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招待状

 顔に何か柔らかい感触が当たっている。

 そのくすぐったさにイスメトが目を覚ました時、真っ先に見えたのは母の安堵の顔だった。


 ――ああそうか、家に帰ってきたのか。


 見慣れた天井と特有のにおいで実感する。


「大丈夫……? わかる?」


 母は湿った布で顔の汗を拭いてくれていた。


「……母さん?」

「よし、わかるならもう大丈夫ね。お腹空いてない? 食べれそう?」

「うん……」


 イスメトの返答を確認した母は微笑んで台所へ消える。食事の準備をしてくれるようだ。

 イスメトは上体を起こす。

 途端、体が引きつった。この感じからして筋肉痛だ。特に腕と足。痺れるように痛む。

 矢で負傷した左足には包帯が巻かれていた。不思議と、こちらの痛みはさほど気にならなかった。


「うわっ」


 寝台から足を下ろしたイスメトは、自分の部屋の惨状を見て声を上げる。

 寝台を取り囲むように立ち並んでいるのは、大小様々な木彫り人形。その数、50は越えていた。

 一見するとアヌビスのようでいて、どれも耳の先が四角い。


「ああ、それね。色んな人が持ってきてくれたの。セト神の加護で早く良くなりますようにって」


 台所から母の声が解説する。

 気持ちはとてもありがたい。が、はたから見れば怪しい呪術の儀式と思われること請け合いである。

 中には、器用に縦に積み重ねられた像や、妙なフォーメーションを組んでいる一団もあった。像が増えるにつれて、並べる人々も創意工夫――というか、ちょっと遊び始めたようである。


 ――神様にまつわる儀式って、こんなふうに生まれるのかな。


 どうでもいいことを考えていると、母がパンとチーズを運んできた。

 大勢の小さなセトに見守られながらイスメトは食事を取る。

 正直、まったく気が休まらなかった。


【ったく……俺は癒やしの神じゃねェっての……】


 不満げなぼやきが聞こえたので、セトはどうやらまだこの体にいるようである。


 食事を終えると、イスメトは散歩に出掛けた。

 セトと話をするためである。

 心配する母には、体を慣らすためだと伝えた。

 筋肉痛はつらいが、歩けないほどではない。ヤギ小屋の様子を見た後、イスメトはセトと初めて言葉を交わした坂道をゆっくりと登り始めた。


「……今日、何日?」

【お前の処刑から三日が経った。俺の予想通りだな】


 三日も寝ていたのか。

 イスメトは母の心労を思った。


「お前、まだ僕の中にいるんだな……」

【あァ? そりゃそーだろ】

「僕を見放したんじゃなかったのか?」

【お前は賭けに勝っただろ】


 だが、セトに一度見殺しにされかかったことも事実である。

 セトに人間のような情はない。彼にとってイスメトは、たまたま近くにあった便利な人形。それ以上の価値はなく、使い勝手が悪くなれば捨てる。そういうモノのはずだ。

 幸運にも処刑の危機を脱したからといって、これ以上セトがこの体にこだわる理由がわからなかった。


【ハッ。見殺したァ、随分だな。もとはと言えば、テメェの甘さが原因だろォが】

「それは……分かってるつもり、だけど」

【肉体を共有してるっつっても、本体はあくまでテメェだ。テメェが肉体の提供を拒否れば、俺も手を引くしかねェ。少なくともその足の怪我は、テメェの自業自得だぞ】

「え……そ、そうなの!?」


 イスメトはてっきり、セトは好きな時に好きなように体を操れるものだとばかり思っていた。


【あ……? 言ってなかったか?】

「言ってない!」


 確かに、思い当たる節がないわけでもない。

 神兵と初めて戦った時は『体を動かすのはお前だ』と断言されたし、それ以降の戦いでも、イスメトが主体的に動く場合がほとんどだった。セトはあくまでも補助をしてくれただけ。

