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呪いの源

 〈至聖の場〉ではやはり、アメミットが大きな体を横たえて待っていた。

 イスメトがおずおずその巨体に近づくと、爬虫類特有の縦に長い瞳孔がギョロリと見上げてくる。

 正直、不気味だ。


【……セト。センジン、セト……】

「うわっ!」


 しかも、喋った。

 ワニの口から音が発せられているわけではない。セトと同じく、頭に直接響くような声だった。

 アメミットもセトと同じ神。人の言葉を使ってもおかしくはないだろう。

 ただ、この怪物然とした見た目の印象が手伝ってか、ホルスが喋ったとき以上の驚きがあった。


【セト、キライ】

「えっ……」


 女神にしてはガラガラのダミ声で、彼女は真っ先にそう告げた。

 ぎこちない片言のせいで一瞬、聞き間違いかとも思ったが――


【セト、キライ。アッチ、イケ】


 続く言葉で、その拒絶の意志は明らかなものとなった。


【……〈依代(コイツ)〉に言え。俺の意志じゃねェ】


 セトは噛みつくでもなく面倒くさそうに返している。

 アメミットはゆっくりと瞬きをして、しばし沈黙した。そして――


【ヨリシロ……アッチ、イケ。シッ、シッ】

【だとよ】

「え、ええぇ……」


 今度はイスメトも含めて拒絶の意を表明してくる。


「だ……だいぶ嫌われてるんだな」

【人殺しの神と、断罪の女神だ。ソリが合うわけもねェ。それにソイツはもともとアヌビスにしか懐かん】

「そ、そうなんだ……」


 アメミットがエストに懐いているように見えたのは、昔からアヌビスと交流を持っていたからなのだろうか。

 そのエストはというと、眉を寄せてアメミットの背中をぽんぽんと叩いている。


「そんなこと言わないでよアメミット……セトさんはアメミットが神界(ドゥアト)に帰れるように、手伝ってくれるんだよ?」

【ムゥ……】


 アメミットの表情は動かない。そもそもワニなので動くわけもない。

 ただ、その声色からはなんとなく不満げな様子がうかがえた。


【ソイツの意見なんざどうでもいいだろ。とっとと終わらせろよ】


 セトに急かされ、イスメトは視線をエストに送った。

 彼女はアメミットの目を覗き込んで「いいよね?」と確認を取っている。アメミットはもう何も喋らなかった。

 それを肯定と受け取ったのか、エストはイスメトに頷いて返す。


「……〈支配の杖(ウアス)〉!」


 イスメトは神器の名を呼んだ。が、手には何も現れない。

 静まりかえる場に、セトの呆れたような声が響く。


【もう忘れたか? 何のために力が欲しいのか、明確にしろ】

「で、でも、アメミットと戦うわけじゃないし……」

【なら、〈混沌〉を払う意義を考えな】

「意義……?」


 急に小難しいことを要求してくるセト。

 大神官と対峙したときのように、目に見えて禍々しい存在がアメミットの周りを這い回ってくれていれば、イスメトとしてはやりやすかったのかもしれない。


【確かに今回の〈混沌〉は目に見えねェ。が、コイツの体内には呪具が仕込まれている。呪具は〈混沌〉を扱うために、ニンゲンが作り出したものだ。さて、どうやって作り出す?】

「それは……呪術で?」

【その呪術の具体的な内容を考えてみろ。お前も片鱗は見たハズだ】


 イスメトは州侯の屋敷で見た光景を思い出し、顔をしかめる。

 呪術には贄がいる――確かそんな話をエストから聞いた気がした。


【もっとも原始的かつ基礎的な呪術では、ニンゲンを贄として大量に、あるいは長く苦しめて殺す。そうして、その贄が発する憎しみ・怒り・殺意といった念――〈混沌〉を呪詛として器に染みつかせる。この呪詛が一定量を超えると、器は現世にアポピスを呼び出すための〈依代〉として機能するようになる】

「えっ、そ、それじゃ呪具の材料は人の……命!?」


 だとすれば、この世に存在する呪具の数だけ人が死んでいるということになる。

 あるいはそれ以上に。


「……そうだよ。だから国では禁止してるんだ。呪具を作ることも、使うことも」


 エストが悲しげに付け加えた。


「州侯はあれから気が触れたみたいに訳の分からないことばかり言うようになった。呪具をどうやって入手したのかも、大神官との関係も、まだ分かってない。だから、少しでも手がかりがほしいんだよ」


