闇の痕跡
「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません、エスト様。本来ならば、このようなことは私一人で――」
「ううん、いいよミィテ」
イスメトとエストは、ミィテにいざなわれ、屋敷の地下へ続く暗い階段を降りていた。
「ところで、なぜその少年を?」
「彼には調査に加わる権利があるよ。それに、いざというとき頼れると思ったから」
ミィテはどうやら、エストの命で数日前から使用人として屋敷に潜入していたらしい。
本来ならば彼女の潜入捜査だけで事は終わるはずだったという。それこそ不正の証拠となる記録でも見つかれば、あえて乗り込む必要もないと。
「残念ながら、これといった物的証拠は見つかりませんでした。ですが、それ以上に不審な……儀式の痕跡を見つけました」
「儀式……?」
「私には、呪術的なものとしか……しかし、エスト様ならばあるいは、何か感じ取れるかもしれません」
やがて目の前に現れたのは、仰々しい両開きの扉。
「錠は開けてあります。急ぎましょう」
ミィテはためらいなくその扉を開け放った。
「うっ……!?」
イスメトが最初に感じたのは、鼻を抑えたくなるほどの臭気。そして湿気だった。
まるで空気が質量を持ったかのごとく、重く淀んだ気配が鼻腔と喉を撫でて不快感を増長させる。
イスメトはこの臭いを知っている。
肉を腐らせてしまった時の臭いだ。
エストは顔をしかめながらも、ミィテに続いて躊躇なく部屋の奥へ足を踏み入れていく。二人の持つたいまつが床を照らし、部屋の様相を徐々に明らかにした。
「ひどい……」
エストは声を震わせる。
あたりには様々な動物の亡骸が転がっていた。ワニの胴体があったかと思えば、獅子の頭部が無造作に転がり、その傍らにはカバのものと思しき巨大な骨もある。
唯一、それらに共通しているのは、いずれもその動物本来の体を保っていないということ。
【ハッ……正気かよ】
セトでさえも嫌悪感を露わにした。
動物たちは、いずれも体をバラされていた。
イスメトは鼻と口を抑える。今何か喋ると、同時に胃の中身が出てしまいそうだった。耳にまとわりつく蝿の羽音が、最低な気分をさらに下まで突き落とす。
「私の知る限りでは、祈祷にこのような贄や儀式を要する神は存在しません。異教の儀式か、あるいは呪術か……」
「うん……そうだね。呪術だよ、間違いなく」
エストは険しい表情で周囲を見渡す。
「でも、これだけ死体があるのに、この部屋には遺恨や恐怖、執念が染みついてる感じがしない。大抵の呪術は贄の苦痛を糧とするけど……この動物たちは、ここで呪いのために殺されたんじゃない……気がする」
【――目的は肉体の方だろう】
「……!? まさか……!」
セトの呟きで、エストは弾かれたように動物たちの遺骸を見て回る。
【小僧、お前も行け。俺にもよく見せろ】
「うっ……わ、わかった……」
イスメトは胃のざわつきをなんとか抑え、改めて哀れな動物たちを観察した。
状況だけ見れば、彼らは狂気的にこの場で惨殺されたようにしか見えない。しかし、エストの言うことを信じるならば、動物たちは殺された後でここに運び込まれたことになる。
――目的は肉体? 儀式に、動物の死体が必要だったということか?