 そして、州侯たちが攻めてきた時。セトは初めて『体を貸りる』とはっきりイスメトに許可を求めた。つまり、許可を取る必要があったということだ。


【クハハ! そりゃ悪かったな】


 本気でそう思うのなら、その汚い笑い声を引っ込めてほしかった。


「……でも、なら、なおさらじゃないか。僕はお前の〈依代〉に向いてないんだ。もっと相応しい人を……その……選び直したほうがいいんじゃないか?」

【あァ? 俺は当分、出て行かねェぞ】


 意外な切り返しだった。


「な、なんでさ? 僕なんかよりアッサイの方がよっぽど……」


 人望も勇気も責任感もあって、目的のためには腹をくくれる本物の戦士。セトが必要としているのは、そういう人間ではないのか。


【アイツか……まァ、考えてることは分かる。が、ヤツにも欠点はある】

「欠点……?」


 セトは淡々と告げた。


【第一に、妻子がいる。特にガキは明確な弱点だ。親ってのは何に代えても子供を守ろうとするからな。責任感が強い個体は特にその傾向が顕著で、面倒だ】

「子供……」


 イスメトはアッサイの家族が神兵に捕まった時の光景を思い出す。

 もし、あそこでイスメトが名乗りを上げなかったら、アッサイはどうしていたのだろう。あまり考えたくはなかった。


【第二に。契約をするとして、ヤツは俺に何を望む……? ああいうタイプは、テメェの保身なんざ眼中にねェ。どうせ『この村を子々孫々、守護してくれ』とか言い出すぜ。それこそ、この村を発つ際の足枷になりかねん】


