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対峙、そして……

「……! あれは……」

【ハッ。高みの見物ってか】


 不幸中の幸いか。イスメトは術者を探して走り回る必要などなかった。地下墓地の入り口が見えてきたところで、岩山の上に人影があることに気付いたのだ。

 州侯・ムアドである。

 あのとき確かに捕まったはずの男がなぜここにいるのか。疑問ではあったが、今はそれよりも聞きたいことがある。


「州侯! これはお前の仕業なのか!」


 イスメトは問いかけながらも冷静に相手との距離を測っていた。

 岩山は大人二人分の背丈に届くか届かないかの高さ。心得があれば飛び降りることなど造作もないだろう。相手が距離を詰めようと思えば一瞬だ。

 対してこちらから仕掛けるには、まず岩肌をよじ登る必要がある。明らかに不利な状況。不用意に近づくのは危険だろう。


「フン……待っていたぞ、蛮族の神とその〈依代〉よ」


 それを相手も計算の上か。ムアドは慌てる素振りもなく、汚物に向けるような目でこちらを見下ろす。


「ここで待っていればそのうち来るだろうと思っていたよ。私の計画にお前達は邪魔だ。真っ先に始末させてもらう――腹いせもかねて、な」

「計画……? 何を今さら! もう何をやったって、お前の言うことを信じる人なんかいないぞ!」


 イスメトの正論を受け、ムアドは狂ったような笑い声を上げた。


「ふっ、はははっ……! ああ確かに、お前のせいですべてが台無しだ。三十年間温めてきた計画のすべてが――!」

「三十年間……?」


 アメミットを操る計画に三十年を費やしたということだろうか。

 しかし、ムアドの怒りに歪んだ表情を見て、どうもそれだけではなさそうな嫌な予感にイスメトは襲われた。


「フン、お前のような小童(こわっぱ)には想像もできない年月だろうな」


 ムアドは自分の胸に手を当てる。はっきりとは見えないが、首にさげた何かを握りしめているようだ。


「すべては……すべてはアテン様のために……争いのない平和な世界のために、私がずっと温めていた計画だった」

「平和な世界って……」

【ハッ! どの口でほざきやがる】


 こちらの困惑など素知らぬ顔で、ムアドは語る。


「アメミットが州都で暴れ回り、各地の墓地から死体が徘徊を始める――ここまですれば、いかに信仰厚きアヌビスであれど、その名を地に落とすことは必至」

「……っ! 本当に、エストの言ってたとおりだったのか!」


 現に町には、この状況をアヌビス神の祟りだと思い込んでいる人も少なからずいた。


「そこで私がアテン様の名のもとに騒動を鎮めれば、愚民どもも真の神が誰であらせられるのかを理解できたはずだ。同時に、これまで目をつぶってやっていた神官どもの不正も、そこで暴露するつもりだった――私の関与はもみ消してな」


 ムアドは一連の騒動を、アテン神のために自らが引き起こしたのだと自白した。

 セト信仰を広める義務を負うイスメトですら、その行動に共感を示すことは当然できない。


「だが、お前が邪魔をした! お前と、その神が!」


 ムアドの目が見開かれる。その鬼気迫る形相に、イスメトは反射的に〈支配の杖(ウアス)〉を構えていた。


「砂漠の民に神殿を襲わせる……そこまでは計画通りだった。だがお前たちだけが誤算だった!」


 その発言に、イスメトの心臓は大きく脈打つ。


「……え? 神殿を……襲わせる?」


 それは全ての始まり――母が栄養失調で倒れ、村人たちが神殿の対応に怒り狂い、イスメトがセトと出会うことになった、あの食料騒動のことを言っているに違いなかった。


【ハッ! そういうことかよ……!】


 困惑するイスメトの中で、セトが憤りも露わに声を荒げる。


「ど、どういうこと……?」

【いかにアヌビスの眷属(ペット)とはいえ、仮にも神の一柱であるアメミットを現世まで引きずり出し、操らんとした強力な呪具……そんな力をどこから得たのか、ずっと疑問だった。が、今のでハッキリしたぜ】


 セトは語る。恐ろしい推測を。


【アヌビス神殿で流される血。それが〈混沌〉を呼ぶための贄だったんだよ。神殿で人が死ねば死ぬほどに、アヌビス大神殿に憎しみが――呪詛が染みつく。それを利用する算段だったんだろうぜ】


 イスメトが思い起こすのは、アメミットの中から出てきたアヌビスの神像。そして、それを目にしたサナクの嫌悪に満ちた表情だった。

 あの像がもし、アヌビス大神殿にあったものなのだとしたら――セトの言うように呪詛をまとっていてもおかしくはない。


「で、でも待てよ。それってまさか……!」

【ああそうだ。お前らだよ。お前ら〈砂漠の民〉の命を贄にして、コイツはアメミットを操るつもりだったんだ。だから神殿を通して重税をかけ、反乱を誘発した。が、俺様の介入で食料の強奪は大成功。想定したほどの呪詛は集まらなかった。ゆえに、アメミットへの呪詛も不完全なものとなった】

「な……」


 ――すべてが州侯の仕込みだった?


