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神と信仰

 食料騒動から10日が過ぎた頃。

 イスメトは自宅で一人、頭を抱えていた。

 事の発端は今朝のこと。


「さて、ひとまず社らしきものはできたが……」


 アッサイが眺めていたのは、村人だけで作り上げたセトの社。

 広場の中央に日干しレンガで社を建て、木製の扉を取り付けたまでは良かった。良かったのだが――


「で……神像は誰が作るんだ?」


 ケゼムの呟きが問題のすべてを語っていた。

 社は神の像を祀るためのもの。しかし、この社にはまだ中に納めるべき神像がない。

 広場に集う人々の視線はイスメトに集中した。

 そこでイスメトは自宅に戻り、とりあえず自分でセトの木彫りを作ってみることにしたのだが――


【違う。やり直せ】


 セトにダメ出しを喰らいまくり、かれこれ半日が過ぎていた。

 イスメトの部屋には木屑と失敗作の山ができている。


【形はだいぶ良くなった。が、目がダメだな。もっと凜々(りり)しく!】

「う、う~ん……」


 手先は器用な方だと自負していたが、ここまで拒否されると段々と自信がなくなってくる。


【お前、絵心ねェだろ】

「絵心か……」


 確かに自信はなかった。

 イスメトは形だけは及第点という像をいくつか作り、画力のありそうな人々に顔や装飾を描き込んでもらうことにする。

 しかし――


【……これじゃアヌビスだな】

「アヌビスだね……」


 目の位置が悪いのか、鼻の描き方がまずいのか。よく分からないが、どの像も州の守護神のそっくりさんになって返ってきた。

 皆、子供の頃から『神といえばアヌビス神』という環境で育ったのだ。無理もなかった。


【……とりあえずソレでも置いとけよ】


 しまいにはセトすら投げやりになっていた。

 結局、最初にイスメトが目を入れた像が『一番アヌビスっぽくない』という非常に消極的な理由から採用されることになる。


「本当に、こんなのでいいの? 色々とお粗末になっちゃったけど」


 イスメトは社にお手製の神像を設置した。

 社と言えば聞こえはいいが、実際は砂レンガをイスメトの背丈ほどに積み上げた小さな家に、木製の開き戸を付けただけだ。

 村人たちの努力作ではあるが、プライドの高そうなセトが逆に怒り出さないか心配だった。


【あァ……? まァ、いいんじゃねェか?】


 意外にも、セトはあっさり許容した。


【そりゃあ丈夫で立派に越したこたァねェが……ちゃんと保守点検するつもりならひとまずは問題ねェ。信仰の拠り所が存在し続けることの方が重要だ】


 セトの返答に、イスメトは肩透かしを食らったような気分だった。


「じゃあ、他に何か必要な儀式とかは……?」


 新しい社の建立ともなれば、通常は神官たちが取り仕切って伝統的な儀式や祭りを厳かに執り行う。

 一方でこのセト社は、様式など何も知らない農奴たちが見よう見まねの突貫工事をしただけに過ぎない。


【あ? 別にねェぞ?】


 が、これについても神の見解は寛大だった。


【ああいうのはな、神職どもがそうでないニンゲンを煙に巻くために作り上げるんだよ。既得権益の演出ってヤツだ】


 身も蓋もない話である。


【神に必要なのは己に対する信仰のみ。神職や儀式も無意味じゃねェが……別に、信仰の絶対条件ってワケでもねェ】


 大事なのは、その社なり儀式なり神像なりが、人々の心の拠り所となっているかどうか、ということらしい。


【信仰も食いモンと一緒だ。まずは質より量なんだよ】

「えっと……そもそもなんだけど、信仰を広めると神様には何かいいことがあるの?」

【あァ?】


 セトは何を今さらと言わんばかりに鼻で笑う。


【決まってんだろ。神力が高まって強くなる】

「シンリキ……?」

【チッ……そこから説明がいるのかよ】


 今度は呆れられた。


【いいか小僧。人々の強い願い・信仰は、神にこの世の(ことわり)をねじ曲げる力を与える。それが神力だ】


 セトがイスメトの右手を動かし、指をパチンと鳴らす。

 すると足下の砂がサラサラと巻き上がって、小さなつむじ風が生まれた。


【俺は長らく、砂嵐の元凶――荒ぶる砂漠の神として信仰されていた。戦神の力も、風や砂を操る力も、その信仰に起因している】

「人間の信仰が、神様の力の源……ってこと?」

【そういうことだ】


 となると、セトの持つ力もまた、セトを信奉する人間の数によって変動するということになる。


「あれ……? セトの信仰って今では廃れちゃったんだよね? 大丈夫なの?」

【大丈夫じゃねェから、こうしてお前に取り憑いて信仰拠点を増やそうとしてるわけだが】

