潜入捜査
州侯の屋敷はこの州で二番目に大きな建物だ。大神殿に比べると広さはそこそこだが、塀と中庭を持つ立派な豪邸である。
庭には植木を手入れする使用人の姿も見えた。
「紹介するよイスメト。この人は神官のサナクさん。アウシットには去年引っ越してきたばかりなんだって」
「やあ、どうも。君が例の〈依代〉くんかい?」
エストから紹介されたのは黒髪の男性。年齢はアッサイと同じくらいに見えるが、体格は正反対のひょろっとした色白の男だった。
村ではあまりモテそうにないタイプだ。
どうやら、彼が今回の食料問題に関する調査を引き受けてくれた神官らしい。
「は、初めまして……イスメトです」
「事情はエストから大体聞いています。ああ、そんなにかしこまらなくて大丈夫ですよ。偉ぶるのは趣味じゃないんで」
サナクは穏やかに微笑みかけてくる。その物腰が、どことなくエストに似ているような気がした。
州侯の屋敷へはサナクと書記二名を加えた、五人で向かうらしい。
表向きは、州候の話を聞きに行くだけ。しかし、本当の目的は屋敷を調べることである。
サナク神官らが州候と話す間に、イスメトはエストと共に屋敷の中を探索する。エストから合図があるまでは、飲み物を飲みながらおとなしく座っていろとのことだった。
必ず、渡された杯を空にするようにという謎の指示も受けた。
「やあやあ皆さん。おそろいで……」
出迎えた州侯は、30代くらいの髭を生やした男だった。サナクとは違い、健康的に焼けた肌が印象的だ。
州侯と言えば、州の貿易や軍事を仕切っているイメージだが、収穫祭などでも神官らと共に町を練り歩くことがある。イスメトも遠くから姿を見かけたことくらいはあった。
こうして正面から顔を合わせるのは、もちろん初めてだが。
「ああ、確かあなたはええっと、昨年ご挨拶にいらした……」
「サナクです。州侯殿」
「そうそう、サナク神官。いやはや申し訳ない。名前を覚えるのが少々苦手でして。しかし……昨今の神殿は人手不足ですかな? 何やら子供が多いようですが」
「いえ、お気になさらず。若くとも優秀な書記と、関係者を連れて来たまでですので」
笑顔を向け合う大人たち。
しかし、その間に漂う空気は張り詰めているように思われた。
挨拶が終わると、一同は応接間に通される。
「えっ」
イスメトは通された部屋で、見知った顔を見かけて目を丸くした。
応接間で飲み物の準備をしていたのは、赤い髪を頭の高い位置でまとめた美女。今は使用人の格好をしているが、以前は旅装束を着てエストの横に連れ添っていた。
確か、ミィテという名だったか。
イスメトは驚いて隣のエストに視線を送る。彼は人差し指を口の前に立てて、意味ありげに微笑むだけだった。
「どうぞ」
ミィテはテーブルの上に置かれた器に葡萄酒を注いで回り、州侯の背後の壁際まで下がった。
「それでは、早速本題に入らせていただきたいのですが……」
全員が席に着いたところで、口火を切ったのはサナク神官。
「書簡でもお伝えしたとおり、当神殿の大神官が民から不正に税を徴収するという不祥事を起こしました。同じ神官の端くれとして、大変遺憾に思います」
サナクは葡萄酒を一口味わうと「良いワインだ」と笑う。
それを見たイスメトも、慌てて杯に口をつけた。緊張で味はよくわからなかったが、とりあえず指示通りに杯を空にする。
「それで……お尋ねしたいのは、不正に徴収された麦の行き先についてです。奴隷たちに聞き込みを行ったところ、数日前こちらに大量の麦を運び込んだという証言を得ました。これについて、詳しくご説明いただけますか?」
州侯は一瞬考えるように視線を自分の手に落とした。が、動揺している様子はなかった。
「なるほど……確かに。そういうことはありました」
そしてあっさりと、神殿から麦を受け取っていた事実を認める。
「ですがそれは、必要に迫られてのことです」
「……と、言いますと?」
サナクが胡乱げに尋ねると、州侯は言いよどんだ。
「……近々、王都で王女様の誕生祭が開かれるのはご存じですかな?」
「ええもちろん。王女様のお誕生日は存じ上げております。確かに毎年、何かしらお祭りをされるようですね」
「ではこんな話は?」
州侯は声を落とし、険しい表情を作る。
「王女様は今年14歳の成人の儀を行われます。なんでもその一環として、家臣100名を連れての大々的な巡礼の旅をされるとのことで……」
「ふむ……それはまた、費用がかさみそうなお話ですね」
「そうなのです。王女はこちらにも立ち寄られるご予定とのこと。そのため、特例的に普段よりも多く、食料を備蓄していた次第で……」
「へー、王女様が? それは知らなかったなぁ!」
大人たちが剣呑な空気をまとう横で、ひときわ明るい声を出したのはエストだった。
州侯は微かに頬を動かす。が、すぐに笑顔に戻った。
「ええ、そうでしょう。なにせ急な話でございましたから……」
サナク神官は「ふむ……」と考えるように顎を触りながら、さりげなく視線を州侯の背後へ飛ばす。
イスメトは、彼の視線の先にいるミィテが微かに首肯するのを見た。
「なるほど。お話は分かりました。では、この件については王都に確認を取ります」
サナク神官はあっさりと引き下がった。
そして、議題はいよいよ裁判の不正問題へと移る。
イスメトにとっては、こちらのほうが本題である。
「続いて、〈マアトの天秤〉のことですが……」
「それについては全く存じ上げませんな」
州侯はサナクの言葉を待つまでもなく、裁判への関与を否定した。
「確かに、天秤の点検は私が毎年行っておりますが……前回の点検でも、天秤は正しく動作していました。記録もこの通り。それでも不正が行われたというのなら、そちらの管理問題でしょう」
州侯はテーブルに巻物を広げて見せる。
イスメトには読めないが、おそらくは天秤の点検日や結果などが書き記されているのだろう。
「ふむ……確かに。しかし、おかしいですね。前回の点検から一月も経っていない。彼らが書庫で発見した本物の天秤は、かなり埃を被っていたようですが」
「……掃除を怠っていたのでは?」
「あの書庫は普段、ほとんど閉めっぱなしです。そんな短い期間で埃は積もらないはずですが」
「そちらの思い違いではないですかな?」
結局、天秤についての話は平行線に終わった。
なにせ明確な証拠がない。もし州侯が本当に不正に関わっていたとしても、簡単に明かすわけもなかった。
イスメトは口を引き結んで、要領を得ない会話をただ聞いていた。
「あの! すみません!」
また急に、エストが声を上げた。
何か策があるのだろうか――と期待したイスメトは、次の瞬間に落胆することになる。
「お手洗い、貸してください!」
「エスト……失礼ですよ」
サナク神官がため息交じりにいさめると、州侯は声を出して笑った。
「はっは。構いませんよ」
うらやましいくらいに緊張感の無いヤツである。エストらしいと言えば、らしいのかも知れないが。
「ご案内しますね」
が、ミィテが先導するように出入り口へ向かったのを見て、イスメトはハッとした。
ミィテに導かれるエストは、部屋を出る間際にこちらを見――確かに手招きをしていた。
「あ、あの! すみません、僕も失礼します……!」
飲み物を全部飲めって、そういうことか。
イスメトは慌てて席を立った。




