隠された狂気
「ムアド州侯……本当に気が狂っちゃったのかな」
エストはタウラ州に戻る前に、州侯の屋敷を訪れていた。
屋敷では現在もホルス神官団による立ち入り調査が続いている。
「だとしたら、呪具を見せたところで何も話してくれないよね……」
例の地下室へと続く階段を下りながら、肩にとまらせたホルスに語りかける。
たいまつを手に先導するのはアルヒドとラウ。エストが地下へ行くと言うと急遽護衛を申し出てくれた。
「どうせ演技に決まってるッス。とっとと拷問にかければいいんだ!」
「また過激なこと言ってる……」
「敵に情けは不要ッス!」
ホルスは翼をばたつかせる。
「あのセトってヤツもッスよ! アイツ、どう考えてもヤバイッス! そうだ! アイツの〈依代〉はへなちょこだから、今のうちに急所を潰して再起不能に――」
「だめだってば。そもそも、ホルくんまだ何もできないじゃない。ケンカ売ったら負けちゃうよ?」
「ピィィッ!」
「鳴いてもだめ」
イスメトはセトが喧嘩っ早くて困ると嘆いていたが、ホルスも似たようなものである。戦神とは皆こんなものなのだろうかとエストは眉を寄せた。
「……そりゃあ、ホルくんの言うことも分からなくはないけどさ」
必要なときに非情になれないようでは真の王者は務まらない。そんなことは百も承知である。
ただ、問題はエストの覚悟が足りないことだけではなかった。
「オジさんもぶっちゃけホルス様と同じ気持ちだけど……あの州侯、なんでか民の評判がいいのよねぇ。下手に拷問しちゃうと後腐れしそうで嫌な感じ」
「うん……」
アルヒドの言葉にエストは苦く首肯する。
州侯の身柄は現在、タウラ州のホルス神官団が管理している。
しかし、そこへ連日のようにやって来るのだ。『州侯が罪人であるはずがない』『州侯を解放しろ』と訴える、アウシット州の〈太陽の民〉たちが。
「ムアドがアテンっていう神に傾倒してたことと、呪術でアメミットを従えようとしたことは確かなんだけど……」
「逆に言えば、それ以外のことは憶測の域を出ません。自白も、証拠もない。これだけ調べているというのに……です」
ラウはいつも通り冷めた表情をしているが、その声色には疲れがにじみ出ていた。
「邪神を崇めるどころか、州候ほど敬虔なアヌビス信者はいないと訴え出る民までいる始末です」
「そう、それ。葬儀の援助をしてもらって助かった……なんていう家族に、もう十組は会ってるねぇ」
この国の葬儀は、死者をミイラにするところから始まる。このミイラ作りは、ミイラ職人に対価を渡して処置をしてもらうのが一般的だ。しかし、対価を払えない貧しい者は、やむをえず不本意なかたちで故人を弔う場合も多い。
そういった下々の民に対して、州侯は援助をしていたというのだ。
『州侯さまのお陰で、なんとか親父を無事にアヌビスのもとへ送り出してやることができたんだ。あの方が邪教の使徒だなんて、何かの間違いです!』
いつだったか、そう言ってムアドの解放を訴える人夫とエストは対面した。彼の真剣な眼差しは、確かな違和感として心に刺さっている。
「ここまでくると、こっちが何か勘違いしてんのかと思っちゃうよねぇ」
「……アメミットの言葉を疑うの? それとも、アメミットに事情を聞いたっていうボクの話が信じられない?」
「ああいや。主君を疑うつもりは全くないんですけどね」
思わず語調を強めてしまったことに気づき、エストは後悔する。
状況が行き詰まっているうえに、アメミットから直接事情を聞いたのは自分だけなのだ。アルヒドが調査の前提を疑うのも無理はなかった。
苛立ってもいいことはない。いま必要なのは冷静な分析。もしくは新たな発見や閃きだ。
「アメミットがエストに語ったことはぼくが保証するッス。それに、アメミットが嘘をつく理由もない。州侯は呪術に精通してた。それだけは間違いないッス」
「んー……やっぱりどこか見落としてるのかねぇ」
ホルスの言葉にアルヒドは頭を掻きながら、地下室の重い扉を開く。その背をラウが追い越した。
「コブラは一通り追い出しましたが、まだ隠れている可能性もあります。用心してください」
先行したラウは部屋中に置かれた篝火に火を灯していく。捜査のためにホルス神官団が設置したものだ。
