西の村にて
イスメトはエストとともに、変死体が立て続けに見つかったという西の村へと向かった。
正直、あまり気は進まなかった。
「あの……すみません。この辺りでライオンを見ませんでしたか?」
「……」
通りがかりの女性に勇気を出して尋ねてみたが、案の定、汚らしいものを見るような目で睨まれて終わる。
イスメトの紫紺の瞳は〈砂漠の民〉特有の色だ。そういう類いの人間には、目を合わせただけで忌避される。
純血の〈太陽の民〉しかいない西の村は、特にその傾向が顕著だった。
「あのー、ちょっと聞いてもいいですか?」
「はい、なんでしょうか書記さま」
「実はこの近くでこんな事件がありまして……」
一方でトキを象る書記の証を胸に着けたエストが話しかけると、同じ女性でもこうも対応が違う。
これなら、聞き込みはすべてエストに任せたほうが早いかも知れない。手伝いを申し出た手前、情けない話だが。
【ハッ……辛気くせェ村だぜ】
我らが神もたいそうご立腹である。
そんなセトの呟きがまさか聞こえたわけではないだろうが、女性がこちらを見た。
「……どうせ〈砂漠の民〉の仕業でしょう? ほら、先日も神殿の方で騒動を起こしたって言うじゃないですか」
エストに色々尋ねられた女性は、うんざりしたように肩をすくめる。
「今回の事件についても、私より、そこの少年に聞いた方が詳しく知っているんじゃないですか?」
ああ、またこの目だ。
イスメトは言葉を返す気にもなれなかった。
「……お姉さん」
先ほどまでにこやかに話していたエストは、急に笑顔を引っ込める。
「何を知ってるわけでもないのに、ボクの友人を愚弄するのは許さないよ」
エストにしては珍しい、重く静かな声色だった。
「す、すみません……私はこれで」
冷ややかな目で射貫かれ、女性は逃げるようにその場を立ち去る。
これは完全に捜査の邪魔になっている。
イスメトは自分の都合だけでエストに同行したことを深く反省した。
「エスト……ごめん」
「え!? なんでキミが謝るの!? ボクはむかっ腹が立って仕方がないよ! なんだよあれ! 無礼にもほどがある! イスメトも何か言い返すべきだったのに!」
エストは跳ねたり地団駄したりして全身で怒りを露わにしている。
そうしてバタバタする姿が猿か何かのようで、申し訳ないがちょっと面白かった。
「あはは……ああいう人たちには何言っても無駄だって。火に油。今だって、書記のエストの言葉だったから素直に引き下がっただけだし――」
「もう!」
「い、いたい」
エストのやり場のない怒りが、拳となってイスメトの肩に叩き付けられた。
親身に怒ってくれるのはありがたいが、八つ当たりはよくないと思う。
「イスメトはチーズを分けてくれるくらい良い人なのに! あんな言い方なんてないや!」
「あ、はは……そんなにチーズ、気に入ったの?」
イスメトが苦笑していると、エストは心外だと言わんばかりに目を見開いた。
「キミは自分がしたことのスゴさを分かっていないんだ!」
「え、ええ……?」
困惑するイスメト。
対するエストは、まるで説法を聞かせる神官のように腰に手を当てて語り出す。
「いいかい? 自分たちのゴハンも足りないような状況で、いきなり現れた見ず知らずの他人に、フツーは施しなんてできないんだよ。ボクら、他の村も同じ方法で調査してたけど、怒って追い返されることがほとんどだった」
でも、とエストは指を突きつけてくる。
「キミだけが違ったんだ! ほんのちょっぴりだったけど、チーズを分けてくれた! 状況は他の人と同じだったのに。キミはそんな自分の優しさをもっと誇っていいし、不当に罵られたなら、反論しなきゃダメだ!」
「い、いやいや! そんな大したことじゃ……」
確かにお人好しの自覚はあるが、こうも真っ正面から褒められると、むずがゆい。
「本当に……大したことじゃないよ。人への優しさが裏目に出ることだって、あるんだし……」
イスメトが思い出すのは父のことだった。
父がもっと自分本位な人間だったなら、きっとあの冤罪は起きなかった。
もちろん父の行動が間違っていたとは思わない。
しかし、その後の家族の悲しみを思うと、考えてしまうのだ。
なぜ父は、自分の身よりも家族よりも、正義を重んじてしまったのかと。
シヌヘに乱暴された女性は、尊厳を傷つけられはしても恐らく殺されはしなかっただろう。けれど、それを助けた父は死んだのだ。
結果論に過ぎないのは分かっている。
それでも、簡単に納得できるものではなかった。
「あのチーズを渡したせいで、もしかしたら母さんが餓死してたかもしれない。だから、そう褒められたことでもないんだ。与えた分だけ返ってくる保証なんか、どこにもない。頭のいい人なら、絶対に……あんなことはしない」