部屋の隅でイスメトはさらに異質なものを見つける。
それは首を落とされたライオンに、ワニの頭が縫合されたもの。
いや、それだけではない。
ワニの体にライオンの腕を取り付けたもの。ライオンの下半身を子カバの下半身と取り替えたもの。それから他にも――まるで新しい動物を生み出そうとするかのように、試行錯誤をした形跡が見られた。
「な、なんなんだよ、これ……!」
【やはりか】
命を弄んでいるようにしか思えない惨状に、イスメトは拳を握りしめる。
対して、セトの声は至って冷静だった。
【何者かがここで『神の器』を作っていたのさ……それも、とびきり醜悪な】
「神の器!? じゃあ、やっぱりこれは……アメミット!?」
エストは、三種類の動物が縫い合わされた物体を前に顔をしかめる。
「アメミット……?」
聞き慣れない単語にイスメトが首をかしげると、エストは臭気に声を詰まらせながらも解説してくれた。
「……アヌビス神と縁の深い、女神の名前だよ。ほら、聞いたことない? 罪人の心臓を貪り食う者……断罪の女神」
貪り食う者。
その称号でなら、イスメトもその神を知っていた。
死後、現世での悪行をアヌビスに見抜かれた者は、その心臓を取り上げられて魂を消滅させられると言われている。その際に、取り上げた心臓を喰らうのが『貪り食う者』だ。
女神、というよりは神獣というイメージが強い。
その姿は確か、ワニの口をしているとか、獅子の足を持っているとか。
「でもまさか……そんなこと……」
エストはこの異様な儀式の意味するところに心当たりがある様子だ。しかし、口に出すことを迷っているようだった。
「……エスト様。こちらにも、見ていただきたいものが」
ミィテの声で、二人は異形の死骸から顔を上げる。
彼女は部屋の突き当たりの壁を照らし出した。
そこには絵が描かれていた。
「な、なんだこれ……」
「ボクも初めて見る……この円は、太陽円盤に見えるけど……」
太陽を思わせる円。それだけならば太陽神ラーの象徴ととれる。が、この絵画の太陽円盤からは無数の手のようなものが伸びていた。まるで降り注ぐ陽光のように。
【ハッ……こいつァまた、胸糞悪いモンが出てきやがった】
「知ってるのか? セト」
【さァてな、コイツの現世での扱いは知らねェよ。ただ……コイツを『絶対神』と崇めて、ナイルシアの国家神に祭り上げた国王が一人いたと思ってな】
「ぜ、絶対神……?」
セトは失われし古き歴史の一部を語り始める。
【この世で神と呼ぶべき存在は、太陽を化身とするこの神ただ一柱――なんて大ボラかまして、他の神をこの国からすべて排斥しようとしたイカレ野郎がいたって話だよ。当然ながら、神とニンゲンの大半を敵に回して、その王は死んだ。何百年前だったか忘れたが】
セトは吐き捨てるように笑う。
【しかしどうやら、現代にも根強いファンがいるみてェだなァ……?】
「絶対神……」
エストは興味深そうに壁画に顔を近づける。
「あれ、ここに何か書いてある……」
そして、太陽円盤の横の文字列に目を付けた。
「ア……テ、ン?」
【チッ……わざわざ読み上げてんじゃねェぞクソガキ】
突如、イスメトの手に〈支配の杖〉が召喚される。
【そんな神名、この世から消し去った方がいいんだよ――ッ!】
「……と、わっ!?」
言い終わるやセトは、イスメトの腕を操り〈支配の杖〉を壁画に打ち付けた。壁面に亀裂が走り、いびつな太陽円盤はあっけなくパラパラと床に崩れていく。
――ドサ、ドサドサ。
と同時に、漆喰の四散する音とは明らかに異なる、質量のある振動が複数、三人を包囲するように落下してきた。
「下がって!」
ミィテはたいまつをエストに預け、彼を庇うように前へ進み出る。
その両手には、いつの間にか対の短剣が握られていた。どうやら服の袖に隠し持っていたようだ。
シュルルと風が葦の原を吹き抜けるような威嚇音が、闇の中から這い寄る。その音で、イスメトは即座にソイツらの危険性を理解した。
「コ、コブラ……!?」
イスメトの言葉を肯定するかのように、頭の大きな細長い影が、いたる所でぬるりと立ち上がる。
「……迂闊」
ミィテはナイフの切っ先のような視線でイスメトを睨んできた。
何かしらの罠が発動したか、あるいは天井に巣くっていたコブラが落下してきたか。いずれにしてもセトの一撃が発端となったことは明白である。
「い、今のはセトが……」
「言訳無用!」