 一連の騒動の被害者は、食料問題や裁判で犠牲になった人だけではない。呪具の贄にされた人々も含まれるということだ。


【さらに呪具は、その呪具によって死んだニンゲンの怨嗟(えんさ)をも取り込み、成長する。それを繰り返せば、いずれは神器にも匹敵する強力な呪具が完成するって寸法だ】


 呪具を放置すれば、犠牲者の怨念が次なる犠牲者を生む。

 その連鎖を断ち切ることが、〈混沌〉を払う意義。


【お前は俺との契約によって、人でありながら〈混沌〉を滅ぼせる力を手にした。あとはお前が何を望むか、だ】

「僕……僕は……」


 呪具を作るためにいったい誰が、何人、犠牲になったのか。

 イスメトには知る術もない。

 ただ一つ言えるのは、たとえ動物の命であったとしても、いたずらに奪われるべきではないということだ。


【ククク……義憤か。いいだろう。それもまた闘いの意志たり得る】


 イスメトは自らの意志で呼び寄せた〈支配の杖(ウアス)〉を握りしめた。


【力の限り叩き付けろ。相手は神だ。遠慮はいらん】

「――っ!」


 イスメトはアメミットの背をめがけて〈支配の杖(ウアス)〉を力一杯振り下ろした。

 打ち合わせた石から火の粉が舞うように、杖から光が飛び散ってアメミットの固い皮膚にしみこんでいく。


【ググァ――ゴゥガガッ!】


 直後、アメミットは呻きを上げながら身をよじり始めた。

 そのあまりの暴れ様にイスメトとエストは咄嗟に距離を取る。


「つ、強く叩きすぎたかな?」

【神が痛みにもがくかよ。ナカで〈混沌〉が暴れてるだけだ】


 女神の身を案じるイスメトに対し、セトは気にかける素振りもなく吐き捨てる。


【あとはそこの神官にでも任せとけ】


 これで自分の仕事は終わったと言わんばかりの口ぶりだった。


「ゴペッ!」


 やがてワニの口から何かが吐き出される。ベトベトとした黒い粘液に包まれたそれは、硬質な音を立てて石の床に転がった。

 すぐに近寄ろうとしたエストを制し、サナクがその物体を注意深く覗き込む。


「これは、アヌビス神の像ですね……なんと罰当たりな」


 アメミットを現世に縛り付けた呪具の正体は、大神殿の主を象った小さな石像だった。床に叩きつけられ二つに割れている。像にまとわりついていた黒い粘液――〈混沌〉は床に散ってやがて蒸発するように消えた。


【……カンシャ、スル】


 その声にイスメトが振り返ると、アメミットの体は溶けるように崩れていった。

 その場に残されたのは、生臭い悪臭と腐りかけた動物の死骸。神が離れたことで、肉体が元の形に戻ったようである。


「アメミット、帰れたみたいだね。よかったー」


 漂う臭いに鼻をつまみながらも、エストは安心したように微笑む。


「ご協力ありがとうございました、イスメト君」


 サナクはイスメトの前で片膝をついた。


「セト神にも最大限の敬意を示します」

「い、いえ……!」


 その一礼がセトに向けられたものであると分かってはいても、やはりイスメトはたじろぐ。一方でセトは何も返さなかった。

 アメミットの遺骸はこの後、ミイラにして然るべき場所に祀られるらしい。どんな経緯であれ、一度は神の宿った器。神聖なものとして丁重に扱われるようである。


「あとはこの呪具について、州侯を問いただす必要がありますね……」

「じゃあ、ボクが預かるよ」

「そうですね、お願いします」


 サナクは清めの呪文と思しき口上をそらんじた後、呪具と化した神像を回収してエストに渡した。

 悪徳大神官は死に、彼と癒着して甘い汁を吸っていたと思しき州侯も捕まった。呪具に関する謎は残るものの、アメミットの問題が片付いたことでひとまずは一件落着。


 その時は、誰もがそう思っていた。

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