「あっ、そ、そうか……」


 死の淵で交わした契約。

 それは、セトにとっても必要なものだったということか。


「でも……それならセトが自分で何とかしたほうが早いんじゃないの? あんなにすごい力を持ってるんだし」


 イスメトは疑問に思った。

 神がわざわざ自分のような人間に取り憑くメリットとは何だろう。足手まといになるだけだと思うのだが。


【ハァ? テメェは神がその辺ほっつき歩いてるトコ見たことあんのかよ】


 セトは面倒くさそうに返す。

 言われてみれば、そんな世界は少し――いや、かなり怖い。

 少なくとも今のように、人間中心の社会が形成されることはないだろう。


【いいか。この世には、神力をもってしても曲げられねェ〈普遍の真理〉ってモンがあるんだ。その最たるモンが、人の世と神の世の境界】

「神の世……?」

神界(ドゥアト)だよ】


 冥界(ドゥアト)と聞いて、イスメトは背筋に冷たいものを感じた。

 矢を受けて死にかけた時の記憶がふと蘇ったのだ。


【テメェらは死後の世界だと思ってるようだが、厳密には違う。お前らの生きる現世が物質の世界なら、神の存在する神界(ドゥアト)は魂の世界だ。人間は魂にならなきゃ神界には行けねェし、神や霊魂は現世に存在するモノを通してでしか現世に干渉できない。それが、人の世と神の世の境界だよ】


 つまり、神が現世で何かを成すためには、人の手を借りる必要があるということだ。

 イスメトはセトに力を乞う立場だが、それと同時に、セトの願いを叶える立場でもあるらしい。


「そうか……じゃあ、やっぱり僕も手伝わないといけないんだな」

【そういうこった。テメェには死ぬまで働いてもらうぜ?】


 随分と不当な労働契約を結ばされてしまったものだ。

 しかし、セトがいなければとっくの昔に死んでいた身。何も言えないイスメトだった。


「それで……この社に皆でお参りすれば、セトの力が戻るの?」

【ちったァな。全盛期にゃ程遠いが】

「全盛期……?」


 その表現に、イスメトは嫌なニュアンスを感じる。


【そうだな、この国の半分を治める主神として君臨したことは何度かある】

「く、国!? 主神!?」


 思わず声が大きくなり、近くを通りかかった村人に怪訝な顔をされてしまう。

 イスメトは咳払いでごまかした。


「それって……セトも、昔は王家の神だったってこと?」

【そう説明したつもりだが?】


 イスメトは立ちくらみでもしたかと思った。

 信仰を取り戻す手伝いをするとは言った。しかし、存外それも無理難題の類いだったのではなかろうか。

 国家神からすれば、こんな小さな村の守り神など、ワニから見たトカゲも同然だろう。


【クハハ! 考えてもみろ。信仰が失われた現世であっても、テメェを一騎当千の戦士にしてやれる程度の力が俺にはある。つまりそれだけ、かつて集めた神力のストックがデケェってことだ】


 日々鍛錬を重ねているであろう神兵たちを、赤子の手を捻るように蹴散らしたあの力。セトが無名の神ではなく、古の大神であるというのならば確かに納得できる話なのかもしれない。


「セトって……実は結構すごい神様だったんだな」

【ハッ、今さらかよ】


 どうやら、口が悪くて大きいだけの神様ではなかったらしい。


「でも、じゃあどうして……今じゃ全然知られてないんだろう」


 イスメトは社に安置したばかりのセト像を見つめる。

 そんなにも有力な神だったならば、王家の神としての現役を退いたとしても名前くらいは残っていそうなものだ。


【ハッ! んなの、決まってんだろ】


 セトの声が急に不機嫌になった。


【今の王族ども――ホルス派の連中に、ことごとく神殿をぶっ壊されたからだよ!】

「あ、ああ……そこでホルスが出てくるのか」


 ホルスは、一口に言えばナイルシア全土の守護神である。

 民衆、特に〈太陽の民〉にとっては強さと正義の象徴。その名と偉大さは、創世神ラーと並び立つほどに広く国中に知れ渡っている。


「ホルス神って、そんなに悪い神様ってイメージはないけど……大神官との戦いでも、アポピスから皆を守ってくれたし」

【その話をするんじゃねェ! 虫唾が走るんだよクズが! 言っとくが、俺なんかよりもよっぽど悪逆非道の冷血漢だからな、あいつァ!】


 エストの神術の話題が起爆剤になってしまったらしく、セトは語気を荒げて語りだす。


【裏切り、謀略、なんでもござれってな! 長い戦争に終止符を打つためと交わした平和条約を、ヤツの〈依代〉はたったの三日で破りやがった! 俺の〈依代〉を殺すだけじゃ飽き足らず、俺を呪具で300年も神界に縛り付け、その間に神殿を破壊し尽くした!】

