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真実

 村人たちの暴動は、最初こそ凄まじい勢いを持っていた。

 しかし、神兵たちも馬鹿ではない。人数と武器、そして個々人の戦闘能力の差は、時間を追うごとに次第に顕著になっていく。


「くっ……!」


 アッサイは腕に刺さった矢を力ずくで引き抜いた。千切った服の裾で腕を縛り、応急処置をする。

 本殿の深部――例の裁判が行われた講堂まで侵攻したものの、弓兵たちに待ち伏せされ、戦局は防戦一方に転じていた。


「さて……ここからどれだけもたせられるか……」


 アッサイたちは講堂の机や祭具などを倒してバリケードを作っていた。しかし、祭壇の両脇にある扉から神兵は次々に現れる。

 倒れた村人も大勢いる。暴動が鎮圧されるのは、もはや時間の問題に思えた。


「いったい何の騒ぎかと思えば……薄汚い〈砂漠の民〉どもめが」


 有利になった頃合いを見計らってか、姿を見せたのは数人の神官だった。これまでずっと奥の部屋に隠れていたらしい。

 大神官とシヌヘの顔もある。


「本殿を荒らすとは、なんと命知らずな! 大神官様! こやつらに神罰を下す時です!」


 うるさく吠えるのは見覚えのあるハゲ頭。アッサイは鼻で笑った。


「神罰か……生憎と、どんな脅しをふっかけられようが、こっちはもう退くに退けないんだよ。戦おうが、逃げようが、いずれにせよ死。ならば戦う。それが〈砂漠の民〉の信条ってもんだ」

「まことに愚かな……」


 大神官は冷ややかな目を向ける。その手には祭具と思しき黒い杖が握られていた。


「よかろう。蛮族は蛮族らしく、地に這いつくばって死にさらすがいい」


 大神官は杖の先をアッサイらに向ける。

 また神の御業とやらが飛び出すのだろうか。アッサイは、いよいよ愛する妻子に別れを告げる時が来たかと覚悟を固めた。

 その時だった。


「お待ちください!」


 背後から聞き覚えのある声がした。

 エストだった。イスメトもいる。イスメトの手には布で包まれた大きな荷物が抱えられていた。

 さらにその後ろには、書記と思しき二人の男たちが控えている。彼らの手にはいくつもの巻物。敵――のようには見えなかった。


「アッサイ……! みんな……!」


 イスメトは傷だらけになった村の人々を見て顔をしかめる。そして、祭壇の前に立つ神官たちを――大神官をキッと睨みつけた。


「……大神官! これに見覚えは!?」


 イスメトは抱えていた荷から布を取り払い、それを皆に見えるよう高らかに掲げ持った。

 そこに現れたのは金の天秤。

 支点の先端に女神マアトを象った装飾が付けられた、美しき神器だった。


「神聖なる神殿の書庫へ、蛮族の侵入を許したのか? なんと愚かな……知恵の神トトも大層お嘆きだろう」

【ハッ! どの口がほざきやがる】


 大神官は顔色一つ変えず、死体にたかる蝿でも見るような目でこちらを一瞥する。

 しかしエストは毅然と大神官の前へ進み出た。


「この天秤は、書庫の地下になぜか仕舞い込まれていました。ここにいる書記たちとともに確認しましたが、間違いありません。これは〈マアトの天秤〉です。しかし、各大神殿に〈マアトの天秤〉は一つずつしか存在していないはず……」


 エストの言及に、大神官の表情が微かに動く。


「ど、どういうことだ……?」

「〈マアトの天秤〉ならそこに……」


 大神官のそばに控えている他の神官たちに至っては、明らかな動揺を見せ始めていた。その様子からして、神官側にも『真実』を知っている者とそうでない者がいるのだろう。


「こちらの天秤が本物であるならば、実際に裁判で使われていたそちらの天秤は偽物ということになる」


 畳み掛けるように口を開いたのは、イスメトらが書庫で出会った書記たち。


「そして、同様に保管されていた裁判記録の中には、不自然な抜けや改ざんの跡が見受けられるものもありました。また、現実の判決とは異なる見解を示した傍聴記録もいくつか見つかっています」