 三十年、温めた計画だとムアドは語った。言い換えれば三十年もの長きにわたり、この州では呪具を作るための犠牲者が出ていたということになる。

 その最後の犠牲が、東の村になるはずだったということだ。


【だが不完全でも、神を腐った肉に縛り付けるほどの力があの呪具にはあった。それだけ神殿に――あのちっこい神像に、呪詛が溜まりまくってたっつゥことだ。たとえば、冤罪で処刑される哀れなニンゲンの恨み辛みなんかがな】

「――ッ!」

【殺される本人からすりゃ、アヌビス神殿が不正を行なったことは火を見るよりも明らかだ。そりゃあ恨むよなァ……? 大神殿と守護神様をよォ】


 イスメトはけして聞き逃してなどいなかった。

 セトの推測を裏付ける発言――先ほど州侯が語った、計画の一部を。


『同時に、これまで目をつぶってやっていた神官どもの不正もすべて暴露するつもりだった』


 この男は、やはり最初から知っていたのだ。知っていて、見て見ぬフリをした。自分の目的のために。無実の人が殺されていくのを、ずっと。

 加えて州侯は、よく罪人の処刑に立ち会っていた。

 ちょうどイスメトがそうされたように、処刑者の憎しみを煽るような言葉を投げつけては、反論を暴力でねじ伏せる。そうして、得られる呪詛の質を少しでも高めようとしていたのではなかろうか。


 ――きっと父さんが殺される時も。


「お前は……人の命を、何だと……っ!」


 それ以上の言葉は咄嗟には出てこなかった。

 あまりに冷酷で、あまりに人の道から外れた行為。

 この男は狂っている。この男が語る平和とは何だ。問う気にもなれない。問うたところで到底、理解できる気がしない。


「ああそうだ。一つ言い忘れていたよ。ついでだから教えてやろう」


 怒りに打ち震えるイスメトをよそに、ムアドはどこか楽しげに笑う。


「お前の父親は女を助けるために犠牲になった英雄――そう思っているだろうが、それも事実とは少々異なる」

「なっ……!?」


 ムアドは何を思ったか岩山から飛び降り、墓所の入り口に立ち塞がる。

 有利な立ち位置を自ら放棄してまで、なぜそのような行動を取るのか。それまでのイスメトならば警戒し、距離をとっていただろう。

 しかし、今の彼は冷静ではなかった。

 州侯の口から語られる真実に、全神経を集中させていると言っても過言ではないほどに。


「あの事件はな……私が仕組んだのだよ。女は他州から雇った娼婦。神官を(かどわ)かし、強姦事件を装えと命じた。〈砂漠の民〉の有能な戦士――その心臓が手に入れば、いざというとき役に立つと思ってな」

「まさか……お前が父さんを……!?」

「ああ、罠にかけた。正確には神官もだが……ふっ、はは! あの女は実に良い働きをしてくれたよ」


 自然と〈支配の杖(ウアス)〉を握る手に力が込もる。

 生身の人間に自ら神の力を振るうこと――それはイスメトにとって心の障壁になりかねない大きな懸案事項だった。しかし幸か不幸か、この男に対してそのようなためらいなど、もはや抱く余地もない。


【心臓だと? コイツ、まさか……!】


 一方、セトは冷静に思案していた。

 この男が今になってこんな話を、この場で語る意味とは何か。すぐに一つの仮定に行き着く。しかし、その時点でセトは理解せざるをえなかった。


 はめられた、と。


「お前が……お前も! 父さんの、仇……ッ!!」


 イスメトは叫ぶと同時に地を蹴っていた。

 警戒心も計画性もない。ただただ怒りに身を任せ、突っ走るだけの愚かな一手だった。


【小僧ッ、待て――!】


 セトの制止すら、もう少年には届いていない。


「今にしてみれば、あれは最良の判断だったと言える。やはり天は、アテン様は私をお導きくださった!」


 ムアドは不敵に口の端をつり上げ、後退する。直後、金属同士の衝突音が鳴り響いた。

 イスメトがムアドめがけて振りかぶった〈支配の杖(ウアス)〉は、墓地の入り口から現れた一体の屍によって受け止められている。


「……え?」


 イスメトの目は、杖を受け止めたその見覚えのある剣に釘付けになった。

 そこから視線は、剣の柄を握る手へと移る。

 指に光るのは青い石をあしらった指輪。

 恐る恐る頭を持ち上げ、見上げた先にあった風貌は――


「父、さん……?」


 それはほんの一瞬の出来事。

 されどイスメトにとっては、恐ろしく長い時間となった。


 イスメトの手からわずかに力が抜ける。

 直後、激しい衝撃に少年の全身は震えた。

 弾き飛ばされた〈支配の杖(ウアス)〉が地に落ちる――その時には、イスメトの目の前に赤い飛沫が広がっている。


「ぁ……ッ、が、はっ……!」


 右肩から左脇腹までを切り裂く斬撃。

 それをもろに受けたイスメトは、膝から地面へと崩れ落ちる。


 少年を斬りつけたのは、かつて村一番の戦士と讃えられた男――

 その成れの果てだった。

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