ホルスの末裔
「えへへ……やっぱり、セトさんは気付いてたんだ」
「エスト……?」
「ごめんねイスメト。ボク、キミに黙ってたことが二つあるんだ」
エストは言いながら、体の横にスッと腕を伸ばす。すると、その腕にまとわりつくようにして、黄金の光が渦を巻き始めた。
大神殿で皆を守ってくれた、あの光と同じもののような気がする。
「一つは、王女だってこと。そして、もう一つは――」
光は流れるように集まったかと思うと、エストの手の甲の上で凝縮し、やがて光輝く翼を持った小さな隼の姿を取った。
「ボクも、キミと同じ……神さまの〈依代〉だってこと」
光をまとう隼は、まるで本物の生き物のように翼を羽ばたかせる。
イスメトは言葉をなくした。
「この子がホルス。ボクの相棒だよ」
こちらの焦燥など知るよしもなく、エストは親しい友人を紹介するように朗らかに笑う。
「隠すつもりなかったんだけど……皆が誰にも言っちゃダメだってうるさくて。ホルスの気配を消すおまじないをしてもらってたんだ」
【ハッ! さすがに〈ホルス名〉を名乗られりゃ、嫌でも気付くっつの】
セトの悪態を聞いて、イスメトはようやく疑問を言葉にすることを思い出した。
「ホ、ホルスめい……?」
【ホル・エスト……コイツはそう名乗ったろ。自分の名とホルスの名をくっ付けた、ダセェ名前だよ。王権に関わるニンゲンが、ホルスの〈依代〉となる際に拝命する称号――それが〈ホルス名〉だ】
つまりセトは、処刑場にエストが現れた時点で気付いていたのだ。エストの中に仇敵であるホルス神が宿っているということに。
そうなってくると、セトがエストの招待状に嫌悪を示すどころか、むしろ快く受けたことにも納得がいく。
『農奴にゃまたとない機会じゃねェか……楽しめよ』
おかしいとは思っていた。
エストのことを毛嫌いしていたセトが、食事に招待されたことを素直に喜ぶなど。
――またとない機会って、そういう意味だったのか!
【ハッ! 俺もつくづく落ちぶれたモンだぜ。仇敵がずっと目の前にいたってのに、名乗られるまで気づけねェとはな……ッ!】
エストは村の恩人。そして、イスメトの友人。
だけど王女で、現代におけるセトの倒すべき敵。
イスメトはただただ動揺することしかできない。
「やい! そこのオマエ!」
さらに畳み掛けるようにして、聞き覚えのない声がイスメトの耳朶を打つ。
幼い少年のような甲高い声だった。
エストの声とも、セトの声とも違う。つまり――
「由緒正しき王の名を、ダセェとはなんスか! ダセェとは!」
エストの腕にとまっている隼が、こちらに頭を向けている。
「しゃ、喋った……!?」
「当たり前ッス! そっちの神だって喋ってるッス!」
やたら軽薄な口調が気になるが、間違いないだろう。
いま喋っているのは、エストの腕にとまっている隼――ホルスだ。
【ハッ……クソが。よりにもよって幼ホルスか】
セトは恨み言をぶつけるでもなく、煩わしそうに呟いた。
「幼、ホルス……?」
【言葉のまんまだよ。幼いホルス。クソガキ。俺の探してるホルスとは別モンだ】
「な゛ぁっ!?」
ホルスは羽をばたつかせ、憤慨したように声を荒げる。
「やっと口を開いたかと思ったら何なんスか!? この無礼極まりない神格は!」
【幼ホルスに利いてやる口はねェ。失せな】
「ピイィィィッ!」
最後のは、もはや言葉ではなく鳥の鳴き声に近かった。なんとなく怒っていることだけは伝わったが。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……! 何? ホルス神って、そんな何人もいるものなのか!?」
イスメトは混乱する頭に鞭打って、なんとか現状を理解しようとセトに尋ねる。
