夢で逢えたら
夕暮れの砂漠を二人で歩いていた。
本来、無限に広がる砂の海には命の危機を感じるはずなのに、その砂漠は違った。暑さも乾きもない。ただただ広大で、美しく、幻想的な赤に染まっていた。
だからこそ、少年は気付いてしまった。
そのまま永遠に歩いていたいとすら思った。
この旅の先にある孤独な目覚めから、いつまでも目を背けていたかった。
「――」
「――」
旅の中で、少年と父親は様々なことを語らった。
失われた時間を埋め合わせようとするかのように。
こぼれた砂をかき集めるように。
どれだけ意識をこらしても自然と指の隙間をすり抜けるものだと知って、それでも必死にかき集めようとしていた。
やがて二人は砂に埋もれかけた大きな神殿を見つける。初めて訪れた場所。それなのに、なぜだか少年には見覚えがある気がした。
神殿の入り口をなんとか掘り出して、中を覗いてみようとしたところで――
【……よォ。良い夢は見られたか?】
夢は終わった。
イスメトが目覚めたのは騒動から三日後の朝である。
神力の反動によって、長い長い眠りに閉じ込められていたのだ。
「ん……ああ、そうか。僕、あのまま……」
体を起こせば赤い砂漠――ではなく、見慣れた砂レンガの壁が目に入る。自室だ。
イスメトはセトの小さな像に囲まれた寝台の上にいた。像の数は前回の二倍近くに増えている。今回はさらに多くの村人がお見舞いに来てくれたようだった。
「イスメト……!」
ほどなくして母が涙ながらに駆け寄ってくる。状況が状況だっただけに、今回はかなり心配をかけたようだ。
申し訳なく思う反面、イスメトは安堵した。
生き残れて良かった。母を悲しませる最悪の結末を避けられて本当によかったと。
それから母といくらか会話をし、村人たちにも顔を見せに行った。
ケゼムや村長、村に残った人々に目立った怪我はなかった。一方でアッサイや戦いに参加した戦士たちは自宅での療養を余儀なくされていたが、アヌビス神官団の治療もあり順調に回復へ向かっているようだ。
イスメトはほっと胸をなで下ろした。
その後、イスメトはサナクに会おうとアヌビス大神殿へ向かった。助けられたお礼を言うためだ。また、一連の騒動がどのように処理されたのかも気になっていた。
「イスメト! よかった、元気になったんだね!」
神殿が見えてきたところで偶然エストと鉢合わせた。なんでも、そろそろイスメトが目覚める頃だと思い、わざわざ村へ顔を出そうとしてくれていたらしい。
彼女は、聞かずとも今の状況を説明してくれた。
「事件の翌朝には、ムアドについて調べたことを公表したんだ。本人は……亡くなったみたいだけど、呪術を行なっていた証拠はたくさん見つかった。サナクとアヌビスの活躍もあって、今のところ異議を唱える人は出てきていないよ」
「アヌビス神の、活躍……?」
最初こそアヌビス神の祟りを疑う民が多かった。しかし、その疑いはどうやら他でもないアヌビス神自身が晴らして回ったようである。
「州侯によって暴かれたご遺体を、アヌビスがぜんぶ元の姿に戻してくれたんだ。奪われていた心臓も含めて、ね。だから、きっとみんな冥界へ行くことができたんじゃないかな」
「え……それって……」
イスメトの鬱屈した心に希望の光が差す。
エストは穏やかな瞳に少しばかりの緊張感を宿して、イスメトに向き直った。
「イスメトは……お父さんの夢、見た?」
「えっ……? 確かに……見たけど」
夢の内容を言い当てられて困惑するイスメトに対し、エストは安心したように笑った。
「そっか、よかった! 知ってる? 死んだ人の夢を見るのは、その人の魂が尋ねてきてくれた証拠なんだよ」
「え、でも……そんなの迷信……」
言いかけて、待てよと思う。
イスメトはこの十年間、父の夢を一度も見たことがなかった。だからこそ、そんな迷信は信じたくないと思っていたのだが――父は呪術のために心臓を奪われ、魂を失いかけていた。だから夢に現れることもできなかったのだと考えると、あながち迷信とも言いがたいのではないか。
「イスメトだけじゃないよ。あの夜からずっと、亡くなった家族の夢を見たっていう人が続出してるんだ」
「そうなの? そんな偶然、ありえるかな……」
【いや、ありえねェな】
イスメトの疑問に返したのはセトだった。
【神の奇跡でもなきゃ、ありえねェ確率だ】
「……あっ!」
セトの言葉で、イスメトは気を失う直前の光景を思い出した。
あの夜、アヌビスは確かに神術を使った。その夜から人々の間で不思議な夢が続いているのだとしたら――つまり、そういうことだろう。
「きっとアヌビス神のお導きだって、みんなも言ってるよ」
「そう、か……それじゃあ、あの夢の父さんは、本当に……」
イスメトは必死に記憶をたぐり寄せる。
夢の内容は大まかにしか思い出せなかった。まるで何かに追い立てられるかのように早口になって、色んな話を父に聞かせた気がする。そのときの焦燥感と充足感だけは、なぜだか記憶に残っていた。
夢の中の自分だけは、もしかすると気付いていたのかも知れない。
目の前にいる父が本物の父であると。
「……サナクさんとアヌビス神に、お礼を言わないと」
「サナクなら、神殿の診療所で寝てると思うよ」
エストに言われ、イスメトはサナクの置かれている状況を瞬時に察した。
「う、うぅ……わ、割に合いません……神殿で出世したって……何も……」
案の定、病室には激しい体の痛みを訴えるサナクの姿があった。
間違いなく神力の反動だ。
聞けば、州侯との戦いに加え、操られた全ての遺体をミイラに戻す作業についても、彼に宿ったアヌビスが一夜のうちにすべてやってのけたのだという。
しかも、ミイラの総数は州全体で百体を優に超えていたとか。
恐るべき作業量とスピード。体への負担も相当だろう。
「ああ、そうだイスメト君……これを……」
サナクは震える手でイスメトに鍵を手渡してきた。
「〈至聖の場〉にて……我が主が、お待ちです」
「え? サナクさんの中にいるんじゃ……」
「今は……いらっしゃいません。州の復興を見届けるまで……定期的に、体を借りたいとは、言われましたが……」
本当にせわしない神である。
「ああ……農民になりたい……」
サナクの独り言には妙な哀愁が漂っていた。




