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砂漠の一陣

 閃く刃をはね除ける、突風。

 イスメトは驚愕するジタを背に、その男の前へと立ちはだかる。

 男は打ち返された得物の勢いに体勢を崩すも、危なげなくその場に踏みとどまる。そして、生気無き瞳でイスメトを――息子を捉えた。


「イ、イスメト……」

「……大丈夫。二人は下がって」


 本当は斬られた跡がジクジクと痛む。脂汗は止まらないし、息切れもする。

 だが、これは強がりではなかった。


 全力――セトの力を含めたすべてをぶつけなければ、今の自分に父は止められない。それは父とアッサイの戦いの結果を見れば明らかだ。

 ならば周りに仲間はいないほうがいい。制御できない力に巻き込んでしまう可能性があるからだ。


「……勝てよ」

「うん」


 ジタは素直にアッサイを連れて後ろに下がった。己の力量は誰よりも彼自身が承知していることだろう。

 とはいえ、当然イスメトにも父に勝てる確信があるわけではない。ただ――


【できる、できないじゃねェ。テメェが望むか、望まないかだ】

「分かってる」


 セトの意志と呼応するように、イスメトの体は自然と動いていた。


【一撃だ。一撃でも入れば勝てる】


 たった一撃。

 それで父を操る〈混沌〉を払うことができる。

 置かれた状況だけならば、こちらが圧倒的に有利。

 しかし、力量では圧倒的に不利。


「く――ゥッ!」


 イスメトは即座に間合いを詰められ、防戦を強いられる。矢継ぎ早に繰り出される父の斬撃は、スピードも威力もイスメトの杖捌きに勝るものだった。


 ――リーチの長い武器は、間合いに入られたら一気に不利になる。


 屍となった父に知略を練る能力があるのかは不明だ。

 ただ少なくとも、この戦法は理にかなっている。


 ――自分の間合いで戦える状況に持って行くことが先決。


 言うは易く行うは難し。

 その場に踏みとどまったつもりでも、相手の凄まじい剣圧にイスメトは数歩分の後退を余儀なくされる。そしてまた追撃。このままではいずれ背後の岩に追い詰められ逃げ道すら失うだろう。


 ――どうする? やっぱりセトに代わってもらうべきか? でも……


 イスメトの焦燥を読み取ってか、セトは冷静な意見を述べた。


【さっきはああ言ったが、実際問題それは最後の手段だ。そんな死にかけの体、俺が使えばすぐにぶっ壊れるぞ】


 つまり、死ぬ。

 イスメト自身、そんな予感はしていた。今でさえ攻撃を防ぐたびに伝わる振動で熱と痛みがじわりと傷口へ広がっている。このような状態で、セトの動きに対応できるとは到底思えない。


 ――それに、父さんを倒すだけじゃダメなんだ。州侯を止める力を残しておかないと。


 州侯は屍たちに守られながら、岩山の上で祭具のようなものを並べている。何の儀式かは不明だが、良からぬ企みをしていることだけは確かだ。


【さらに〈混沌〉を呼び寄せる気か……小僧、いざとなれば俺はお前を切り捨てるぞ】

「……うん。それでいい」


 聞きようによっては、それは冷酷な死の宣告。しかし、イスメトはセトに感謝すらしていた。

 合理的に考えれば、イスメトを犠牲にしてでもセトが戦いに身を投じた方が勝率は上がる。そんな状況でも、セトは自分に父と向き合う時間をくれた。

 不条理に自ら抗うための機会を残してくれたのだ。


「――ありがとう」

【勘違いすんな。また一から〈依代〉を鍛えるのが面倒なだけだ。失敗は許さん。死んだらぶっ殺す】


 それは、死んで冥界へ墜ちた後にもう一度ぶっ殺されるということだろうか――いや、今は深く考えても仕方がない。


 幾度目かの斬撃を〈支配の杖(ウアス)〉で受け止める。

 セトの力は諸刃の剣。これまで以上に戦略的に、ピンポイントで使わねばならない。

 イスメトは武器の接点で互いの力が拮抗したタイミングを見計らい、神力を上乗せした豪腕で父の剣を押し返す。その一瞬、相手に隙が生まれた。

 しかし攻め込むことはしない。すかさず横っ飛びに跳躍、敵との位置取りを変える。


 真正面から打ち合っても勝機はない。この戦いを収めるためには、いかに力を温存しつつ格上の相手を倒すかが鍵だ。


 ――考えろ。敵が最も油断する瞬間はいつだ。


 イスメトの脳裏に、大神官を追い詰めた時の光景がよぎる。


 ――そうだ、あのとき僕は確か……なら!


 イスメトは相手との距離を測りながら、攻め込む時を慎重に探る。

 父は安定感のある構えでこちらの動きをうかがっている。まず相手に打たせてから斬る――それが父の得意な戦闘スタイルだった。死んだ今でもそれは変わっていないらしい。

 今のイスメトにとっては好都合だ。


 ――ここだ!


