東の村での戦い
「空が……」
隣を走るジタの震えるような呟きに、イスメトは背筋に冷たい風を感じる。
辺りはもうすっかり夜。にもかかわらず、村のあたりが明るい。祭でもない夜にどの家もこぞって明々と火を焚くなどということは普通に考えてあり得ない。
「クソッ――! こんなことして何になるってんだ!」
アッサイの悪態も聞こえた。
東の村も町に劣らぬ悲惨な状況に陥っていた。あちらこちらで火の手が上がり、不気味な人影が徘徊している。
ただ一つだけ、不可解な相違点があった。
「アイツら……な、何やってるんだ?」
イスメトの目に映ったのは、汚れた包帯をまとう屍たちの背中。村の中央――セトの社を囲うようにして、十数体の屍たちが円を描いている。その内側には数人の村人の姿があった。
襲われているわけではない。屍たちはただ人々を取り囲み、何かを待つようにたたずんでいるのだ。
【社に結界を張ってある。生憎と〈混沌〉を払えるほどのモンじゃねェが、時間稼ぎにはなってるみてェだな】
イスメトの疑問に答えたのはセトだった。
よく見ると社が薄ぼんやりと輝き、その周辺を夕日で照らし出すかのようにうっすらと赤い光で包んでいる。イスメトは直感的に、それが〈支配の杖〉から出る光と同じものであることに気付いた。
さまよう屍たちは、光の中へ侵入しようとしては二の足を踏んでいる。
【大方、俺の社を叩くためにこの村を襲わせたんだろう】
「敵はセトを狙ってるってこと!?」
【もしくはお前だ。〈混沌〉を払えるニンゲンなんぞ、そうはいねェからな。俺が呪術者なら、真っ先にそういう連中を潰すだろォぜ】
「僕らを狙って……」
イスメトはハッとして辺りを見渡した。社にすがるようにして怯える人、家屋に立てこもる人、戦っている人――そのどこにも母の姿はない。
やはりまだ家にいるのだろうか。
【とにかく術者だ。逃げ遅れた奴は他に任せて、お前はまず墓所を――】
「先に母さんを探さないと!」
【あァ? チッ――ガキめ。まあいい。方角は大体同じだ。手早くやれ】
イスメトは逃げ惑う人々にセトの社へ向かうよう伝えながら、我が家へと走った。この時ほど、自分の家が村の最果てにあることを呪った日もないだろう。
「……っ! こんなとこにも!」
道中、二体の動く屍に遭遇した。
これまでのように足を狙って攻撃を繰り出すも、屍たちは華麗にステップを踏んで難なくそれを避ける。
「さ、さっきの奴らより速い!?」
【単なる個体差だ。職人の死体よか、戦士の死体の方が戦闘能力は高ェだろ】
「そういうモンなの……!?」
町で出会った奴らよりも機敏な動きを見せる屍にイスメトは手こずる。
結局、最も狙いやすい胴体に〈支配の杖〉をぶつけ、セトの力を使って〈混沌〉を払うしかなかった。
【何らかの理由で現世に留まっちまった霊魂は大概が自我を失う。が、体の動かし方は覚えてるもんだ】
「霊魂!? 〈混沌〉が死体を操ってるんじゃないのか!?」
【〈混沌〉はただの物質にゃ作用しねェ。この死体どもも、魂を持つがゆえに影響を受けている】
「そ、それって……つまり……」
イスメトは自分が倒して動かなくなった屍に目を落とした。
すっかり干からびて、殴っても血の一滴すら流さない屍。しかし、その中に魂が宿っているというならば、彼らは生きていた頃と同じ存在――人間と言えるのではないだろうか。たとえ〈混沌〉に操られようとも。
【ハッ、この甘ったれ野郎が! どのみちコイツらは理から外れた存在。死体を死体に戻してやるだけのことに罪も咎もねぇ! モタモタやってっと、まだちゃんと生きてる奴らが不条理に殺されるだけだぞ!】
「……!」
セトに怒鳴られ、イスメトは頭を振って自分の考えを打ち消す。
――そうだ。たとえ魂があっても、この人たちは死んだ人。体だって朽ちかけてる。もう人間じゃないんだ。
いつもの坂道までくると、三体の屍が我が家の周りをうろついているのが見えた。
「くっそ……! あっち行けっつーの!」
