終息
「う……っ」
気がつくと、轟音はやみ、光も闇も消えていた。
まるで悪夢から覚めたかのように。
「ど、どうなったんだ……?」
イスメトはゆっくりと体を起こす。
目の前に広がるのはいたって普通の室内。戦いによって荒れてはいるが、窓から差し込む昼の陽光によって、講堂には本来の明るさが戻っていた。
「お願いします……お願いします……!」
ふと視線を移すと、エストが先ほどと同じ姿勢のまま、首からさげた護符を握りしめてブツブツと呟き続けている。
「……エスト?」
その肩に軽く触れると、弾かれたようにエストは顔を上げた。
「イ、イスメト……?」
「だ、大丈夫?」
エストはきょとんとして周囲を見渡す。
「アポピスは……?」
【ハッ! テメェで守護結界を張っておいて、そりゃねェだろ】
セトは呆れたように呟いた。
「守護結界……? そ、そっか! 上手くいったんだ!」
「な、なに? どういうこと?」
飛び跳ねて全身で喜びを露わにするエスト。
イスメトは何が何だか分からないままだ。
「ボクの神術がうまくいったんだよ! すごい! こんなこと初めてだ!」
「シンジュツ……?」
疑問でいっぱいいっぱいになっているイスメトを見かねてか、セトが説明してくれる。
【神器や、神の加護を受けた護符なんかを使って、一時的に神の力を現世に呼び寄せる、様々な術のことだ。コイツが使ったのは、不浄な者から魂を守る光の結界……天空神の力だよ】
「そう! ホルスが力を貸してくれたんだ!」
その神名を聞いて、ようやくイスメトはセトがさっきから不機嫌そうにしている理由を知った。
『俺が最も望むこと。それは、我が憎き仇敵・ホルスの一族を――この国の王侯どもを、一人残らずブチ殺してやることだ!』
エストが日頃から信奉し、力を借りた神は、どうやらセトの仇敵にあたるらしい。
もっとも、ホルス神はこの国の守り神。誰もが知る有力な神だ。
書記として国に仕えることを志しているエストなら、むしろ崇めていない方がおかしい。
セトもそれは分かっているのか、特に触れてこなかった。
「じゃあ……あの光でアポピスをやっつけたってこと?」
【少し違うな。あの結界を破るだけの闇の力を、大神官は扱えなかったんだ。神術師として、このガキが一枚上手だったんだよ。だが、奴は無理に力を引き出そうとして――逆に、アポピスに喰われた】
イスメトは祭壇の奥で倒れている大神官の存在に気付く。
動く気配はない。恐る恐る近づくと、そこには見るも無惨な男の亡骸が転がっていた。
「っ……! ミ、ミイラになってる!?」
「うわっ! き、きもぢわるいよぅ……」
顔をしかめるイスメト。エストはミイラの顔を見るやイスメトを盾にするように後ろへ隠れた。セトが【ハッ】と笑う。
【アポピスの力を呼び出したものの、呪具なしじゃ御しきれなかったんだろう。自業自得ってヤツだ】
「ア、アポピスに魂を食べられたら、ミイラになっちゃうの……?」
身を震わせながら尋ねるエスト。
対するセトの答えは、歯切れの悪いものだった。
【いや、肉体の腐敗は別の現象のはずだ……不可思議だな】
「あ、はは……神様にそう言われちゃお手上げだな……」
イスメトは杖先で大神官の亡骸に触れてみる。力も加えていないのに、服の下でパラパラと骨が朽ちていくような感触があった。
まるで何百年も放置された白骨体である。
「み、見て! 何かいる!」
エストの指さす先を見て、イスメトはぎょっとする。
ミイラの胸元から黒い影がぬるりと這い出た。
が、例の蛇ではない。
そいつは光を浴びると白くなり、風で布が膨らむようにぷっくりとミイラの上で立ち上がって、目を開けた。
黒くてのっぺりとした、二つの大きな目玉。それが白い布を被った丸い物体に張り付いている。他には何もない。鼻も、口も。ただ、二本の足だけは生えていた。
「な、なんだコイツ!?」
「……かわいい」
「かわいい!?」
エストの感想に驚愕しつつ、イスメトは得体の知れないその物体から距離を取る。
ソイツはてくてくと少し歩いては辺りを見渡し、方向を変えてはまた同じ動作を繰り返していた。
「セ、セト……?」
イスメトはすがるようにセトの名を呼ぶ。
〈支配の杖〉を構えながらも、無害な小動物のように見えるソイツをどうしていいか分からなかった。
【ッるせェな……何でもかんでも俺様に聞くんじゃねェよ】
「か、神様なら何か知ってるだろ……? ほら、コイツも冥界に住む動物とか……」
【知るかよ! 神っつっても玉石混交だ。どうせアレだ、この地域の……なんかよく分からんショボい神だろ!】
急に解説が雑になった。どうやら本当に知らないらしい。
大神官のミイラ化についてもそうだが、神様と言えども森羅万象を知り尽くしているわけではないようだった。
「なんか、迷子みたいだね……」
歩き回る目玉の神(暫定)の後ろを、エストが追いかけ始める。
「エスト! あ、危ないから!」
「え、でも困ってるみたいだし……」
「なんかマズい神だったらどうするんだよ!」
「悪い神様には見えないよ? かわいいし」
「かわいいって……」
エストの感性は、イスメトとはどこかズレているようだった。忠告もむなしく、エストは目玉の神を抱き上げる。
神は驚いたように目玉をぱちくりさせたが、大人しくしていた。
「ほら怖くないよ。イスメト、意外とビビリだなぁ」
「あぁ……もう。いいよ、ビビリで……」
エストの笑顔に、ため息しか出なかった。
【まァ、邪悪な気配を感じないのは確かだ。放っとけよ】
セトにまで見放されてしまった。
しばらくして、気を失っていたアッサイや他の人々も目を覚まし、イスメトは事態の説明に四苦八苦することとなる。
が、大神官が長らく不正を働いていたであろうことや、口封じのために邪悪な存在を召喚し、味方まで殺そうとしていたことは誰もが認識するところだった。
お陰で、もう目立った争いは起きなかった。
「詳しい調査は、我々が引き継ぎます。エスト様は一旦、お屋敷へお戻りください」
王都から来たという例の書記たち二人と、彼らの信頼する神官たちによって、この事件は改めて調べてもらえることになった。
もちろん、各村への食料分配の件も含めて。
「うん、ありがとう! 二人がいてくれて助かったよ!」
おそらくは家柄の問題なのだろう。どう見ても先輩と思しき大人たちのほうがエストに敬語を使っていた。
実はすごく良いところのお坊ちゃんだったりするのかもしれないとイスメトは思う。確認するのは怖いのでやめておくが。
「エスト様!」
エストと一緒に旅をしていた女性が駆け寄ってきた。
「あっ、ミィテ! 終わったよー!」
「終わったよー、じゃありません!」
美人な顔が台無しになるほどの剣幕で、女性――ミィテはエストの肩を掴む。
「もしもの時は、私がお助けに行くまでその場を動かないようにとあれほど言っておいたのに! こんな蛮族どもと一緒になって、いったい何をやっておられるのですか!?」
「バ、バンゾクじゃないよぉ……」
「言訳無用!」
従者の口から延々と流れ出てくるお小言を浴びてしょげるエスト。その姿は、年相応の子供だった。




