い状態となるかは、彼女の意思なしには話し合うこともできないのだ。
「……クトーは、アルゴを信用出来ると思いますか?」
「おそらくな」
合理を重んじる上に、目的や芯のある人物だ。
スイキに対して、率直に追放を口にしたことにしても、冷酷に見えるかも知れない。
が、裏を返せば黙って投獄などもせず、情報を無理に得ようともしていないフェアな行動とも取れた。
相手を侮り、対等に見れない性根の者に、そうした行動はできないのだ。
「……私の属していた【鷹の衆】は、帝国の勢力によって滅ぼされました」
クトーが、新たな木の札に、練習のために別の紋を刻み始めると、スイキはその横で語り始めた。
「ですが、今、我々は自分たちを滅ぼした相手……神聖オース帝国で〝蒼将〟と呼ばれている人物と協力して、和繋国を支配するナムチを、打倒しようとしています」
「状況が掴めんが、詳しく話してもらえるのか?」
「はい」
スイキの返事に迷いはなかった。
どうやら、彼女も決断したようだ。
「我々が滅ぼされた原因は、私にあります」
目の秘密を聞いた時から感じていたが、彼女はやはり特別な存在だったようだ。
朱い髪と瞳を持つ彼女は、その特別さゆえに帝国に狙われたらしい。
「ですが、【鷹の衆】の頭領や、私の呪紋の師にも、それぞれに思惑がありました。蒼将アレクも、その思惑の中で利用されていたのです。ーーーしかし彼は、その立場を良しとしませんでした」
情報をすり合わせた結果、全ての元凶は、彼女の師とナムチだった、ことまでは掴んだらしい。
アレクはスイキ達と契約を結び、帝国内の彼女の身柄を求める勢力から秘匿しながら、協力していたのだという。
「私を襲っていたのは、帝国の過激な側の勢力です」
「なるほどな。転移をした、というのは、彼らと逸れたからか?」
「いえ。私の秘密を知る者を求めて、【鷹の衆】の残党は南に降りました。そして話を聞いた直後に、跳ばされたのです。……『九頭龍を探せ』と」
クトーは、不意に視線がこちらに向けられるのを感じて、彫刻の手を止めた。
スイキの朱い瞳が、こちらを真っ直ぐに見つめている。
「私は、跳ばされた直後に出会った貴方がそうなのではないか、と考えています。ーーークトー・オロチ」




