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ちっぽけな村の英雄

 イスメトは母に旅のことを打ち明ける決意をした。


 まっすぐ自分の家へと向かう。

 到着するころには日も暮れて、家では母が夕食の支度をして待っていた。


「イスメト? 食べないの?」


 いつまでたっても食事に手を付けない息子に、母は訝しげな視線を送る。


「母さん……」


 どう本題へ移るのが最適か。

 平生を装いながらもイスメトは頭の中で模索する。

 そんな息子のただならぬ気配に気づいたのだろう。母は椅子に座り直し、まっすぐこちらの顔を見た。


「母さん……僕、夢の中で初めて父さんに会ったんだ。一緒に、砂漠を旅した」

「……! そう、父さんと旅を……」


 母は一瞬だけ驚いた顔をする。が、すぐに優しい微笑に戻った。


「実はね、母さんのところにも来てくれたのよ、父さん」

「! やっぱり、そうなんだ。どんな夢だった?」

「昔のように、三人で暮らす夢よ。父さんは生きているのに、イスメトは大きくなっていて……不思議な夢よね」


 母は懐かしむように目を細めている。


「しかもね、お前がお嫁さんを連れてくるのよ」

「へっ!?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。想定外の内容にイスメトの心臓はひっくり返る。

 母は「夢の話よ」とおかしそうに笑って続けた。


「それでね、父さんと話したの。息子は立派に成長したから……笑顔で送り出してあげないとねって」

「……え? む、婿養子……?」

「いいえ。旅によ」


 イスメトは目を丸くした。

 戸惑うこちらの様子を見て、母は満を持したように語りだす。


「……ちょうどお前がタウラ州に出掛けるようになった頃だったかしら。村にホルス神官団の隊長さんがいらっしゃってね」

「ア、アルヒドさんが……?」

「そうそう、確かそんな名前だったわね。それで、村長さんの家に呼ばれたもんだから何事かと思えば……ウチの子が、王女様の護衛に任命されたっていうじゃない」

「し、知ってたの……!?」


 アルヒドからは何も聞かされていない。が、考えてみれば自然な成り行きとも言えた。

 権力者からの要請という形式でもなければ、ただの農奴が生まれの州を合法的に出ることなどできない。上での手続きを終えた後、村長や母に話が行くのは当然のことだ。


「とても名誉なことじゃない。どうしてすぐに話してくれなかったの?」

「それ、は……」


 問われて口ごもる。本人には聞かせたくない理由だった。

 母を悲しませ、最悪またあの病を再発させてしまう――それがイスメトの最大の懸念事項であり、恐怖だった。


「……もう。子供が親の心配なんてしなくていいの」


 しかし、こちらの不安など言葉にせずとも母には筒抜けだったらしい。

 その証拠に母は申し訳なさそうにそう呟いた。


「……もちろん最初はね、止めようと思ったわ。でも……いい加減、子離れしないと父さんにも心配かけちゃうから」


 そう言って冗談っぽく笑う。

 そんな母の姿を見てイスメトは不意に懐かしい気持ちになった。

 病に冒される前の母は、よくこんな風に笑っていた。


「それに……あの夜、家を飛び出していくお前を見て思ったの。ああ、もうこんなに大きくなっちゃったんだなって」


 母の目には寂しさの色が確かに見て取れた。

 しかし、取り乱すでも沈むでもなく、むしろ凜とした表情で彼女は息子の肩を叩く。


「しっかりやりなさい、イスメト。あなたはこの村の英雄。そして……私たちの誇りよ」

「母さん……」


 そこにはもう病にふさぎ込む母の面影などどこにもない。イスメトのよく知る、強い母の姿があった。

 母はイスメトを強く抱きしめた。幼い頃に戻ったようで照れくさくはあったが、今回はイスメトも母を抱きしめ返した。


「さあ今夜は飲むぞ! 祝勝会だ!」


 旅立ちの前日には、村をあげての祭が執り行われた。

 先の騒動を乗り切った祝いと、村の守り神への感謝、そしてイスメトの旅の無事を祈る祭である。

 怪我を負った村人たちも回復し、広場には皆に呼びかけるアッサイの姿があった。


「この村を救った神と、英雄に乾杯!」

「乾杯!」


 アッサイから渡された杯をイスメトが一気にあおると、村人たちは待ってましたと言わんばかりに歓声を上げた。杯の大きさの割に、麦酒は少量しか入っていなかった。

 人々の歓声に包まれてイスメトは縮こまる。

 こればっかりは性分である。


「本来ならば、イスメトに村一番の戦士の称号を譲りたいところだが……知っての通り、彼はこの村を発つことになった。この村の守り神、セト神の信仰を世に広める責務のためだ」