 彼らはたまたま王都からの留学でアウシットに滞在していた、エストの知り合いの書記たちだった。エストの呼びかけで、証拠集めに力を貸してくれたのだ。


「大神官さま。この天秤を使って、もう一度、裁判を要請します!」


 それまで好戦的だった神兵たちでさえも、成り行きを見守るようにエストを見、大神官を見た。

 唯一、こちらに飛びかからんばかりの形相で身を震わせているのは、神官・シヌヘだけである。


「で、でたらめだ……! その天秤こそ偽物……まがい物に違いないぞ!」

「……っ! じゃあ、この記録は何なんだよ!」


 イスメトはずっと右手に握りしめていた巻物をシヌヘめがけて投げつける。

 ポカンとするシヌヘをよそに、エストが補足した。


「それは、10年前の裁判――ここにいる彼の父親・イルニスに関する裁判の記録です。正確にはその裁判に同席した、ある書記の傍聴記録ですが」


 エストの言葉に、その場にいた東の村の人々がどよめいた。


「記録にはこうあります。『神官シヌヘに乱暴を受けていた女性を助けようとして、東の村のイルニスがシヌヘともみ合いになり、シヌヘに怪我を負わせた』と。実際に『彼に助けられた』と証言した女性もいたようです。そして、少なくともこれを書いた書記の見解としては、『神官への傷害に関しては事故とするのが妥当だ』とも。しかし、実際の判決は暴行罪および殺人罪・・・による死刑。さらには、イルニスを庇った女性が不敬罪で流刑になっています」


 それを聞いたシヌヘが目を泳がせ、数歩後ずさるのを、イスメトはけして見逃さなかった。


「それなのに、イルニスに殺害されたという神官シヌヘと、全く同じ名前の神官がボクらの目の前でこうして生きているわけです。……おかしいですよね?」


 エストのまっすぐな瞳に射貫かれ、シヌヘは口を閉ざすのみ。

 その沈黙が何よりも真実を物語っていた。


「ちなみに、どちらの天秤が本物であるかは、調べればすぐに分かることです。何の誓約も立てずに、それぞれの天秤に物を置いてみればいい。誓約がなければ、マアトは罪を判定できません。どんな物を置こうが、天秤は釣り合ったまま動かないはずです。()()()()、ね」


 静まりかえる講堂内。

 真っ先にその静けさを破ったのは、東の村の民たちだ。誰もが顔を見合わせ、ざわついていた。


「な、なんてこった……」

「全部、そこにいる神官の罪を隠すためのでっちあげだったって……?」

「じゃあ、アイツの神官殺しは……真っ赤な嘘……」


 村人の動揺は、やがて確かな敵意へと変わる。

 その憤怒と軽蔑のまなざしは、一斉にシヌヘへと向けられていた。


「ぐぬぬ……っ、そのような手記を書庫に隠した者がおったとは……!」


 神殿もどうやら一枚岩ではないらしい。少なくともエストのように、本当の正義を成したいと願う人は少なからずいたのだ。10年前にも。

 そんな名も知らぬ書記のお陰で、イスメトは父の無実を証明することができた。


「罪を、認めるんですね……?」


 エストの言葉がとどめとなったか、シヌヘはヨロヨロとその場に膝をついた。


「くそっ……くそったれめ! あの男が……〈砂漠の民〉なんぞが、この私に盾突くから悪いのだ! 私の出世は生まれたときから神に約束されたもの……それを汚れた血の分際で邪魔しようとした、あやつが悪いのだ!」

「……っ! 貴様どこまで……!」


 アッサイが立ち上がりかけた、その時だった。

 彼の傍らを一陣の風が通り抜ける。


「ひ……ッ!」


 気付いたときイスメトはシヌヘの胸を踏みつけて押し倒し、恐怖に引きつるその顔のすぐ横で、床を抉らんばかりに〈支配の杖(ウアス)〉を突き立てていた。

 無表情でありながら瞳は怒りに見開かれる――そんな少年の形相は、シヌヘを恐怖で失禁させるには十分すぎるほどに鬼気迫っていたことだろう。


「……」


 言いたいことは山ほどあったはずなのに、言葉が出てこない。あまりに強い怒りは、時として人を無口にさせる。


【ハッ、今度は自分の口でちゃんと言ってやれ。良い子ちゃんを演じることだけが親孝行じゃねェんだからな】


 セトに言われてイスメトは思い出した。

 そうだ、きっとあの時も。僕はコイツに、本当は自分からこう言ってやりたかったのかもしれない。セトはただ僕の口で、僕の気持ちを代弁したに過ぎなかったのだ。


「――ゲス野郎。今すぐ死ぬか、父に詫びてから死ぬか、好きな方選べよ」


 そう言ってイスメトが杖を振りかざしただけで、シヌヘは気を失った。


 ――そうか、今すぐ死ぬ方を選ぶんだな。


 イスメトは何の躊躇も懸念も抱かず、そのまま男の頭蓋を砕いてやろうと思った。しかし、すんでのところでその腕を掴んで止める者がいた。


「……十分だ。お前が手を下す必要はない」


 アッサイだった。


「こんな屑野郎のために、お前が神官殺しの重罪を背負うことはない。イルニスさんも、そんなことは望んじゃいないだろう」

「父……さん……?」

「ああ、そうだ」


 イスメトは静かに腕を下ろした。


「……しっかりしろ。戦いはまだ終わっちゃいない」


 糸が切れたように呆然とするイスメトの背を、アッサイが叩く。

 イスメトは言葉なく、だが力強く頷いた。

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