ミィテは、身を立てて威嚇するヘビの頭上を舞うように跳び越えた。直後、前方に立ち塞がっていたコブラたちの頭が次々に地面へ落ちる。
咄嗟には何が起こったのか分からないほどの早業だった。
「す、すごい……」
【オイ、足下見ろ】
「え……? うわっ!?」
他に見とれている場合ではなかった。
気付くと、イスメトのすぐ傍でコブラが牙を剥いている。
イスメトは逃げ腰になりながらも、〈支配の杖〉でそいつを壁際に弾き飛ばした。
「セ、セトっ! お、お前のせいなんだから、何とかしてくれよ!」
【あァ? 別に、ただのヘビだろ。テメェにゃ良い練習相手だ。杖は貸しといてやるから、ちったァ腕を磨け】
「な……」
勝手に体を操っておきながら、それはない。
【あァそうだ、俺に毒を癒やす力はねェからな。噛まれんなよ? ククク……】
もういやだ、この神様。
イスメトは時折悲鳴を上げながらも、なんとか数匹のコブラを叩き潰して通り道を確保する。
「イスメト! 早く!」
そうして悪戦苦闘している間に、エストはミィテに先導されてとっくに入り口まで戻っていた。
情けないにもほどがある。
イスメトが部屋から飛び出すと同時に二人が扉を閉め、コブラたちを中に封じ込めた。
「……これで、ここに侵入したことは遅かれ早かれ勘づかれます。潜入捜査はここまでですね」
「す……すみません……」
本当に、情けない。
悪いのはほとんどセトな気もするが。
「でも、お陰で殺人事件の犯人が分かったよ。ボクだけじゃ、きっと見逃してた」
「あ、はは……お礼ならセト神にどうぞ」
結局、自分は何か役に立てたのだろうか。エストの気遣いが逆に心に刺さるイスメトだった。
「……って、え!? 犯人、分かったの!?」
申し訳なさのあまり、危うくエストの言葉を聞き流すところだった。
階段を駆け戻りながら、エストはにっこりと微笑む。
「うん。自白を促せるような証拠はなかったけど……強硬手段に出れば、捕まえることはできると思う」
「強硬手段……?」
「詳しいことはまだ話せない。できれば使いたくもないんだけど……こうなったら、次の被害者が出る前になんとかしないと」
その後、三人は何事もなかったかのように応接間に戻る。サナクたちが上手く会話を繋げてくれていたお陰で、まだ怪しまれている様子はなかった。
一同は、近々行なわれるらしい公共事業に関する話を終えると、州侯に挨拶をして屋敷を後にする。ミィテは折を見て離脱するらしい。
「それで、何か収穫がありましたか?」
「うん。とりあえず連続殺人の方の容疑がかかったよ。サナクの方は?」
「残念ながら、これといった証言は得られませんでした。最初に出したボロ以外は」
「それがあれば十分だけどね」
エストとサナクは互いの情報を交換しているようだ。イスメトにとっては、分かるような分からないような内容だったが。
「イスメトは村に戻って。ボクは色々と準備してくる」
「えっと……何か手伝えること、ある?」
エストは表情を硬くした。
「……身を守って。もしかしたらアメミットが、キミを襲いに来るかもしれない」
「え!? ア、アメミット……!?」
死後の世界に住まうはずの神獣が、現世の人間を襲いに来る――
少し前のイスメトならば絶対に信じなかっただろうが、セトのことを思うとあり得ない話ではないのだろう。
「あの儀式……たぶん、アメミットをこの世に召喚するためのものなんだ。彼女はワニの頭と、ライオンの前足、そしてカバの後ろ足を持つ女神。あの動物たちは、彼女の〈依代〉となり得る存在を作り出すために利用されたんだと思う」
「よ、〈依代〉って……それじゃあ……」
エストは首肯する。
「そう。セトさんと同じように、〈貪り食う者〉も肉体を得て、今、こっち側に……人間の世界に出て来ている可能性があるんだよ」
心臓を失った異様な死体と、心臓を貪り食う女神。
確かに、事実との整合性は取れている。
「死骸を〈依代〉にするなんて普通はできないことだけど……呪術を使えば何かしら方法があるのかも。そうなんでしょ? セトさん」
【……そういう呪具は、見たことがある】
セトは気だるげに答える。
【地下で行われた儀式が成功したのだとしたら、心臓強盗の犯人はアメミットでほぼ確定だ。そして、ヤツを使って何かを企んでいる黒幕がいる】
「それが……州侯、か」
イスメトはようやく事態を把握した。
「ボクらが地下に忍び込んだと気付いたら、きっと口封じをしようとする。だから、イスメトも気をつけて」
「わ……わかった」