「そ、そんなに……!?」


 イスメトは眉を寄せる。想像以上の仕打ちである。

 別にホルスを特別に信奉していたわけではない。が、それでも今まで正義だと信じていたものに裏切られるのは良い気分ではなかった。


「で、でも……それは〈依代〉がやったことなんだろ? ホルス神はそんなつもりなかったかも……」

【ハァッ!? お人好しも大概にしやがれよ小僧! 俺とお前の関係を考えてみやがれ、アイツの入れ知恵がなかったわけがねェだろ!】


 イスメトの微かな希望も、セトは否定する。


「で、でも……神様が、裏切るなんて……」

【ハッ! ヤツはかなりの気分屋だぜ? 癇癪起こして母親の首をスッぱねたなんて神話が作られるくらいにはな】

「え、ええ……!?」


 イスメトの中で、ホルス神のイメージがどんどん崩れていく。

 できればあまりお近づきになりたくない。


【当時のニンゲンにとってホルスがどんなイメージだったか、理解したか?】

「く、首は……酷いな……」


 武勇伝と呼ぶにはあまりに稚拙である。


「……ち、ちなみに、セトにはどんな神話があったの?」

【あァ? 俺様か……?】


 セトは考えるように間をあけた。


【……大したこたァねェな。確か、長男になるために母親の横腹を食い破って出てきたとか、そういうのばっかだ】

「え、ええぇ……」


 気のせいでなければ、さっきからお母さんが酷い目にしかあっていない。

 あと、どちらかというとセトの神話のほうが怖いとイスメトは思ってしまった。これ以上の詳細は、聞かないほうがよさそうである。


「お、お母さんは……大事にしようよ……」

【あァ? だから、神話は神官どもの作り話だっつってんだろ。神にニンゲンみてぇな親族関係があってたまるか、しちめんどくせぇ】

「そ、そう……ならよかった」


 本当によかった。そこに可哀想な母親はいなかった。


【だが、ホルスが俺にやったことは神話じゃねぇ。紛れもない事実だ。もちろん当時のニンゲンどもの思惑も絡んじゃいるだろうが、んなことは大した問題じゃねェ。奴は俺を騙し、裏切った。その事実だけで十分だ】


 国の安定のため、旧王朝の王とその守護神を葬った――そう考えれば、辻褄が合わないこともない。

 セトに助けられた身の上だ。イスメトは彼の言葉を信じたいと思った。

 しかし――


【俺が力を取り戻した暁には、ホルス派の連中を根絶やしにして、ホルスの信仰を地の底まで貶めてやる……!】


 この願いに賛同することだけは、やはり難しい。

 ホルス神を崇める人を全員殺す――それは、この国を滅ぼすと言っているも同然なのだから。


「ぼ、僕は……戦争には、反対だぞ」

【ハッ。いつ俺がテメェの意見を聞いた?】


 抵抗してみたものの、セトの反応は冷たかった。


【テメェは俺の信仰を広めることだけを考えていればいいんだ。調子に乗んなよ下僕が】

「う……」


 やはり簡単に説得できるような相手ではない。

 しかし、もし本当にセトがこの国を滅ぼすつもりなら、実際に行動を起こすのは肉体の方――つまり、自分だ。

 たくさんの人命が危機にさらされる心配ももちろんあるが、それ以上に、自分の意思に反して人殺しの加害者になるかもしれない恐怖の方がイスメトにとっては大きかった。


【テメェは俺の手足。元々そういう契約だ。よもや忘れちゃいねェよな? ククク……】


 人を殺す仕事だ、などという説明は断じて受けていない。マアトに誓って。

 誓ったところで誰が助けてくれるわけでもないが。


 ――こんな危ない神様、村に祀ってよかったのかな……。


 イスメトは今さらながら心配になった。

 もっとも、いくら考えたところでこちらに今さら拒否権などない。


「……それで、ご主人様。これから僕は何をすればいいんですか?」

【あァ? そうだなァ……】


 捨て鉢な気分で尋ねてみると、セトは意外にも平和的な提案をした。

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