二神協定
「イスメト! よかった、目が覚めたんだね!」
昨夜、宴会が開かれた大広間にエストの姿はあった。
両脇にはアルヒドとラウが如才なく控えている。イスメトを見るや彼らは腰の剣に手を添えた。
「エスト……その、ごめ――」
「ごめんね! ボクの従者が酷いことしちゃって……!」
まず昨夜のことを謝罪しようとすると、エストに先を越された。出鼻をくじかれたイスメトは無意識に視線を床に落とす。
「いやそれは……悪いのはエストじゃないから……」
だいたいセトのせいである。
【馴れ合いはいい。とっとと本題に入れガキ共】
その問題の張本人は、偉そうに野次を飛ばしてきた。
誰のせいでこんな面倒な事態になったと思っているのだか。
「……うん、わかった。今後の君たちのことで、話があるんだ」
苛立つセトの声に、エストは笑顔を引っ込めて真剣な面持ちになる。
「イスメトには本当に申し訳ないんだけど……君たちをこのまま自由にすることはできなくなってしまった」
イスメトは口を引き結んだ。
仕方ないことだと分かってはいても、せっかくできた友人に断罪されると思うと胸が苦しい。
「キミは……ああ、正確にはセトさんだけど――ボクを殺そうとした。その事実は、重く受け止めているつもりだよ」
当然のことだろう。事情はどうあれ、一国の王女を自分は殺めるところだったのだ。
もしも国王がこのことを知れば、即刻、首をはねるに決まっている。
「それでね、考えたんだ」
エストは腕を自分の体の前へと差し伸べた。
手の甲のあたりに、例のごとく小さな隼の姿が浮かび上がっていく。
「罰として君たちをボクの旅に……〈ホルスの試練〉に同行させようと思う」
「……え?」
【ハ?】
イスメトは一瞬、何を言われたのか本気で理解できなかった。エストの口から『処刑』以外の言葉が出るとは思っていなかったからだ。
【オイ……話が読めねェぞ】
それはどうやら、セトも同じだったらしい。
「あれから一晩、考えてみたんだ。セトさんの話……大昔かもしれないけど、ボクのご先祖様が犯したかもしれない罪について」
エストはホルスを自分の肩にとまらせ、まっすぐな瞳でこちらを見据える。
「もし、もしも本当に、歴史の闇に葬られた事実が……罪があるなら、ボクはそれを知りたい。そしてできれば、セトさんに償いの機会をもらいたいんだ」
【償いの機会だァ? ハッ! ふざけやがって……ッ!】
セトは嫌悪感を隠しもせずに吐き散らす。
【テメェの謝罪一つで、俺の信仰が戻るってのか! あの300年が、屈辱が、無かったことになるとでも言いてェのかよ、アァ!?】
「セ、セト……!」
セトのあまりの勢いに、イスメトは身構える。
しかし、首の護符が効いているのだろうか。体を操られる気配はなかった。
エストはなおも物怖じする様子なく、力強い眼差しをイスメトに――セトに向けている。
「過去は……ボクにはどうしようもない。けど、セトさんの信仰を取り戻す手伝いなら、できる」
「エスト様! それは危険だと何度も……!」
ミィテの発言を、エストは手を上げて制した。
「ボクはこれから〈ホルスの試練〉のために全国の大神殿を回る。そうして書物に書かれていないこの国の歴史を……正史を、大ホルスから授かるんだ」
大ホルスとはつまり、セトの仇敵であるハロエリスのことだったはずだ。
「セトさんの言うことが正しいなら、どこかで必ず、ホルスとセトさんの戦いの記憶も授かるはず……セトさんの話の真偽、そして罪の償い方については、その時に判断させてほしい」
どうやらエストは、セトの語る歴史についてハロエリスに確認をとるつもりらしかった。
【ハッ! ヤツが馬鹿正直に話すかよ!】
「……でもそれは、セトだって同じだろ?」
イスメトはセトに反論する。
「お前の言ってることのすべてが真実だなんて、誰も証明できない」
イスメト自身も、セトの憎しみにどれほどの正当性があるのかは分からない。それこそ、ホルス側の認識を聞かなければ知りようがない。
歴史書から消された、300年前の争い。
神にとっては最近のことでも、人間にとっては覚えのないことだ。
「そう。だからボクにも、真実を確かめさせてほしい。ちゃんと双方の意見を聞かないと……ね?」