 条件が整ったと見るやイスメトは迷わず地を蹴った。

 相手にぶつからんばかりの勢いで繰り出したのは刺突。線ではなく、点で攻めることができる棍の利点を最大限に活かした攻撃である。

 しかし、それだけの理由でこの手を選んだわけではない。


 イスメトの渾身の突きは敵の豪腕にあっけなく叩き落とされる。衝撃のあまり〈支配の杖(ウアス)〉はイスメトの手を離れていた。

 ――否。イスメトは最初からこのタイミングで神器を手離すつもりだった。

 イスメトは走り込みの勢いをそのままに、相手の股下へと滑り込む。


 父は不利な武器を相手取る時、必ず相手から攻めさせる。そして大抵の場合、最初の一手で武器を弾いて敵の体勢を崩す。それを可能とするのが、どっしりと足を開いた今の構えだ。

 すべてはイスメトの計画したとおりの流れだった。

 先ほどの刺突は父を討ち取るためのものではない。父の意表を突き、背後を取るためのフェイクである。


 しかし、滑り込みの態勢からすぐに相手へ向き直るためには、スライディングの勢いを殺すストッパーが必要だった。そこで敵の背後――股下をくぐり抜けた先に手頃な岩がくるよう、位置取りとタイミングを細かく調整していたのである。


 イスメトは砂利の上を滑り抜けた足先が目当ての岩に突き当たるや否や、それを蹴りつけ瞬時に慣性を反転させる。

 そうして、父が振り返る前に再び間合いを詰めることに成功した。


 ここからは神頼みだ。


「セト――ッ!」

【言われるまでもねェ――!】


 神器は持ち主の意志に応える。

 イスメトが求める限り、何度でもその手に(・・・・)現れる。


 ――敵が最も油断する時。それは、相手から武器を奪ったと確信した時。


 再召喚した神器の先端が、振り向こうと体勢を捻っていた父の脇腹に食らい付く。

 直後、〈支配の杖(ウアス)〉に象られたセトの目から赤い光がほとばしった。


 夕日のように赤い光の中。

 イスメトは、赤い砂漠の上を歩く父の後ろ姿を見た。知らない場所のはずなのに、どこか懐かしく感じる情景だった。

 父を呼び止めようと咄嗟に手を伸ばす。しかし――その手は空を切った。


 としゃん。


 人が倒れたにしてはあまりに軽く、渇いた音。

 セトの力によって操り人形の糸は切れ、父の骸はその場に崩れ落ちていた。


【俺様の神器を投げ捨てやがって……】


 忌々しげなその声で、イスメトの意識は光の中に消えた幻影から現実へと引き戻される。


【――が、今回は大目に見てやる。俺には絶対に思いつけねェ、見事なダッセェ戦法だったぜ】

「あ、はは……」


 それは褒められているのか、貶されているのか。イスメトは思わず苦笑した。


「……ツっ!」


 が、談笑する暇も、感傷に浸る時間もなかった。

 父に受けた傷が開きかけている。正直、立っているのがやっとなほどの激痛だ。

 だからこそイスメトはすぐに地を蹴った。

 まだ体は動く。倒れるまでは戦える。否、まだ倒れるわけにはいかないのだ。州侯を止めるまでは絶対に。


 周囲には、殴っても死なない相手に苦戦する村の男達。負傷者もかなり出ていると見える。援護は期待できないだろう。

 前方には、州侯を守るように待機している屍の群れ。これを越えなければ、州侯に触れることすら叶わない。


「できる、できないじゃ……ない!」


 イスメトは父の形見を握りしめる代わりに〈支配の杖(ウアス)〉を握り直し、小さく自分に言い聞かせた。

 戦場と化した岩場を駆け抜けながら、セトに教わった技のイメージを反復する。

 神器に流れる力を感じ、その力と体が一体化する様を想像する。

 セトの力は荒ぶる風。全てを薙ぎ払う嵐の力――


「……我は吹き荒れる砂漠の一陣」


 イスメトの動きを察知した屍たちが動き出す。

 各々に武器を構え、誰からともなくたった一人の少年に襲い来る。


「……力偉大なる者にして、嵐と暴風の領主」


 しかし少年は足を止めない。

 どころか、その速力は普段の彼の全力を軽く凌駕し始めた。


「なっ……!? コイツ、まだ生きて――!」


 ムアドがその接近に気付いたときには、前列の屍兵たちが宙を舞っている。

 セトの風をまとって駆けるイスメトは、疾風のごとき勢いで敵を蹴散らしていた。繰り出す薙ぎ払いは真空の刃となり、群がる敵を切り裂いて吹き飛ばす。


「ば、馬鹿な……! ええい愚民ども! 何をやっている、私を――!?」


 ムアドが意思なき屍たちに呼びかけようとしたその時にはすでに、怒りに見開かれた紫紺の瞳が目の前にあった。そして、5キュビトの高さを一足で飛び上がった少年の跳躍力に驚く間もなく――


「へぶワが――ッ!!」


 顔面を抉らんばかりの拳を真っ正面から喰らったムアドは、なすすべもなく地面に沈む。

 最後の最後で、イスメトは神器を使わなかった。

 それはムアドの命を重んじたからでは断じてない。まして私刑は避けるべきなどという殊勝な心がけからでもない。

 ただこの男は、この男だけは神器ではなく自分の手で殴ってやらねば気が済まない。そう無意識に思っただけのことだった。


「かはっ……!」


 ひん曲がった鼻からは血液を、口からは数本の歯も同時に吐き出して、男は沈黙する。

 その直後、その場にいた屍兵のすべてが力無く大地にくずおれた。

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