おっさんは、異世界に飛ばされるようです。
「ーーー今日から、無期限休暇だ」
王都に建つパーティーハウスの大広間で。
そんな言葉とともにリーダーが差し出して来たのは、一枚の紙切れだった。
「これがギルドの正式な依頼書だよ。文句はねーよな? クトー」
ニヤニヤと笑いながらそれを差し出しているのは、所属する冒険者パーティーのリーダー。
部屋の真ん中に立つ自分を囲んでいるのは、他のパーティーメンバーだった。
銀縁メガネのブリッジを指先で押し上げ、改めて差し出された紙に目を向ける。
それは冒険者ギルドから発行される、正式な形式に則ったものだった。
記されているのは、リーダーの言葉通り。
クトーに対して『無期限長期休暇を請け負う』ことを、命じるものだった。
「内容に間違いはないようだな。いいだろう」
依頼書を受け取って軽くうなずくと、銀縁メガネを首にかけるための細いチェーンが、シャラリと鳴る。
クトーは、このパーティーで長年、雑用係を勤めていた。
引き締まった肉体と威圧感を持つ冒険者然とした黒髪のリーダーと違い、白い礼服を纏うクトーは、長身ではあるが細身である。
タイをきっちりと締め、銀髪はオールバックで数本の前髪以外は丁寧に整えているので、文官に見られることが多い。
そのため、最強と名高いこのパーティーの一員と名乗ると、大抵は疑われるが……。
「俺がいない間にハメを外すなよ? ーーーリュウ」
このパーティーの財布を握っているのは、クトーだった。
「ウルセェな。分かってるよムッツリ野郎!」
クトーは『表情に乏しい』と、幼い頃から言われている。
そのせいで、別に気取ったりしている訳でもないのだが、そう見られる事もあった。
言っているのは、主に目の前にいる幼なじみである。
「うちの依頼達成率は100%だ! 依頼内容は長期休暇なんだから、なるべくゆっくりして来いよ!?」
「ふむ。それは、俺がいらんという意味か?」
「いやそんな事言ってねーよな!?」
故郷の村で一緒に育ち、共に冒険者パーティー【ドラゴンズ・レイド】を立ち上げた相手であるリュウの言葉に、クトーは淡々と答える。
「気が乗らんな……」
しかし、今回ばかりは仕方がなかった。
何せ、冒険者ギルドからパーティーが請け負った依頼の内容が『クトーが長期休暇を取ること』なのだから。
ちなみに冒険者ギルドというのは、いわゆる『何でも屋』である冒険者のサポートを行う団体である。
魔物退治などの依頼受付、報酬の支払い、あるいは手に入れた素材の買い取り。
そうした手間を代わりに引き受けてくれる場所であり、最初は一人の商人によって立ち上げられた互助組織だったのだが。
今は冒険者のランク付けをしたりなど、冒険者の総合派遣を行う組織になっており、たいていの街に支部がある。
現在、リュウとクトーが二人で立ち上げた冒険者パーティー【ドラゴンズ・レイド】の所属人数は、のべ20人を超える。
冒険者ギルドに登録している中では、実力はトップクラスであり、規模も最大に近い。
そんなパーティーを束ねているのがリュウで、クトーは戦闘の実力こそパーティー内でも下の方だが……他の連中が苦手な事務仕事を、一手に引き受けていた。
「もしはしゃぎ過ぎて、戻ってきた時に貯蓄が空になっていたりすれば……」
クトーがカツン、と手に持った杖の先で床を叩くと、周りの男たちがビシッと背筋を伸ばす。
「どうなるか、分かっているだろうな?」
「しつけーな!! 分かってるっつーの!! なぁ!?」
リュウの呼びかけに慌てて周りの連中もうなずくが、全く信用できない。
「釘を刺しておかないと、お前らはすぐに忘れるだろうが」
暇があれば、賭博だの女だの酒だのと、散財していく連中である。
給料の前借りを頼まれたのも、一度や二度の話ではないのだ。
当然、金の管理は任せられない。
「一応、依頼の請負や資金や装備の管理については監査を委託してある。好きに使えると思うな」
「いや信用ねーな!?」
「……むしろあると思っていたのか?」
そちらの方が驚きである。
依頼書を胸ポケットにしまったクトーは壁際に近づくと、かけてあったインバネスコートを羽織る。
「遊ぶ金が欲しければ、支障がない程度に個人依頼を受けるのは好きにしたらいいが、シフトには穴を開けるな」
留守にする間も、パーティーハウスや装備の維持に関する固定費はかかるので、完全にオフにすることは出来ない。
が。
「依頼スケジュールは必要最低限になるように、昨日までギルド側と調整を行なっておいた。多少は暇が増えるはずだ」
するとリュウが、不思議そうな顔をする。
「クトーにしちゃ、ずいぶん優しいじゃねーか」