それは自分のことを言っているのか。父のことを言っているのか。
途中から自分でも分からなくなっていた。
「もう! そういうことじゃなくて……!」
そんなイスメトの自嘲的な謙遜が、エストはますます気に食わなかったらしい。口をへの字にして怒ってきた。
「そういう見返りを求めない優しさを持ってること自体がスゴいんだよ! だからキミは、もっと自分を尊敬すべきだ! 無意味に見下してくる人の顔色なんか、伺ってちゃダメなんだよ!」
【ハッ……ソレについては同感だな。主張しない権利は無いも同然だぞ、小僧】
セトまでエスト側に回ってしまったことで、いよいよイスメトは返す言葉を見失ってしまう。これは分が悪そうだ。
「そうだ! あのチーズのお礼に今度、夕食に招待するよ!」
「ええっ!? い、いいよそんな……」
「だめ! ボクがしたいからする! 拒否は許さない!」
「え、ええぇ……」
丁重に断ろうとしたが、エストの勢いに負けて唐突に夕食の約束をさせられてしまった。
「この村の人にも自慢できるくらいの経験をさせてあげる! そうしたら、ちょっとは自信がつくでしょ? 言ってみればこれは、キミの優しさが蒔いた種なんだからね」
神殿の晩餐会にでも招かれるのだろうか。
エストの気持ちは嬉しいが、緊張でパンが喉を通らない未来しか見えなかった。
「……エストって、ちょっと変わってるよな」
「えっ!? そ、そう? 何かヘン……?」
「いやその、なんていうか……」
イスメトは初めて会ったときから感じていた印象を口にした。
「僕ら〈砂漠の民〉なのに、普通に接してくれるし……手助けしてくれるし。〈太陽の民〉とこんな風に話をしたのは、生まれて初めてだよ。まるで……普通の友達みたいな」
イスメトからしたら、エストの方がよっぽど『良い人』である。
少なくとも、自分たちを同じ人間として扱ってくれる。
「えへへ……変わってる、か。そう。そうかもね」
エストは困ったように笑った。
「うん、まあ……キミになら言ってもいいや」
そしてキョロキョロと周囲を気にしたかと思うと、口元に手をやって耳打ちしてくる。
「ここだけの話。ボクのお母様ね、実は〈砂漠の民〉なんだよ」
「え?」
「お父様は違うけどね」
エストは姿勢を戻すと、にっこりと笑った。
「だからさ、〈砂漠の民〉でもキミはもう友達だし、〈太陽の民〉でもあのお姉さんは嫌いだよ。これって、そんなにヘンなことかな?」
その顔に一瞬かかりかけた陰は、すぐにどこかへ消えてしまった。ひょっとしたらイスメトの気のせいだったのかもしれないが。
「エストも……大変なんだね」
州にもよるが、基本的に〈砂漠の民〉は国の役職には就けない。生まれたときから農奴か、もしくは奴隷として州や主人に仕える。
当然、書記にもなれない。
もちろん要人に認められれば、それなりの生活は送れるだろう。しかし、そんな選ばれし〈砂漠の民〉から生まれた混血児でさえも、やはり〈太陽の民〉から見れば『穢れた血』のはずだ。
「そ、そうだ! もう一つ、イスメトに話しておかなきゃいけないことがあった!」
エストは気を取り直すように手をパンと叩いた。
「何? チーズの話はもういいよ……?」
「ち、違うよ! この前の食料騒動の続報!」
エストは人気がない茂みの方へ移動し、声を落とす。
「あれから色々と調べてもらってるんだけど……実は、食糧不足に陥っていたのは〈砂漠の民〉の村だけだったんだ」
「え……」
「ここと、南の村は普通だった。だから、〈太陽の民〉の中には〈砂漠の民〉が贅沢を言って暴動を起こしたと勘違いしてる人もいるみたい……」
これまた酷い言いがかりである。
しかしそれなら、先ほどの女性の態度にも頷けた。
「余分に徴収された麦は、ほとんどが穀物庫に残ってた。だからすぐに分配し直すことができたんだけど……キミたちが穀物庫を襲う数日前に、まとまった量がどこかに運ばれたっていう目撃証言もあってね。引き続き調査中だよ。それで……」
エストはためらうように一度言葉を切る。
「……例の天秤ね。点検は王家から州侯に一任されていたようなんだ。そっちについても、皆に調べてもらってる」
州侯とは、国から派遣された各州の統治者のことだ。そのほとんどは王家の血縁者だと言われている。
いわゆる、貴族である。
「天秤……」
父の命を奪った偽物の神器。もし、アウシットの州侯がその使用を黙認していたならば、そいつもまた大神官やシヌヘと同罪ということになる。
復讐したい――のかどうかは、イスメト自身にもよく分からない。
ただ、実情は知りたいと思った。
「ありがとう……わざわざ教えてくれて」
「キミは当事者だもん、知る権利があるよ。また何か分かったら伝えるね」
イスメトは心底、良い友を持ったと思った。