エストの強気な笑みに、セトは押し黙った。
「そうしてボクが修行をする間に、イスメトは全国各地の大神殿にセトさんの分社を建てるんだ。ボクが口利きしてあげる」
「……分社?」
「小さな神殿みたいなものだよ。上手いこと大神殿に設置させてもらえれば、信仰を集めやすくなる。失われてしまった信仰は、そうやって回復させればいい」
どうやらエストは、修行のために訪れる町々でセトの信仰を広める手伝いをしてくれるつもりらしい。
「もちろん、セトさん――ひいてはイスメトが、ちゃんとセトさんの御利益を証明していかなきゃいけないけれど」
【ハッ! 信用できねェな!】
セトは当然のごとく噛みついた。
【お前達に同行だァ? こんな護符までつけられて、こっちはいつ寝首をかかれてもおかしくねェ状況だろが】
「それはお互い様だよ。イスメトが身の危険を感じて護符を外せば、簡単に形勢は逆転する」
確かにその通りだ。
護符がセトの暴走を抑えるといっても、体から外してしまえば意味はないだろう。現状はイスメトにその気がないというだけであって、取り外すこと自体は物理的に可能なはずだ。
「どうして……エストはそこまでするの?」
だからこそイスメトは率直な疑問を口にした。
「ミィテさんも言ってたけど……普通に考えたら僕は死罪だ。それにセトも、裁かれて当然だろ? なのに……」
セトはエストの命を狙っている。国に害をなそうとする悪神だ。
そんなものを相手に譲歩して、エストが危険を冒す理由がどこにあるというのか。
「うーん……常識で考えたら、やっぱりそうなのかな」
エストは小首をかしげる。
「でもさ……イスメトは、これまでの自分が――〈砂漠の民〉が、人間らしい生活を送ってきたと思うかい?」
「え……?」
エストの瞳が寂しげに細められる。
それは哀れみの表れなのか。それとももっと別の感情が潜んでいるのか。
彼女の生まれを考えると、後者のような気がした。
「権力者に虐げられて、家族も壊されて……飢え死にさせられる寸前までいった。でも、セトさんが現れたことで、あの村の〈砂漠の民〉は確かに救われたんだ。ボクの力だけじゃ、きっとこうはならなかった」
エストはイスメトに背を向ける。その視線の先には窓があった。
遠景には、対岸のアウシット州。
「イスメトだって、セトさんに助けてもらったから、力になりたいって思ったんでしょ? 本当にただ言いなりになってたわけじゃないよね」
「それは……そう、だけど……」
イスメトはセトに助けられた。何があろうとも、その事実は揺るがない。
セトがいなければこの命はなく、村も理不尽な理由で滅ぼされていた。セトのお陰で生き延びることができた。
凶暴で、恐ろしい、国に害を成そうとする神。けれど、アポピスのように敵も味方も関係なく喰らってしまうような、そういう存在とは違う。だからこそ、東の村の人々の心を掴んだのだ。
「それなのに、そのセトさんがボクを殺そうとしたからってだけで、悪い神だと決めつけたくないんだ。ホルスに恨みがあるって言うなら、なおさらね」
エストはこちらに向き直り、ニコッといつもの明るい笑顔を見せた。
「それに、ボクも半分は〈砂漠の民〉なんだ。〈砂漠の民〉だけを守ってくれる神様なんて、この国にはいなかったから……単純に、セトさんを信じてみたいんだよ」
「ピィィッ!?」
その言葉に真っ先に反応したのは、エストの肩にいるホルスである。
「あっ、違うよ? ホルくんのことももちろん信じてる。ただね、今の段階でどっちが悪いとか、決めつけるのはおかしいよねって話」
エストは困ったように笑いながら、ホルスの頭を指でちょこちょこ撫でた。
【ハッ……! 生憎だがな。いくら血が混ざってようが、俺がホルス派のテメェを守護することはねェ!】
「別にいいよ。ボクにはホルスがいるし、それに……ボクが勝手にキミを信じたいだけなんだから」
セトの素っ気ない反応にも、エストは平然と返す。
「ボクは、この国をもっと良くしたい。そして、そのためにはセトさんみたいな神様も必要だと思ってる。それだけだよ」
【ハッ! 綺麗事ばかり並べやがって……!】
もう我慢ならないとばかりにセトは叫んだ。