【まァ……そうだな。その解釈で問題ねェよ】
セトの返答はかなり投げやりである。
代わりに助け船を出してくれたのはエストだった。
「ホルスは歴代の王様たち、そして王位継承権を持っていた人の数だけ、別の人格を持っているんだよ」
「べ、別の人格……?」
多重人格の神様、ということだろうか。
「そうそう。分身みたいなものだよ」
エストはこくこくと頷く。
【そもそもは大ホルスと称される神格――ハロエリスが神としての本体にあたる。俺を知るのは、まァ現世じゃソイツだけだろォな】
セトの補足で、イスメトもなんとなく理解してきた。
セトが恨んでいるのはホルスの本体――ハロエリスという神格。そして、ハロエリスの別人格・分身にあたるこの小さな隼の神とは、直接的な面識がない。
事実、この小さな隼もセトのことを知らないような口ぶりだった。
少なくとも、セトの本当の仇敵はここにはいないということか。
「ホルスはね、王に相応しい人間を見極め育てるために、王位継承権のある人に自分の分身を宿らせるんだ。その分身――小ホルスがどれだけ成長したかで、昔は王位継承の順位が変わったんだよ」
エストは例のごとく、説法する神官のような所作で説明してくれる。
王位継承権のある人間が全員ホルスの〈依代〉になるとすると、結構な数になりそうだ。
「ボクが読んだ書物によると、500年前の王様には100人の子供がいたから、100柱以上の小ホルスが、同じ時代に顕現していたらしいよ! なんだか賑やかで楽しそうだよね!」
「そ、それは……楽しい、の?」
もしセトを宿した人間が100人に増えたと仮定すると、とても平穏な世界ではいられないと思う。すぐさま大戦争が勃発しそうだ。
王位継承権がかかっているとなれば、〈依代〉同士の戦いも頻発しそうである。
【実際、そういう時代もあったな。ありゃ傑作だった】
「あ、あったんだ……」
イスメトは生唾を飲み込む。
そんな荒れた時代に生まれなくてよかった。
【コイツに宿ってるホルスは、小ホルスの中でも一番若い段階のホルス――生まれたての雛鳥だ。テメェじゃロクに神力も扱えねェ。ピーチクうるせぇだけのヒヨコさ】
「ピイィィィッ! 失礼な奴! 失礼な奴!」
「まあまあホル君、落ち着いて。ボクが未熟なのは本当のことなんだし……」
バサバサと暴れる隼をなだめるように撫でながら、エストは苦笑する。
「それにしてもセトさんは、ホルスのしきたりに随分と詳しいんだね。ホルスとご縁のある神様なのかな?」
「ええっと……それは……」
イスメトはセトとホルスの関係を――セトの目的についてを説明すべきか逡巡した。
【ハッ、いいぜ。教えてやれよ。俺はテメェらを見てるだけで、反吐が出るほど気分がすこぶる悪くなるってな……!】
「セ、セトさん……? なんか、怒ってる……?」
エストは不安げだ。
幼ホルスはセトのことを知らない。ならばエストも、この二神のいざこざについては何も知らないのだろう。
放っておけば、セトがいつもの調子でホルスの盛大な悪口を吐き出し始めかねない。それを聞かせるくらいならば、自分の口から事実のみを伝えた方が、いくらかエストの心象もいいはずだ。
イスメトは、セトが現世に現れたそもそもの目的をエストに説明することにした。
セトも昔は国の半分を治める主神だったこと。
ホルスの〈依代〉に裏切られたせいで失墜したこと。
神殿を破壊され、冥界に300年封じ込められたこと。
信仰の回復とホルスへの復讐のために、自分に宿ったこと。
「いにしえの王家に、裏切られた……か」
「……何か知ってる?」
「うーん……」
エストは腕を組んで首をかしげる。
同時に彼女の腕を離れた隼は、羽ばたいてエストの肩にとまり直した。