「ただの雑用係である俺が休むのに、お前たちをあくせく働かせようとは思わん。当然だろう」
そもそも休みが欲しいとも思っていないが、これに関しては仕方がない話でもある。
ことの発端は、この冒険者パーティーに最近加入した一人の少女だった。
今はまだパーティーハウスに顔を見せていないが、クトーが素質を見出して勧誘した彼女は、先日、パーティーの実力試験に合格したのだ。
見習いから正式メンバーに昇格した彼女に、合格報酬を尋ねたところ、こう答えたのである。
ーーー『クトーと一緒に、休暇が取りたい』と。
「まぁ、手塩にかけた弟子にそう言われたら、仕方ねーよなぁ?」
「彼女の実力だ。俺は別に大したことはしていない」
そこで、バァン! と勢いよくパーティーハウスのドアが開く。
「おはよー! って、あれ? 王都にいる人たち、皆揃ってるの?」
「おー、レヴィ。見送りだよ、見送り!」
リュウが軽く手を上げて答えた相手は、小竜を肩の上に乗せた、ひとりの小柄な少女だった。
黒髪のポニーテールに、前髪を止める可愛らしい意匠の留め金。
きめ細かな褐色肌をしていて、気の強そうな猫目の瞳は翠色。
笑みを浮かべた口元には、ちらりと八重歯が覗いていた。
外套はピンク色のケープタイプのもので、胸元を覆う軽装鎧に腰のポーチとロングダガー。
キュロットタイプのズボンから伸びるすらりとした足を、ブーツとロングソックスで包み、右足には投げナイフ用のホルダーを巻いている。
その姿を見て、クトーは無表情のまま一つうなずいた。
ーーーうむ。今日も大変可愛らしい。
「クトー」
「何だ?」
「あなた、また変なこと考えてるでしょ」
「いや」
ごく普通のことしか考えていないので、ジト目になったレヴィに、淡々と答える。
なぜかはよく分からないが、彼女はクトーに『可愛らしい』と思われることが不満らしい。
「怪しいわよね。どう思う? むーちゃん」
「ぷにぃ!」
肩の上に乗った真っ白な毛並みを持つ小竜は、パタパタと翼を振りながら鳴く。
しかしクトーはそのやり取りには構わず、リュウに声をかけた。
「では、出かけてくる。何か問題があれば連絡しろ」
「問題が起こらないことを願っとけよ」
「違いない。では行くぞ、レヴィ」
「ええ」
レヴィに近づき、しばらく離れる仲間たちに、別れの挨拶を述べようと並んだ、ところで。
「ぷにぃ!?」
「どうしたの? むーちゃん」
突然、レヴィの肩に乗った小竜が上を振り仰ぐとほぼ同時にーーー。
ーーークトーらの足元に、いきなり魔法陣が浮かび上がった。
「「「……は!?」」」
レヴィやリュウが驚きの声を上げ、クトーは魔法陣に目を走らせる。
ーーー時空転移魔法陣、だと……!?
それは、緻密かつ高度な時魔法である。
しかも誰が発動したかも分からず、対処する間もないほどの速度で展開したそれは、クトーとレヴィの体を一瞬で包み込み。
「ちょっと、何よこ……」
れ! と彼女が声を上げ切る前に、クトーらは『何処か』へ飛ばされた。
※※※
ーーー何処ともしれない虚空。
『……成功した、か』
転移の成功を感じて、『それ』は目を閉じた。
『それ』は世界を眺める者だった。
管理をしているのでも、支配をしているのでもなく。
ただ、その在りようを見つめ、守るために偏在する者だった。
三千世界にあまねく存在の内に、世界を安定させるために偏在する、勇者と魔王の輪廻。
その二者の中には、己の力で輪廻より解き放たれた者も、他者の手によって理を超越した者もいる。
『それ』はそうした者の一人であり、別の世界に在る同様の存在により、今、その世界の安定が崩れようとしているのを感じていた。
基底となる、根源世界が何者かに蝕まれ、崩壊し始めているのを、知った。
その世界は、『葦原中津国』とも『混沌に生まれた太極』とも、あるいは『ギンヌンガカプ』とも呼ばれる地だった。
救わねばならない。
その世界が崩壊すれば、やがて連鎖的に三千世界の全てが滅ぶことになるのだ。
『それ』は、起こっては消えるあまたの世界の中で、根源世界を救う力を持つ者を探した。
そして、見つけた。
世界に偶然以外に偏在しえない、唯一の存在。
決して人理を超えた強大な力を持つわけではない、その男。
ただの人間であるにも関わらず……いや、ただの人間であるからこそ、自分と同様に理を超えて、世界を救う可能性を持つ者を。
努力と、明晰な頭脳と、その魂の在りようだけで勇者を支え抜き、世界を変えようと試みる彼を。
『それ』は自分とよく似ていると、思った。
ーーーー〝勝利と策謀の修羅〟クトー・オロチ。
そして、そんな彼と因果によって結ばれた、複数の魂。
『理の内に在りながら、理を超える者よ。亜納の地を、頼む』