戸口ではケゼムがたいまつを振り回し、手当たり次第に物を投げつけている。
近くの地面には数個のパンが無造作に転がっていた。恐らく夕食を分けに立ち寄っていたところを襲われたのだろう。
「ケゼム!」
イスメトは一体目の屍を背後から殴り倒し、振り向いた二体目の顔面に杖の石突きを叩き付けた。同時に〈支配の杖〉から飛び散る光が、瞬く間に〈混沌〉を払う。
村の危機を前に力の出し惜しみなどできない。まして友と我が家を前に。
「んにゃろッ!」
残りの一体は、ケゼムの投げつけた陶器の壺を頭に受けてよろめく。
イスメトはその隙を逃さず、敵の横腹に全力で〈支配の杖〉を叩き付けた。屍は横手へ吹っ飛び、やがて動かなくなる。
「イスメト! た、助かった――ってか、どこ行ってたんだよバカ!」
「ご、ごめん!」
「だあぁもう! お前のせいじゃねぇよバカ! 俺のバカ!」
ケゼムは気が動転しているようだったが、幸い怪我はなさそうだ。
「イスメト!? 無事なの!?」
家に入るや、すぐに母の姿も見える。
イスメトは安堵に頬の筋肉を緩めた。
「母さ――むぐっ!」
言い終わるよりも先に抱きしめられる。
「か、母さ、は、離し……」
母の一方的な抱擁にイスメトは慌てふためいた。
今は非常時な上に、友の目の前だ。素直に母に甘えられるほど子供でもない。
「と、とにかく二人とも無事でよかった! 早くセトの社まで! セトが結界で守ってくれるから!」
【いや、その必要はねェ】
「えっ!?」
【テメェの部屋を見てみろ】
「ちょ、ちょっと待ってて二人とも!」
セトに促され、イスメトは二人に待機を命じて自室を覗く。
「いっ……!」
そして思わず息を呑んだ。
いつだったか村人によって大量に持ち込まれたセトの小さな神像たち。それが、社と同じように赤くほのかに光っていた。
暗闇に浮かび上がる無数の赤い光――数が数だけにいささか不気味である。
【この村はもはや俺の神域も同然。社の結界に呼応して、神像も一時的に俺の力を媒介してんだよ。コイツを持っておけば〈混沌除け〉になる】
「これ、見た目だけだとむしろ〈混沌〉を呼んでるみたいだな……」
【誰が邪神だ。タマ潰すぞコラ】
「い、言ってない……」
見た目はさておき、確かにこの光は社に集った村人を守っていた。逃げ遅れた人々にもこの神像を配れば、ひとまずの安全は確保できそうだ。
「そ、そうだイスメト! ヤバいんだよ!」
イスメトが手近にあった籠に神像を集めていると、ケゼムがこの世の終わりのような顔と声で部屋に入ってくる。
「ちょうどあのバケモノどもが現れた頃から、その神像が禍々しく光り始めて……俺たち、何かセト神の気に触れるようなことしちまったのか!?」
やっぱり誤解されていた。
「ち、違う違う! セトが村を守ろうとしてくれてるから光ってるんだ。これ持ってたら奴ら近寄れなくなる。ケゼム、皆の家に配って回ってくれないか?」
「へ!? そ、そうだったのか……お、おう! そういうことなら任せろ!」
「それと……」
イスメトは母に聞かれないよう声を落とす。
「……母さんをお願い」
「お、お前……」
「僕はセトの〈依代〉だから……戦わないと」
ケゼムはイスメトの目に覚悟の色を見て取ったのだろう。
何を問い返すでもなく拳で自分の胸を叩いた。
「おう、任せろ!」
二人はうなずき合い、それぞれの成すべきことのために行動を開始する。
「イスメト! どこへ行くの!?」
家を飛び出すイスメトの背に母の声が刺さる。
イスメトは立ち止まり、小さく息を吐いた。そして、努めて明るい笑顔で振り返る。
「大丈夫だよ母さん。僕にはセトがついてる。それと……父さんも」
イスメトはまた無意識に、父の首巻き布を握りしめていた。
もう限界だ。母が目を見開くのを見たところで、イスメトは身を翻す。
不安が表情へ表れる前に。恐怖で足がすくむ前に。目的地へと――墓地へと走る。
「……頑張って」
聞き間違いかもしれないが、母は最後に小さくそう言って鼓舞してくれたような気がした。




