呪術発動
結局、セトへの不信感のためか、単なる力量不足か、教わった技を繰り出せないまま杖で木を叩いてはセトに罵倒されるだけの修行が続いた。
「おっ、やってるな」
昼過ぎには、アッサイと数人の腕自慢たちが特訓に加わった。
神殿での騒動をきっかけに、村では平時以上に武術の腕を磨く者たちが増えた。
「オイ! 今日も相手しろ!」
「い、いいけど……一回だけだよ?」
喧嘩をふっかけるように毎回イスメトへ試合を真っ先に申し込むのは、ジタである。
これまで悪さこそすれ、鍛錬などという言葉にはまったく縁の無かった彼ですら、最近では人が変わったように木刀を振るっている。
なぜかイスメトを倒すべき目標としているようだった。
いや、ジタだけではない。
イスメトに勝てばセト神に力を授けてもらえるかも――という噂がまことしやかに広まってしまったせいで、イスメトはここ数日で村の戦士のほとんどと手合わせをする羽目になった。
今のところ、勝ちよりも負けのほうが少し多い。木刀よりリーチの長い武器を使っていてもである。
セトとトイコスの教えはかなり役立っている。が、一人一人違う我流の動きへ応用するには、いかんせん反復練習が足りなかった。いかに〈依代〉といえど、戦士としてはようやく基礎が出来上がった程度の新米である。
ただそれでも、ジタには負けたことがなかった。この点はイスメトも密かに喜ばしく思っている。
だからこそ余計にジタは面白くないのだろう。
「くっそぉぉ……!」
この日も服に泥を付けたジタは、日が暮れるまで八つ当たりのようにシュロの木を打ちのめしていた。
「ははっ! なんだか最近のアイツ、昔の俺みたいで嫌いじゃないんだよな」
アッサイは楽しそうにその様子を遠巻きに眺めている。
「アッサイも、もっと強くなりたいって思ってた?」
「そりゃあな。特に、イルニスさんをいかにギャフンと言わせるかばかり考えていたな」
「それは……何のために?」
イスメトの沈んだ声に違和感を覚えたのか、アッサイは眉を上げる。そして、ふっと笑った。
「そうだな。特に考えてなかった。ただ、村の誰よりも強くなれば皆に認められて、何か大きなものが手に入ると思っていた……大雑把だろ?」
沈む夕日が、男の精悍な横顔を赤く照らし出す。迷いも悩みも、一切を跳ね返してしまえそうな強い瞳が、イスメトには羨ましく思えた。
「お前が今、神から何を背負わされていて、これから何を為していくのか。俺には想像もつかないが……」
イスメトはバシッといつかのように背を叩かれる。「いっ……!」と思わず声を出してしまう程度には痛かった。
「まずはお前のやりたいようにやってみろ。意味だの意義だの考えるのは、歳をとってからでいい」
アッサイは励ますように笑う。イスメトは自分の心が見透かされているように思った。
セトの目的についても、エストと旅に出ることも、まだ誰にも話していない。
だが、おそらくアッサイはイスメトの普段の様子から薄々勘付いていたのだろう。そうでなければ、こんなことは言わないはずだ。
「アッサイ、実は僕……」
イスメトはようやく全てを話す機会と、勇気を持てた。
そうして口を開いた、まさにその時だった。
「お、おい! あれ、煙じゃないか?」
誰かのそんな声が飛び、その場に緊張が走る。
イスメトが村人の指さす方へ視線を向けると、確かに煙が上がっていた。それも複数。町の工房から出たにしては方角が微妙に異なる上、煙の量が多かった。
「か、火事……!?」
【だといいがな】
「えっ……ど、どういう意味?」
もっと好ましくない状況である可能性を示唆するセトの言葉に、イスメトの焦燥は高まる。
【……〈混沌〉の気配が急に湧き出してきやがった。ちょうどあの方角だ】
「〈混沌〉!? で、でも! 州侯は捕まったし大神官だって――」
【っるせェな、俺が知るかよ! 行って確かめるしかねェだろ!】
イスメトは事の重大性をすぐさまアッサイに説明し、アッサイはその場にいあわせた村人たちに号令を飛ばした。
町へ急ぐイスメトたちが目にしたのは、次々と民家へ燃え広がる大きな炎と、逃げ惑う人々の姿。そして――
「こ、こいつはいったい……」
東の村を代表する戦士たちですら、町を包み込む惨状を前に恐れを隠せる者などいなかった。
大火事が起きて人々の叫びが至るところから上がる――ただそれだけならば、いくらか冷静に対処もできただろう。
問題は、人々の悲鳴の理由が火事だけではなかったことだ。
【オイオイ……】
セトは恐れこそしないものの、緊張感を露わにした声色で呟く。
【さすがに職務怠慢すぎやしねェかアヌビスの野郎……死者が動き回ってんぞ】
人々を襲うあまたの陰。それは炎ではない。人の形をしている。
しかし、人にあらざる者だった。
質素な白い服の上に包帯を巻き付けた様はまさに死者の装い。一部ほどけた包帯から覗く肌は土気色で、どう見ても常人ではない。
極めつけはそいつらの、どこを見ているのか分からない暗い眼窩だ。なかには目玉をぶら下げて歩くものまでいる。
そんな異形たちが、手当たり次第に破壊活動を行っていた。
武器を握る手はほとんど骨と化している。
「あれって……し、死体!? う、動いてる!?」
目の前に広がる、にわかには信じがたい光景。しかし、肉の焼ける臭いや肌に感じる熱が、これは紛れもない現実であることをイスメトに突きつけた。
セトは嫌悪も露わに吐き捨てる。
【呪術だな。あの時と同じだ。今度は死体が傀儡にされてやがる……!】
「そんな、一体誰がそんなこと――ッ!?」
イスメトの言葉を遮るように、不意に近くの家屋が倒壊した。




