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その名は忌まわしき……

「くっ……! 官兵よ、この偽王女を捕らえよ! 王女がこんなところにいるはずがない!」


 往生際の悪い州侯がエストに続いて叫んだ。

 互いの兵がその号令を受けて前に出る。

 しかし、州侯側の神術師たちの大半は、エストやホルス神官団に弓を向けることをためらっている様子だった。


「我々に武器を向けた者は、王家に対する反逆罪に問います! それでもよろしければ、どうぞ妨害なさってください!」


 エストの強気な一喝が決め手となり、官兵たちは武器を下ろしていく。

 州侯はというと――すでにその場から逃走を図っていた。

 ホルス神官団の歩兵がその後を追うが、弓兵は民を気遣い矢を撃ちあぐねている。


「ええい、どけ!」


 州侯は神官団の包囲が及んでいない方角を見極め、民衆を押しのけ始めた。

 が、次に州侯が突き飛ばそうとした男は、並みの官兵よりもたくましい体でその場に踏みとどまり、逆に州侯を突き飛ばした。


「……おい、何処へ行く気だ? 処刑はまだ終わってないだろう」


 その声を聞いて、イスメトはようやく死の緊張から解放された心地がした。


「……っ、アッサイ……!」


 町の入り口付近――ホルス神官団の人数では包囲しきれない箇所を補うようにして陣取っていたのは、東の村の男たちだった。サナクらアヌビス神官団の姿もある。

 今の今まで気付けなかったのは、杭のせいでイスメトからはほとんど死角になっていたからだ。


「ウチの村のガキと守護神に、えらくイチャモン付けてくれたみたいじゃないか……お前ら、かかれ!」

「オオオォォォーーーー!」


 アッサイの号令とともに、荒々しい男どもが雄叫びを上げる。全員で州侯を取り押さえた――と言うよりは、州侯になだれ込んだと言った方が正しかった。


「わっ! わっ! 待って! こ、殺しちゃダメ! まだ調査が……!」


 そのあまりの勢いを見て、エストが悲鳴を上げている。


「分かってますよ、王女様(・・・)


 アッサイ自身はその騒動には加わらず、一人、広場へと歩み出た。


「ちゃんと言って聞かせてあります。全員一発ずつ(・・・・・・)にしとけと」


 ちなみに、その場に集まった村の男たちはざっと見積もって20名はいた。

 案の定、縛り上げられた州侯の顔はもはや原型が分からぬほどにボコボコである。

 言いがかりで村を攻め滅ぼされそうになったのだ。むしろ手緩い仕返しと言えた。


「遅くなってすまなかったな、イスメト。見ての通り、こっちも色々あったんだ」

「アッサイ……」


 アッサイはナイフを取り出し、イスメトを拘束する縄を切る。

 足の筋肉が弛緩して前に倒れ込みそうになるのを支えられ、イスメトはゆっくりとその場に腰を下ろした。


「あ~ちなみに。もう分かってると思うけど、オジサンたちもこっち側。安心してくれや、少年」


 処刑人に扮していた男は、服の下から金の首飾りをチラリと見せてヘラヘラと笑った。もう一人の若い官兵の方も――こちらはニコリともしなかったが――同様にホルスの護符を取り出して首にかけ直している。

 大通りでイスメトを挟み撃ちにしたあの別働隊は、州侯の兵を装った彼らの隊だったのだろう。


「イスメト!」


 その声に呼ばれてイスメトはドキリとする。

 エストだった。

 アメミットを檻に戻し、兵に指示を出し終わったところで彼――いや、彼女はこちらに駆け寄ってきた。

 髪を束ね、アイシャドーを引く。たったそれだけで、こうも人の印象は変わるものなのか。ひらひらと羽のように舞うケープが、なおさらその姿に女性的で可憐な印象を与えていた。


「遅くなってごめんね! でも、なんとかなったでしょ?」

「あ……え、えっと……エス……ト……?」


 まずお礼を言うべきなのは分かっている。分かっているのだが、なんと言えば良いのだろう。自分なんかが声をかけて失礼にあたらないだろうか。

 というか、そもそも緊張で声が上手く出ない。


 イスメトの頭は哲学者のごとく思考の旅を始めていた。


 本当に、彼女はエストなのか。本当に王女なのか。本当に女の子――なんて思うのは失礼だが、初めて自分を友達だと言ってくれた〈太陽の民〉が、まさか王女であるなどと誰が簡単に信じられるだろうか。


「まあ、そうなるよな……俺も度肝を抜かれたよ」


 目を白黒させるイスメトを見て、アッサイが苦笑している。


「あり……がとう……」


 なんとかそれだけは言った。

 エストは満足げに笑って、また身を翻す。今後のことでも話すのだろう。彼女はサナクらアヌビス神官団の集まりへ交ざっていった。

 なんだか急に体の力が抜けた気がする。体も、瞼も、何もかもが重い。

 イスメトは今さらながら、昨日ろくに寝ていなかったことを思い出した。


【寝不足のせいだけじゃねェ。疲労だよ。これから三日は満足に動けないと思え】

「セ、ト……」

【やはりテメェは、『何か』を持っていたようだな……】


 気のせいだろうか。

 セトの声色がいつもより暗い。剣呑な空気を漂わせているとでも言えばいいのか。


 ――怒ってる?


ホル(・・)エスト……ククク、ホル(・・)エストか……】


 ぼんやりした意識の中でそんなことを考えたのが最後。

 イスメトは糸が切れたように気を失ってしまった。

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