【本気で国を変えたいんならなァ! 今この国を牛耳っているお前ら権力者どもを全員そこに並べて、首をはねてやりャあいいんだよ!】
「ううん。それじゃダメだよ、セトさん」
エストは毅然と首を横に振った。
「国は人だ。土地でも、物でもない。この国の人、全員が変わろうとしなきゃ、国は変わらないんだ。王女が死のうが、何人死のうが」
エストはおもむろにイスメトの両手を掴む。動揺するイスメトをよそに、二人は両手で握手をする格好になった。
「ボクはこの旅で、ボクと一緒に素敵な国を作ってくれる仲間を探したい。そして、その最初の一歩として、イスメトとセトさんに仲間になってほしいんだよ。元々、そのつもりでここに招いたんだ」
エストの目は、まるで力強い王者の目。
「ダメかな?」
有無を言わせない意志を感じる目だった。
【……ホルス派と、また手を組めってのか】
セトはそれだけ漏らすと、何かを考えるように沈黙する。
本当に布教活動を手伝ってもらえるならば、セトにとっても悪い話ではないはずだ。問題は、ただの口約束に終わる可能性がゼロではないことと、セトのプライドが許すかどうかだろう。
「ちなみに、断るんだったら仕方がない。国を乱す反乱分子には、相応の処罰を下さなきゃいけなくなるよ。あの地下神殿の扱いも考えなきゃね」
「えっ……」
エストの付け足しに、イスメトは目を丸くした。
――それはつまり、言うこと聞かなきゃ処刑するぞっていう……?
【ク……ククク、ハハハハッ!】
セトは笑い出した。
【結局、最後は脅しってかァ!?】
「……綺麗事しか言わないと思った?」
含んだようなエストの微笑。
急激に肝が凍りつくような感覚に襲われたイスメトは、咄嗟に握手する手を引っ込めた。
結局、この心臓はセトとエスト、双方の手に握られているというわけだ。
【ハッ! この俺様を相手に取引たァ、肝が据わった野郎だぜ! いや、女郎か――まあいい】
セトはひとしきり笑った後、心なしか楽しげに言った。
【そこまで言うなら、付き合ってやろうじゃねェか。お手並み拝見といこうか、王女殿下……?】
「うん!」
セトの口調は嫌みっぽいものだったが、それでもエストは満足げに頷いた。
「イスメトは?」
「も、もちろん、処刑されずに済むなら、何だって協力するよ。僕に何かできるなら、だけど……」
「じゃあ、交渉成立だね!」
再び手を握り、ブンブンと上下に振ってくるエスト。
イスメトは苦笑いを返すことしかできなかった。
「つまりお前たちはエストの、ひいてはぼくの家来になるってことッスね!」
エストの肩で、ホルスが威張るように翼を広げる。
「ヨシ! これからはホルス様・エスト様と敬うように……!」
【チッ、ピヨピヨうるせェな。オイ、誰か通訳しろよ。ヒヨコ語は解さん】
「ピイィィッ!?」
セトの暴言に身を震わせた小さなホルスは、宙に舞い上がった。
「うおぁっ!?」
かと思うと、猛スピードでイスメトめがけて急降下する。
咄嗟に身構えるイスメトだったが、ホルスはぶつかるどころかイスメトの体をすり抜けてターンし、再びエストの肩にとまった。
「あっはは! びっくりさせてごめんね」
エストは声をあげて笑っている。
「この子は、ボクの中にいるホルくんの力を視覚化してるだけだから、実体はないんだよ。ただこうしてると、ホルくんのことを皆が認識できるし、声も聞こえるようになるんだ」
「そ、そう、なんだ……」
心臓が止まるかと思った。
「今度、イスメトにもやり方を教えてあげるね!」
「う、うん……うん?」
それはつまりイスメトの中にいるセトの魂も、目に見える形で召喚する方法があるということだろうか。
――なんかヤバイやつ出てきそう。
イスメトの心に不安が横切る。
【テメェ……俺を何だと思っていやがる】
イスメトの中に構築された怪物像が伝わってしまったのか、セトの憤慨する声が聞こえた。
「この感じ……一応、話は嬢ちゃんの思惑通りにまとまったみたいね。オジサンは正直、賛同しかねるけど」
場に居合わせる大人たちは、そろって疲れたような呆れたような、なんともいえない表情を浮かべている。
「……もう。どうなっても知りませんよ」
ミィテは憂いを帯びたため息を漏らした。