 確かに、いかにもアッサイが思いつきそうな願いである。

 しかし、イスメトが気に留めたのはセトの最後の言葉の方だった。


「……え? この村を、発つ……?」


 セトがイスメトの中から出て行くことは当分ない。

 ならば、セトが村を出るということは同時に自分も――


【当然だろ。忘れたか? テメェの役目は俺の信仰を取り戻す(・・・・)こと。この国の半分を支配下に収めていた、この俺様のな】

「え、えっと、それはつまり……セトを祀ってくれる村をもっと増やせっていうことじゃ……」


 セトは小馬鹿にするように鼻で笑った。


【村じゃねェ。これは国盗りだ】


 セトの表情はイスメトには感知し得ない。

 ただ、なんとなく分かる。

 彼はきっと今、ものすごく悪い顔(・・・)で笑っている。


【ま、そういうこった。俺には俺の都合ってモンがある。テメェの尺度なんざアテになんねェぞ】


 よく分かった。

 セトにとって、自分がいかに都合の良い『手足』であるのかということは。


【まさか断りゃしないだろ? 俺とお前の契約(ナカ)だもんなァ? ククク……】


 ――ホント、強運でもなきゃ、この先やっていけそうにないや。


 自分の将来を心底憂うイスメトだった。


「……そんなに都合がいいと思ってるなら、助けてくれれば良かったじゃないか。こっちは死ぬ思いだったんだぞ……?」

【ハッ! テメェにゃ良い薬だこの虫ケラが。力無き正義に意味はねェ。よく分かっただろォが】

「う……」


 何も反論できない。

 事実、セトの汚いやり方を否定したところで、イスメトには自分の身を守る手段など無かった。死ななかったのは運が良かったから。本当にただそれだけである。


【それに、後ろで村の連中が何やら企んでいるようだったしなァ? 神力を節約できるなら、それに越したことはねェだろ】


 セトは飄々(ひょうひょう)と言ってのけた。


「え……? き、気付いてたの!?」


 処刑が始まった時――あるいはもっと前から、セトが広場にアッサイたちの姿を見つけていたというのなら、なおさらに意地の悪い話である。


【お前を試したかったのも事実だ。ただ、比較的、お前に有利な賭けだったってことだよ。どうだ? セト様は優しいだろォ? ククク……】

「い……言ってくれよ……っ!」


 もう、セトの言うことは話半分に聞くぐらいがちょうどいいのかもしれない。


「お。目が覚めたか少年」


 イスメトがちょうど坂を登り終えるころだった。

 対面から、見覚えのあるざんばら髪の男が歩いてきていることに気付く。

 処刑人に扮していた、あの壮年男である。


「あ……あなたは……」

「アルヒドだ」


 アルヒドと名乗った男は、薄っぺらい笑顔で握手を求めてきた。

 演技とは言え、一度は殺されかけた相手。

 とりあえず手を握り返したものの、返す愛想笑いは自分でも引きつっていることが分かった。


「傷はどうよ」

「えっと……不思議と全然痛くないです。筋肉痛のほうが気になるくらいで……」

「ハハ、そーかい。さすがはアヌビス神官団。包帯巻くのはお手の物だな」


 彼の口ぶりからして、足の治療はどうやら神殿の人がやってくれたらしかった。


「な、何か用でも? こっち、僕の家しかありませんけど……」

「そうそう。少年に用なのよ。ホレ」


 イスメトは小さなパピルスの巻物を手渡される。


「嬢ちゃんからの招・待・状」

「招待状……? ……嬢ちゃん?」


 最初は何のことだか本気で理解できなかった。

 巻物を開くと、綺麗な神聖文字が並んでいる。


【……明日の夕食に来れるかってよ。ソイツの言うとおり、招待状だな。ハッ、わざわざ宛名に俺の名まで書いていやがる】


 文字を読めないイスメトに代わり、セトがさらっと概要を教えてくれた。

 以前、神殿で父の裁判記録を見つけられたのも、セトの意訳があってのことだった。


【……ったく。そのうち字も叩き込まねェとな。読めねェと識者にハメられるぞ】


 そんな物騒な理由で農奴に文字を覚えろなどと言ってくるのは、恐らくセトくらいなものだろう。


「ああそれと、嬢ちゃんからもう一つ伝言だ。『直接お見舞いに来れなくてゴメンネ! お返事はアルヒドまでヨロシク♪』」

「え、ええっと……嬢ちゃん、って……?」


 イスメトは肝心なことを忘れかけていた。


「ああ、そうかそうか! えーっと、書記のボウヤ(・・・・・・)からの伝言って言った方が伝わるかい?」

「……あっ!」


 ――そうだ。エストに夕食、誘われてたんだ。


「それで? 来るの? 来ないの?」

「え、そ、それはもちろん……行きます、けど……」

「オッケー。そんじゃ明日、空が赤らむ頃に西の港に来てくれや」


 それだけ伝えると、アルヒドは後ろ手を振りながら去って行った。本当に、ただイスメトへの伝言を伝えに来ただけらしい。

 その後ろ姿が小さくなるのを見送った後で、ようやくイスメトは事の重大さを思い出してきた。


 ――あれ? エストって、王女様……なんだよな?

 ――え? 夕食って、神殿のじゃなくて?

 ――なんで港に集合?

 ――あれ? これ……本当に僕が行って大丈夫なヤツ!?


 イスメトはその場に呆然と立ち尽くす。

 アルヒドの姿はもう見えなくなっていた。


【……招待状までワザワザ寄越してんだ。問題ねェだろ】


 セトはサラッと言う。が、イスメトにとっては一大事である。

 貴族の夕食に誘われる。そんなのは生まれて初めての経験だ。

 いや、そもそも。

 女の子に誘われること自体が。


 ――あれ? 僕、女の子とマトモに喋ったこと、あったっけ……?


【ハァ? あのクソガキとはさんざん喋ってただろ】

「そ、それはエストを男だと思ってて……!」

【別に同じだっての】


 ――同じ? 同じなのか? そうか。同じか。そうだよな、エストはエストだもんな……。


 などと自分に言い聞かせて平常心を取り戻そうとしたところで、現実は何一つ変わっていないことに気付くだけだった。


 ただの農奴が、王女に、夕食へ、誘われた。


 イスメトは即座に緊張性の胃痛に襲われる。

 もともと約束していたことだ。エストに悪意は恐らくないだろう。

 ただ、彼――いや彼女の正体を知った今となっては、素直に喜べない。何かの罰にすら思えてしまう。


「こ、断れば……よかった……」


 心の底からそう思った。


【クハハッ! ナニ言ってやがる。農奴にゃまたとない機会じゃねェか……楽しめよ】

「む、無理……」


 その後、イスメトは村の人々に顔を見せた。

 出会った誰もが『顔色が悪い』『まだ寝てろ』と口をそろえて言ったが、イスメトの表情が暗い理由は恐らく体調のせいだけではなかった。


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