足の踏み場もないほどに転がっていた動物の死骸は今や跡形もない。アルヒドいわく、アヌビス神官団と協力してすべて撤去・供養したという。
代わりに目に入るのは、祭壇のように組み上げられた石の台座と、床の上に復元されたアテンの壁画だ。
「こうして見ると、何もない部屋だったんだね……」
「きっと呪術のためだけに作った部屋なんスよ」
エストは台座に近づく。置かれた催事用ランプには使用感があり、ここへ定期的に人が出入りしていたことをうかがわせた。
コブラが降ってきた天井を調べるためだろう、壁際には梯子が立てかけられている。
「上は調べましたよ」
エストの視線に気づいてか、ラウが報告してくれた。
「屋根裏と言えばいいのか、地下の中二階と言えばいいのか……とにかく小さなスペースがありました。そこでコブラを飼育していたようです。上の階から餌を投げ入れる穴まで備え付けてありました」
「じゃあ、やっぱりあれは侵入者用の罠だったんだね」
「ええ。祭壇に何かしら衝撃を加えると、コブラが滑り落ちるようになっていました」
エストは祭壇に手を触れる。
罠は、セトがアテンの壁画を壊した際に発動した。しかし、そんなことをする侵入者は稀だろう。州侯が想定した罠の発動条件は他にあったはずだ。
「っ、この感じ……」
エストは肌にピリピリと刺さるような違和感を覚える。
生まれつき第六感に秀でるエストは、人の感情の機微や、その場に染み着いた強い感情の残照――たとえば霊魂や呪詛――を感知できることがあった。
悪寒にも似たこの感触。それは近くにあまり好ましくない〈何か〉が存在している可能性を示唆していた。
「この近くッスね」
「……ホルくんも感じるんだね」
エストは祭壇やその周辺を手当たり次第に調べる。やがて祭壇を構成する石が、部分的に取り外せることに気付いた。
慎重に動かせる石を探り、取り除いていく。やがて祭壇の内部から太めの縄が現れた。縄は明らかに奥へ――宗教画のあった壁の方へと続いている。
「二人とも!」
エストに呼ばれ、各自周囲を調べていたアルヒドとラウも事態を把握する。
「俺が代わります。王女殿下は後ろへ」
ラウがエストに代わって祭壇に手を入れ、縄を調べ始める。
アルヒドはその傍らで剣を鞘走らせた。
「……引っ張れそうですね。何かの装置でしょう」
「少しずつ引け。どんな仕掛けか知らんが、予備動作があれば対処しやすい――嬢ちゃん、もっと下がって。いつでも部屋を出られるように」
「う、うん」
アルヒドの緊張感に半ば気圧され、エストはその指示に従う。
エストが出入り口まで下がったことを見届けたアルヒドは、ラウに目配せした。
――ガラッ。
ラウが縄を引くと、祭壇横の壁からレンガが一つ転げ落ちた。それを皮切りにガラガラと壁が崩れていく。瞬く間に成人男性一人がなんとかくぐり抜けられそうな穴が生まれた。
「……隠し部屋だな」
「なるほど。罠に気付かずにこの縄を引くと、壁が崩れる振動でコブラが……というところですか」
「随分と面倒な仕掛けを作ったもんだねぇ~。いったい何を隠しているんだか」
隠し部屋――エストは途端に嫌な予感に襲われた。
先ほどから感じていた嫌な感覚が、隠し部屋への通路が開いた瞬間にいっそう強まったからだ。まるでそこから流れ出る毒素にでもあてられたように、エストの手には汗がにじみ出る。
「っちょ、嬢ちゃん!」
エストは得体の知れないその嫌悪感の正体を早く確かめようと、真っ先に穴へ飛び込んだ。その後ろにすぐさまアルヒドが続く。
「ったく! 王女が怪しい場所に先行しちゃダメだって何度も――」
エストに続いて狭い横穴を這い出たアルヒドは、エストのたいまつに照らし出された光景を見て絶句した。
「なに……これ……」
エストもまた硬直する。
その部屋は一見するとただの物置き。室内を所狭しと占拠するのは、食器などの収納に使われる棚である。
問題はその棚に収められているものが、本来ここにあるべきではない代物だったことだ。
「なんで……なんでこんなところにカノポス壺が……」
棚にびっしりと並んでいたもの。
それは、人間をミイラにする際に使用する臓物入れだった。




