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奪われた心臓

 イスメトはアヌビス大神殿を訪れた。

 セトの提案――セト地下神殿の補修工事を実現させるためである。


 セトの地下神殿へは、本殿横の建物から行けたはずだ。

 状況が状況だったため記憶は曖昧だが、所々に武器が立てかけられていたのは覚えている。恐らく、あそこは神兵の宿舎か武器庫だろう。


「知っているだろう。特別な事情が無い限り、ここは一般人立ち入り禁止だ」

「で、ですよね……」


 しかし、その施設の入り口には当然ながら神兵がいて、門前払いを喰らった。

 罵声を浴びせられなかっただけ幸運である。


【オイ。なにそのまま帰ろうとしてやがる。もう少し粘れよ】

「ね、粘れって言ったって……僕は神兵でも書記でもないんだから……」


 セトの名を出したところで、そんな神は知らないと言われて終わるに決まっている。


【チッ、仕方ねェな。俺様がいっちょ暴れて――】

「そ、それだけはやめてくれ!」


 さすがは砂嵐の元凶。何かあるとすぐに暴れ出そうとする。

 イスメトは胃が痛くなってきた。

 ようやく〈砂漠の民〉の主張に理解を示す人が出てきたところだ。これ以上、神殿を壊したり、〈砂漠の民〉の印象を落としたりするべきではない。

 悪徳神官はさておき、アヌビス神や、神殿で働く人々に恨みがあるわけではないのだから。


【チッ……】


 舌打ちされても困るのだ。


「や、やっぱり、エストに頼んでみたほうが……」

【ハッ! 冗談だろ!】

「き、きっと協力してくれるって……」


 エストの話を少しでもしようものなら、この調子である。大神官との戦いでホルス神の力に救われたことが、セトにはよっぽど屈辱だったらしい。

 しかし、現状イスメトが頼れる神殿関係者と言えば彼くらいだ。


「ホルスが嫌いなのは分かるけど……エストはホルスじゃないだろ?」

【ホルスの信奉者だ】

「そんなの、〈太陽の民〉ならほとんどがそうだよ」

【ハッ! ニンゲンの分際で、その呼び名も気にくわねぇ! 何か? テメェらは上から砂漠を見下ろす存在だとでも言いてェのか! ラー気取りかってんだ!】


 仕舞いにはよく分からない言いがかりを付け始めた。

 イスメトは早々にセトの説得を諦めて、独断でエストを探すことにする。

 神殿の中庭を歩き回っていれば、運が良ければエストか、知り合いの書記に会えるだろう。


「おい、またなのか……?」

「これで二人目だ……」


 庭を一周して、本殿の近くまで戻ってきた時だった。

 急患でもあったのだろうか。診療所にせわしなく人が出入りしている。

 イスメトは興味本位で中を覗いてみた。


「こりゃ酷いな……」

「一体どうしてこんなことに……」


 診療所では医療関係者と思しき人々が、一つの寝台を囲んで話している。

 誰もが顔をしかめ、そこに横たわる男性に目を落としていた。どうも治療を施している様子ではない。


「……うっ!?」


 人々の間から男性の外傷を垣間見たイスメトは、胃がざわつく感触を覚えた。

 白い服に滲んだ赤い染みは男性の胸部まで伸びている。が、そこにあるのは傷口と呼ぶにはあまりにも空虚な、穴。

 胸の真ん中より少し左――ちょうど心臓がある辺りの肉が、その死体からはごっそりと無くなっていた。

 そう、男はすでに事切れていたのだ。


「あれ、イスメト?」


 口元を抑え後ずさるイスメトの背に、声をかけてきたのは探し人――エストだった。ちょうど診療所に入って来たところらしい。


「どうしたの? 具合が悪いの?」

「い、いや……僕は元気、だけど……」


 エストはイスメトの目線の先にある光景を確認して「あー」と納得したように呟く。


「また出ちゃったんだね……変死体」

「ま、また……!?」

「うん……昨日も見つかったんだよ。西の村のあたりで」


 エストは物怖じする様子もなく、男性の遺体に近づく。