 人々の視線はイスメトとセトの社に集中する。

 社の周囲には酒の入った大きな(かめ)が並べられていた。姿も見えず、声も聞こえない神のことを、今や村の誰もが信じ感謝していた。


「神様もいなくなっちゃうの?」


 不意に村の子供が、眉根を寄せてイスメトに尋ねてくる。手にはセトの木彫りを握りしめていた。


「そんなことはないよ。社は神様と繋がってるから……思いは届く。困ったことがあったら、きっと助けてくれるはずだよ」


 ――そうだろ? セト。


【ハッ】


 セトは肯定とも否定とも取れない反応を返す。

 直後、セトの社がいつかのように赤い光をまとった。人々がざわめく中、社の屋根の上に光が集まり、やがて異形の姿を形成していく。

 イスメトも目を見張った。


 そこに現れたのは、冥府(ドゥアト)で一度だけ目にしたあの筋骨隆々な男神の姿――ではなく、赤黒い毛並みを持つ四つ足の獣だった。


「あ、あれが?」


 驚愕に言葉を失うアッサイに、イスメトはこくりとうなずき返した。


「う、うん。僕もこの姿を見るのは初めてだけど……間違いなくセトだよ」


 スラッとした足に細身の胴体。まるで砂漠を徘徊する痩せたジャッカルのような出で立ちだが、ツンと立った耳の先は四角く末広がりになっており、長く伸びる尾の先にはライオンのように毛の房がついている。

 およそどの動物とも断定できなかった。


「この村に加護を与えるか否か――それは、お前たちの日頃の行い次第だ」


 人々が息を呑んで見守る中、セトの化身は赤い眼光で見下ろす。


「神の力は信仰によって高まる。加護を得たければ、今後も俺への信仰をけして絶やさぬことだ」


 村人たちは各々に、自分たちを守った神への敬意を示した。

 その言葉に何度も頷く者、聞き入るように胸に手を当てる者、その場にひれ伏す者までいた。


「もっとも、〈依代〉が不在では互いに不便だろう。想定以上に神力も集まったことだ、この中から俺に仕える神官を選んでやろう。そうだなァ――」


 周囲を舐め回すようにセトの瞳が動いたあと、アッサイの眼前に赤い光が集い出す。やがて形を成したそれは空中でゆっくりと下降を始めた。


「な、何だ……!?」


 動揺するアッサイ。セトは口の端をつり上げる。


「ソイツは俺の神器の複製品さ。神像同様、俺の力を媒介する。〈依代〉のように、とまではいかねェが……身に着ければ並みの神術師くらいの技は出せるようになる」

「し、神術師? 神官!? お、俺がか……?」

「最初にセトの名を掲げ、〈砂漠の民〉をまとめ上げたのはテメェだ。十分に素養があると思うが? 異議を唱えるヤツもいねェ。あとはテメェが望むかどうかだ」


 アッサイは小さな鍵のようにも見えるセトの護符――〈支配の杖〉を手のひらサイズにまで縮めた金属製の首飾りを見つめ、しばし何かを考えていた。

 が、狼狽こそすれ迷っている素振りはない。単に、自分に与えられた役割の意味を理解する時間が必要だったのだろう。


「……拒む理由は、ないな」


 アッサイが手を差し出すと、その中に神器は収まった。

 広場に再び歓声が起こる。

 祭には新たに神官の任命式のような意味合いも加わったが、後半はもはや飲んで食べて騒ぐだけのいつもの宴会に成り果てていた。気付けば他の村の同族たちも加わっているようである。


「ふぅ……」


 夜が更けてきた頃。人々の熱量に少し疲れ、イスメトはこっそりと輪を抜けた。

 明日の朝には港へ行く約束だ。村の景色もこれで見納めとなる。広場から遠ざかると、村の中は実に静かだった。


【なかなかのモンだろう。勝利の美酒の味は】

「……うん。まあまあ、かな」


 頭に響くセトの声にも、すっかり慣れてしまった自分がいる。


【テメェはもう『誰かの息子』じゃあない。この村を救った英雄、イスメトだ】

「……大げさだろ。村の人にとってはそう見えても……僕からしたら、本当の英雄はセトなんだし」

【あァ?】


 誰かから賞賛を受けるたびに、誇らしさと同量の後ろめたさを覚える。今も、昔も、ずっとそうだった。


 ――疫病神の僕なんかが。

 ――神の力を借りているだけの分際で。


 セトはハッと鼻で笑う。


【俺は『ナイルシア一の神』だぜ? それ以外の称号なんざいるか。第一、〈依代〉が乳臭ェガキのまんまじゃ締まらねェだろが。せめて『ちっぽけな村の英雄』くらいは名乗っとけ】

