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努力を驕るな

 イスメトの予想は的中した。

 本当の困難は、怪我が治ってからの日々に待ち受けていたのだ。

 医師より骨折の完治が宣言されたその日から、イスメトの武術特訓が始まったのである。


「王女の侍従たるもの、自分の身は自分で守れねばなりません。特にあなたは悪神の〈依代〉。ことあるごとに、かの神の力を頼むようでは私としても信用が置けません。武術の基礎くらいは身に着けてください」


 とはミィテ談。


 イスメトは毎日のようにタウラ州に出向き、ホルス神官団の新米兵士たちの訓練に放り込まれることになった。

 師範は筋骨隆々の大男トイコス。

 ミィテに顎で使われていた、あの壁のような男である。


 最初の週は、体力作りと筋力トレーニング――特に、重しを担いでの走り込みが中心に行なわれた。

 いくら口で根を上げても、結局、ほとんどの若者が地面に朝食をぶちまけるまで終わらせてもらえなかった。イスメトももちろんその例に漏れない。


 翌週は、素手での受け身の練習が加わった。

 最初はどこに攻撃が来るのかすら判断できず、胸だの腹だのにひたすら拳を打ち込まれた。

 案の定、吐いた。

 朝食の神様などというものがもしいたら、即刻呪われるとイスメトは思う。


「す、すみません……ちょ、ちょっと……休憩……を……」

「……うむ」


 トイコスは非常に無口な男だった。

 巨体から発せられる圧。言葉足らずな指導。何があっても動かない顔面筋。

 どれをとってもイスメトには恐怖でしかない。


 しかし、彼は指導者としては一流だった。

 だいぶ無茶をさせられているようでいて、イスメトは体を壊すことも、怪我をぶり返すようなこともなく、順調に基礎体力をつけていった。


 十日もたつと、時間いっぱいやっても吐くことはなくなった。

 これは素晴らしい。作物を作ってくれた人と、それを調理してくれた人に平身低頭する必要がなくなる。

 朝食の神様に呪われることもないだろう。呪いはセトだけで十分だ。


【誰が呪いだ、誰が】


 セトは不機嫌そうに呟いた。

 悪神という呼称には反応しないくせに、『邪神』や『呪い』呼ばわりすると噛みついてくる。イスメトには何が違うのかいまいち分からない。


【つゥか、朝食の神なんかいねェよ――多分な】


 そこは断言してほしかった。


 受け身がなんとか形になってくると、今度は武器を使った訓練が始まった。


「お前に宿る神……戦神と聞く。武器の扱い方……教える必要、ない」

【ハッ、分かってんじゃねェか】

「だから、教えるのは……敵の動き。見方」


 結局、やることは変わらなかった。

 変わったのは敵が――つまりトイコスが――木刀か棍棒か長杖で攻撃してくること。

 それをこちらはただ受ける。あるいは避ける。可能なら反撃をするようにも言われた。

 しかし、どんな武器を選んでみても最終的に地面に伸びるのはいつもイスメトの方だった。


【クハハッ! 毎日、毎日、ボロボロじゃねェか】

「……他人事みたいに」

【ククク……情けねェなァ? やられるだけで反撃もできねェとは。もう二十日は経つぜ? 村一番の戦士の息子が聞いて呆れるな】


 セトはこちらの神経を逆撫ですることが趣味なのだろうか。口を開けばこのような調子である。


「……っ、うるさいな。だったらお前も手伝ってくれ」

【ほォ……? 護符を取り外す気になったか?】

「そんなわけないだろ。戦い方を教えてくれって言ってるんだ」

【ハハァン? いいぜェ? 俺のシゴキについてこれるならなァ……!】


 そのうちイスメトは、空き時間ができるとセトに武術の教えを乞うようになった。

 セトほど自尊心は高くないものの、負け続ければ当たり前に悔しい。やるからにはせめて一撃返せるくらいにはなりたいと思うのが男の(さが)である。


【違う、もっと腰を入れろ! そんなショボい突きじゃ、赤子の頸椎(けいつい)すら砕けねぇぞ!】


 習うのはもっぱら棒術。数えるほどしかない実戦経験の中で、唯一イスメトが扱ったことのある武器だ。


【だから違うっつってんだろ! あァ、クソ! オイ! その護符を外せ! 俺様が手本を見せてやる!】

「その手には乗らない! またエストの命を狙うつもりだろ!」

【チッ、もどかしい野郎だぜ……! 違う! 踏み込みが甘い! 手で振ろうとするな、全身で振れ! また骨ヤりてェのか!】


 中庭の一角で、地に立つ杭を相手にセトの指導が続く。


【ハッ、それで戦ってるつもりかよ。コッチは陳腐な踊りを見せられてる気分だぜ。男の踊りほど見ていてシラけるモンもねェな……!】

「……っ! うるさいな! 言われて、すぐに、できたら……っ、苦労、しないんだよ!」

【あァあァ、そーかい。だが、その台詞は三日前にも聞いた。お前はそうやって永遠に言い訳こきまくって、ママに守ってもらうつもりか、アァン!?】

「……ッ!」

【お? お? なんだなんだァ? イラついてんのかァ? 嫌なことでもあったかい? 聞いてやるぜマザコン野郎。ドウチマチタカ~? ママが聞いてアゲマチュヨ~? ククク……】

「っ、くそ! さっきから好き放題……ッ!」


 それは指導なのか。ただ罵声を浴びせられているだけなのか。

 途中から分からなくなっていた。


「僕だって……努力、してるんだ!」

【……アァ? 甘ったれてんじゃねェぞオイ】


 言葉を返すとセトの声色が変わる。


【努力なんざして当然だろ。何の結果も出せてねェガキが、テメェの自己満足振りかざしてんじゃねェよ】


 訓練用の棍を地につき肩で息をするイスメトに、セトは容赦なく言い放つ。


【立て。この世は結果がすべてだ。戦場ならば生きるか死ぬか。お前は何のために戦う? 勝つためだろ。それ以外に目的はいらねェ! 努力の数ゥ? んなモンで誰が男を評価する! 俺に教えを乞うなら、口答えする前にまずは相応の結果を掴み取って見せやがれ!】

「……っ!」


 セトの説教はいつだって正論だ。それゆえに、イスメトは無性に腹が立った。

 何よりも、自分の軟弱な性根に。


「くそ……クソッ!」

【ハッ! いいぜェ? その目だその目ェッ!】


 セトの指導――および罵声を受け続けたかいあってか、気付けばイスメトは新米兵の誰よりも長く、トイコスとの打ち合いを凌ぐようになっていた。

 勝敗は相変わらずだが。


 イスメトの気持ちにも、一つ変化があった。

 それは誰かと喧嘩するのも意外に悪くないと思い始めたことだ。


 否定されて初めて、自分は何を重んじていたのかが分かる。

 反抗して初めて、自分の曲げたくない意志の存在を知る。

 そうやって見つけた『自分自身』を誰かに認めてもらいたいからこそ、努力に身が入る。


 ――僕は、父さんみたいに勇気があって、優しい、立派な戦士になりたい。


 幼い時代に置いてきたはずのそんな夢が、再び鮮やかな色をまとって蘇るような、そんな感覚が心のどこかに確かにあった。

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