 医療関係者は彼に道を空けるようにばらけた。


「今、神殿の皆で調査中なんだ。でも、二日連続で神官殺し……もっと人員を増やして、調査を急ぐべきかもね」

「神官……?」


 イスメトは改めて被害者を確認する。見知った顔ではないが、確かに身なりは神官だ。豹の毛皮を纏っている。それなりに身分が高い人だろう。


「心臓を取り除くなんて……よっぽど恨みがあったのかな」

「よ、よくそんなにマジマジと見られるねエスト……」

「うん? ボクに任されたおつとめだからね!」


 エストは誇らしげに胸を叩いた。


「そ、そうか……」


 ミイラは気味悪がっていたくせに、変死体は平気らしい。

 仕事に対するその熱意は、ぜひとも見習いたいものである。


「あれ? これ……」


 エストは死体が着ている毛皮を凝視し、さっとその表面を撫でた。


「この毛……豹じゃないよね。ライオン?」


 神官の衣服に付着していたのは、数本の長い毛だった。


「本当だ……」


 それは毛皮から落ちたにしては長すぎる赤茶色の毛。まるでライオンのたてがみを思わせた。

 肉食獣にやられた可能性もある、ということだろうか。


【いや、どう考えても獣の仕業じゃねェだろ……こりゃ】

「ボクもそう思う。ライオンだったらもっと色んなところを食べちゃうもんね」


 確かに、餓えた肉食獣の犯行なら死体はもっと悲惨な状態になっていなければおかしい。

 だが、実際は五体満足。

 意図的に奪われたとしか思えない心臓を除けば、いたって綺麗な状態だ。


「神官殺しか。怖いもの知らずだな……」

「しかしこの異様な死体……神の祟りでは?」

「まさか……」


 周囲の人々もますます困惑した様子でザワついている。


「とりあえず、西の村で聞き込みをしてみるしかないかなあ……」


 エストは見つけたライオンの毛を保存しておくよう近くの医者に託すと、診療所を出た。イスメトもひとまずその後に続く。

 とてもセト神殿のことを頼める状況ではなさそうだ。どうしたものか。


【神官殺しか……】

「なんだよ、心当たりでもあるのか?」

【いいやァ……?】


 セトは何かを企むように汚く笑う。


【ただ、神殿に恩を売るにゃあ、おあつらえ向きの話だと思ってな】

「あ、ああ……そういうこと……」


 セトの言わんとしていることを理解してしまった自分も自分だと、イスメトはため息をつきたくなった。


「エ、エスト。僕も……ついていっていい?」

「うん? 別にいいけど、どうしたの?」

「えっと……」


 イスメトは地下神殿の補修をしたいこと、その交渉をエストに頼みたいことを話した。


「なるほど、代わりにキミも捜査を手伝ってくれるんだね。いいよ! ボクも、色々片づいたら、あそこをどうにかしなきゃとは思ってたんだ」


 エストは快く引き受けてくれた。

 詳しく聞くと、今、セトの地下神殿は立ち入り禁止になっているらしい。


「あの神殿の扱いについて、三日前に会議があったんだけど……賛否両論が飛び交ってたね。そのあと、最初の殺人が起きちゃって……会議は一時中断してるよ」


 エストいわく、『神殿を荒らした〈砂漠の民〉の神など排除すべきだ』という声もあれば、『だからこそ丁重に扱うべきだ』という声もあり、今のところ議論は平行線なのだとか。


【ハッ! もし神像に手を出しやがったら、その時は血と肉塊で庭の池が増水することになるぞ……!】

「や、やめろって……」


 たとえが生々しすぎて笑えない。


 ――いや、たとえ話だよな? それくらい怒るぞという話であって、まさか本気じゃないよな?


 もしセトが本当にそれをするとしたら、実行犯は確実にイスメトだ。

 考えただけでも恐ろしい。


「そ、そんなことにはしないから! 大丈夫だよセトさん!」


 エストも慌てふためいていた。

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