「えぇ……」


 そんな外聞が悪いみたいに言われても……と、イスメトは苦笑した。


【将来的には『王』を名乗らせてやってもいいぜ?】

「それ……どういう意味で言ってる?」


 が、今度の冗談は笑えなかった。

 いや、本当に冗談か?

 イスメトの心労は絶えない。


 そうこう話しているうちに、気づけば自宅の近くまで来ていた。一通り村を回り終わってしまったようだ。

 あと残っているとすれば――


「父さん……」


 イスメトは父の棺の前に立っていた。

 地下集合墓地には蜘蛛の巣一つなく、以前より幾分も綺麗になっている。遺体を安置し直す際に整備が行なわれたのだろう。

 あの日の騒動が嘘のように、故人たちは静かな眠りについている。


「ただの気休めかもしれないけど……」


 イスメトは首に巻いた布に手をかけた。

 十年前。父の葬儀が終わってからというもの、ずっと肌身離さなかった砂避け用の布。これを巻いていると、いつも父が傍にいてくれる気がして心強かった。

 情けない話だが、その感覚は今でも変わっていない。


 だからこそ。


「これは……返します」


 イスメトは父の形見を、そっと真新しい棺の上へと置く。


「もう、僕は……大丈夫。これからは、母さんを見守ってあげてください」


 故人を思うことは悪いことではない。だが、思い出を尊び守ることと、故人に泣きすがり続けることは違う。

 父から受け取ったものは、今もなおこの胸に宿っている。

 形見などなくても。思い出にすがらずとも。

 父の生き様を、もう二度と忘れたりはしない。


「……行ってきます」




「うわぁ……アウシットがもうあんなに遠く……」


 イスメトは遠ざかっていく故郷を目に焼き付けていた。

 アウシットの遠景ならば対岸から何度も眺めたものだが、船の上から見る景色はまた別物に思える。

 王都から来たという最新の大型船に乗り込み、イスメトは大河(ナイル)の川下を目指している。


「この船で、(しも)ナイルシアまで一気に下るんだ。そこから、歩いて戻ってくるんだよ。いろんな州をまたいでね!」


 出発の際、エストは無い胸を張ってそう説明してくれた。

 アウシットはイスメトにとって、旅立ちの地であると同時に終着地。

 旅の終わりに待ち受ける未来は、皆目見当もつかない。


 だけど。


「ナイルって……こんなに綺麗だったんだ……」


 悲観的になるのは、もうやめようとイスメトは思う。


【クハハ! なァに感傷に浸ってやがる】

「い、いいだろ別に……こんな旅、一生に一度だって普通はないことなんだから」

【ハッ! まァ、美しい国であることに異論はねェがな】


 意外だった。セトの口から美しいなんて単語が飛び出すとは。

 なんだかんだで、出会った頃よりもセトはいくらか丸くなったような気がする。現世に神殿を復興することができて、いくらか気持ちに余裕が生まれたのかも知れない。

 旅の荷が少しだけ軽くなったような、そんな心地がした。


【この景色も、いずれはすべて俺の手の中……クククッ! 今から楽しみだぜ。あの小娘とホルスの泣きッ面を拝む日がよォ……!】


 前言撤回。

 コイツはぜんぜん変わっていない。


「はぁ……そんな日が来ないことを祈るよ……」


 前途多難な旅路を思い、一人イスメトは深々とため息をつくのだった。

ここまでお読みいただき、

本当にありがとうございました。


これにて「罪人の息子」のお話は幕引きとなります。


一応、この物語自体にはまだ続きがあります。

しかし、個人的に現在のクオリティに満足できず、

全体プロットの見直し、改稿、続編執筆のため

まとまった時間を取ることにいたしました。


完全な続きではなく改題作を投稿し直す可能性もありますが、

いずれにせよ、この物語を最後まで書ききる所存です。


2021年内には戻ってこようと思っています。

ご縁がありましたら、また彼らに会いに来てくださると嬉しいです。

本当にありがとうございました。



■追伸


連載再開まで、匿名アンケートを設置します。

よろしければ今後の参考にさせてください。

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