「ごめん。一応、神殿で学べる範囲の歴史は覚えてるつもりなんだけど……それらしい出来事は思いつかないや。セトって名前も、君と会って初めて知ったくらいだし……」
【ハッ! そんなもんだろうな。神殿すら、あのボロを残してすべて打ち壊されたんだ。歴史書から名を消されたとしても、何ら不思議はねェ】
セトは苛立ちを隠しもせず、不機嫌そうに言う。
「役に立てなくてごめんね」
【そう思うなら王女。俺の質問に答えてもらおう】
申し訳なさそうに身を縮こまらせるエストに、セトは畳み掛ける。
【現代における、ホルスの最も有力な〈依代〉を教えろ。そいつなら、話が分かるハズだ】
「現代のホルスの、最も有力な〈依代〉……?」
【そうだ。やはり国王か? 神官か? それとも、お前の兄弟の誰かか?】
「うーん……」
エストは先ほどと同じポーズで再び首をかしげる。
が、こちらの答えは簡単だったらしく、すぐに顔を上げた。
「それ、たぶんボクだね」
一拍の間を置いて。
セトがこれまで以上に声を荒げた。
【……ッ、ハァ!? ふッざけてんのか貴様! 百歩譲ってテメェが第一王位継承者だとしても、現在進行形で国を治めている王なり神官なりの中に、大ホルスを――ハロエリスを宿している〈依代〉がいるハズだろォが!】
「うーんと、多分セトさんは、長く眠ってたせいで誤解してると思うんだけど……」
エストは言いにくそうに口をまごつかせた。
「……そもそも、この国の主神は今、ホルスじゃないんだ。王の候補者が小ホルスと共に修行をする〈ホルスの試練〉も、300年前に廃止されてるしね」
【なん……だと?】
これにはセトも閉口した。
【どういうことだ。お前は〈ホルスの試練〉を受けている最中なのだろう?】
「それは……ボクがちょっと特殊なだけっていうか……」
エストは目を伏せ、口ごもる。
「ボクは妾腹で……混血児だから、お兄様たちよりもずっと不利な状況なんだ。でも、お父様はチャンスをくれた。いにしえの王たちが受けた〈ホルスの試練〉を乗り越えて、その志を証明して見せろって。それで例外的に〈ホルスの試練〉を復活させることになったんだ」
そういえばエストは〈砂漠の民〉の母親から生まれたと言っていた。
【……デタラメ言ってんじゃねェだろうな】
「いや……たぶん、本当の話だよ」
補足したのはイスメトだった。
「ナイルシアの主神はホルスじゃない。オシリスだ。確かにホルスは国神の一柱だし、王家を守る神とも言われてるけど……主神じゃない。主神オシリスの息子って言われてる」
エストも確かに言っていた。
王位継承権のある人は小ホルスを宿して、その成長の度合いによって王位を争っていた。昔はそうだった、と。
【……なるほどな。300年の間に各々、役割が変わったと。ハッ! ハロエリスの野郎もザマァねェな】
セトはいささか消沈したように語気を弱める。
国の守護神であるホルス神を失墜させる――それは間違いなく、この国を転覆させる行為だ。しかし、それと王位を奪うことは同義ではない。
セトがあくまでもホルスへの復讐に重きを置いているのならば、『王侯を殺す』という手段は現代には即していなかったと言えるのかもしれない。
「そうなると……セトの復讐は、どうなるんだ……?」
まさか、ホルス神に加えてオシリス神にも牙を向ける――なんて言い出す気ではないだろうか。
そんなイスメトの焦りとは裏腹に、セトは静かに返す。
【あ? 別に、何も変わらねェよ――】
その言葉の直後だった。
「え……?」
いったい何が起こったのか、イスメトはすぐには状況を飲み込めなかった。
エストが目を見開いていて、その首筋には〈支配の杖〉が突きつけられている。そして、その杖を握っているのはもちろん――
「イスメト……?」
自分だった。




