カレーの食べ方
私は子供の頃からカレーが好きだ。
高校時代は、弁当にカレーをごはんでサンドしたものをよく作ったもらったほどだ。弁当箱の下にごはんを敷き詰め、カレーをかけ、その上にごはんをのせて蓋にするというやつだ。保温でないため、食べる頃にはすっかり冷める妙な弁当だと今では思うが、当時は特に疑問も持たずにこれを食べていた。
混ぜて混ぜて混ぜて混ぜてとにかく混ぜまくる。
子供の頃、私はカレーを食べる時、とにかくルーとごはんを混ぜまくって湿り気の多いドライカレーみたいにして食べていた。
なぜか? 決まっている。美味しいからだ。とにかく混ぜまくったカレーをガツガツと食べておかわりし、また混ぜて混ぜて(以下略)。
混ぜなかったのは前述のカレー弁当ぐらいだ。冷めたごはんとカレーは混ぜにくい。
で、今はどうかというと……ほとんど混ぜない。
混ぜカレーが美味しくなくなったのではない。大人の階段を一段飛ばしで上っているうちに気がついてしまったのだ。
美味しさはひとつではないと。
混ぜカレーは美味しい。だが、混ぜカレーの美味しさには変化が乏しい。どこを切っても金太郎。どこを食べても同じ味。
子供の頃はそれで良かった。一番好きな味をお腹いっぱい味わえる。まさに至福。
しかし、こうも言える。美味しいけれども、ひとつの味しか味わえない。食べているうちに、美味しさの単調さに飽きてくるのだ。
では、今はどう味わうのかというと……具体例を挙げよう。
この時期、私が楽しみにしているカレーに、CoCo壱番屋のグランド・マザー・カレーがある。毎年1月下旬~2月末に期間限定で出てくる、カレースプーンが当たるくじ付きのカレーである。
じゃがいも、人参、インゲン、豚のバラ肉。インゲンがちょっと変わっているかなと言うぐらいで、特に何の変哲も無いカレーである。しかし、これが実に私好みのカレーなのだ。
これ一皿で、カレーのコースが味わえる。
出てきたら、決して混ぜてはいけない。皿のカレーをひとつの味にしてはいけない。
まずは具の無いところ、ごはんとカレーのみで一口。カレーの辛さとごはんの甘みのバランスを確かめる。
チェーン店のカレーなんだからどこでも同じだろうといわれるかも知れない。確かにカレーは同じかも知れない。しかし、食べる私の方が違う。体調や気分によって、食べたいと感じる辛さが微妙に違うのだ。
ルーとごはんのバランスを変えてその時の好みを感じ取る。
その上で、具材を交える。
食べる順番は人それぞれであるが、私はジャガイモから攻める。スプーンで半分に切る。一口で食べられない大きさではないが、それだとごはんやルーの入る余裕がなくなる。それに、ジャガイモを一口で食べると恐ろしいことが起きる。口で噛み切ると、断面の熱い部分によって口の中の皮がベロベロに剥げるのだ。恐ろしい芋の罠。ポテト・トラップ、ポテトラップである。
そんなわけで2つに切ったジャガイモ。白いごはんにに茶色よりの黄色、正にカレー色としか例えようのない中、うっすらと黄ばんだ白い芋の肌が実に美しい。
口にすると、カレーの辛さにひょっこりとジャガイモの、ごはんとは違う優しい甘みが口の中をくすぐっていく。こんな時、私はつくづくカレーに一番合う具材はジャガイモなのだと思う。
続いて人参。人参は甘さよりも清涼さが美味い。野菜の力を感じる、食べていると口の中が浄化されていくようだ。この清涼さ、子供の頃は苦手だったが、今は美味しいと感じるようになった。
続いてインゲン……これはあまり味を感じない。カレーの味が強すぎてインゲンが負けてしまっているようだ。しかし歯で噛んだ時の食感はいい。
続いてタマネギと言いたいが、正直、タマネギは評価が難しい。
きちんとした形でルーの中に残っているのが少ないのだ。最初は入っていないのかとも思ったが、タマネギを使わないカレーというのはどうも想像しにくい。グランド・マザー・カレーではある程度形は残っているが、存在も気がつかずに食べてしまう人が多いのではと思うほど存在感がない。多分ルーに溶け込んでしまっているのだろう。ちょっと残念だ。
私の母が作るカレーや、昨年秋に閉店した私の家の近くにあるパン屋のカレーパンには、タマネギのざく切りというような塊が入っていた。あの口の中でうごめく皮の感触が好きだったのだが。
しかし、有名な言葉にも「本当に大切なものは、目には見えない」とある。そう思うと、カレーにとってタマネギは本当に大切なものなのだろうと思う。
ありがとう、タマネギ。
余談だが、私の母の実家では、タマネギの代わりに長ネギが入っている。鍋物にでも使うようなざく切り状態でカレーの中にどんと居座る長ネギは、今でも私の記憶に強く残っている。
そしていよいよメインディッシュ。肉である。このカレーの肉は厚めにスライスされた豚バラ肉。食感といい、味わいといい、カレーの強さに負けない。歯ごたえと共に肉の旨みがじわっとカレーと共に広がっていく。まるで一流のサーファーのように口の中をルーに乗って滑っていく。
肉は間違いなくカレーの花形である。実際、スーパーなどでレトルトカレーコーナーを見ればいい。肉を売りにしているカレーのなんと多いことか。肉でなくてもカレーの豪華さはみんな入れる具材でアピールしている。まるで具材がカレーの価値を決まるとでも言っているようだ。
そう、このカレーはごはんにルーというシンプルな前菜に始まり、ジャガイモ、ニンジン、インゲン、そして肉と正にカレーのコース料理なのだ。その順番は己が決める。肉を最初にしてもいい。複数の塊を一気に食べてもいいし、他の具材を挟んで幾度も楽しんでいい。
上では省いたが、カレーの味に舌が馴染みすぎた時には、卓上の福神漬けで感覚をリフレッシュ、福神漬けでは強すぎると思えば水で口の中を洗い流す。
もちろん、これは他のカレーでも言える。シーフードカレーなら、上記の野菜や肉が魚介類に変わる。イカ、あさり、海老というおなじみから、店によってはホタテやタコが入っていたりする。
肉だって牛、豚、鶏、ハンバーグ、ソーセージ。
カツカレーを筆頭とするフライ系も、塊でなくても、皮だけにしたり、中の具材を取り出して食べたり……え、これは私だけ?
ある程度自分でコースの順番を作り出せる。カレーとはなんと贅沢な料理なのだろう。
これが混ぜカレーとなると、コースの組み立てがほとんど無くなる。具材の調整は出来ても、ルーとごはんの割合を調整できないため、味が均一化する。しすぎて単調になる。
それこそが、成長するにつれ人々が混ぜカレーから卒業していく理由なのではなかろうか。
と書くと、混ぜカレーを否定する。とまではいかなくても、レベルの低いガキの食い方として扱っている。かつて美味しいと感じていたのは、私が子供だったからだ。と思われるかも知れないが、そんなことはない。
混ぜカレーは、ある意味、もっとも贅沢な食べ方なのだ。
具をひとつひとつ味わう? ルーとごはんの量で辛さを調整? 気取った食い方してんじゃねえよ。男ならまとめてガーッと行け!
正にカレー一直線。これぞ男の食い方だ!
先述のような具材やルーを味わう、食べ方ばかりしていると、時々、無性にカレーをこねくり返してぐちゃぐちゃに混ぜて食べたくなる。
もしかしたら、味わう食べ方は理性の食べ方、混ぜて食べるのは本能の食べ方なのかも知れない。




