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海のテティス  作者: Suzugranpa
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第3話 アタック

 悠太が学校にいる午前中、紗彩は高校の通信教育を受ける。日当たりのよい自分の部屋でノートパソコンに向かい、講義を聞き、レポートを書く。事情を打ち明けて、夏休みのスクーリングは広島の学校を指定してもらった。そこなら祖父の孝に車で連れて行ってもらえる。それまではこの部屋が教室。


 時計が10時を回ると景子が紅茶とクッキーを持って入って来る。


「進んでる?」

「うん」


 紗彩はイヤホンを両耳から外す。


「紗彩ちゃんは運動好きだったから、体育がないの残念ねえ」

「仕方ないよ。こんなドキドキすると自分でも恐いし」

「水泳の記録まで持ってるのにねえ」

「きれいな海がすぐそこにあるのに、勿体ないと思っちゃう」


 紗彩は微笑んだ。景子は小さく溜息をつく。本当に、神様は何を考えているんだか。人魚のようにしなやかに泳いでいたこの子から水を取っちゃうなんて。治癒には早くて2年、その間に、この子の一番輝く時期が終わっちゃうじゃない。景子は神様を少し恨んだ。


 紗彩は両手でカップを包み込んで、息をふうふうかけている。


「あれ、紗彩ちゃん猫舌だっけ?」

「ちょっとね。お母さん程酷くない」

「そっか。変なとこ、似ちゃったねえ」

「うん。無理に飲んで火傷しちゃうとこも似てるって、お父さんが言ってた」

「あらあ。意地っ張りだからねえ、あの子は」


 紗彩はちょっと微笑んだ。


「あの、お婆ちゃん、悠太のお母さんって帰って来ないの?」

「うん。他人になっちゃったしね。全然判んない」

「新しい家族があるんだよね」

「さあ、それも判らないのよ」

「悠太可哀想だよね。何も言わないし」

「小さすぎてよく覚えていないみたい。小学生の頃はなんでお母さんがいないのかって随分聞いて来たけど、高学年になってからはピタッと止まったねえ」

「男の子は意外と繊細ってお父さんが言ってたけど、悠太もそうなのかな」


 紗彩は紅茶を一口飲んでクッキーをつまむ。


「あれ?ミカンの香りがする」

「そうでしょ。ミカンの皮を乾燥させて細かくしたものを生地に織り込んであるのよ」

「お婆ちゃんが作ったの?」

「ううん、近所の人。みかん畑もってる人がね。売れなかったみかんの利用法で、()はジュースになるんだけど皮は乾燥させて粉末にして取っておくんだって。それを混ぜてあるのよ」

「ふうん。乾燥してもいい香りなんだ」

「陳皮って言うそうよ。漢方薬にもなるって。だから紗彩ちゃんはもし気分悪くなったら言ってね。急激に効くことはないと思うんだけど、万一があるから」

「うん」


「悠太は彼女が出来てから、ちょっと変わったねえ」

「彼女が居るの?」

「うん。まだガールフレンドって感じで見てても可愛いのよ」

「どんな子?」

「そうねえ。どっちか言うと色黒で小柄なんだけど運動が得意で、ちょっとお茶目。でもしっかりしてるのよ。ご挨拶もちゃんとできるし、お料理とかもできるみたい」


「へえ。偉いねえ」

「漁師さんのお嬢さんだからか、気風(きっぷ)がいいのよ。柚ちゃんって言うの」

「柚ちゃん。可愛い名前ね」

「名前が似合ってるのよ」

「今度冷やかしてみようかな」

「悠太、照れるんだよねえ」


 少し開けた窓から風が入り、レースのカーテンを揺らす。悠太に彼女か。大きくなっちゃって。


 再びノートパソコンに向かい、レポートの問題を解く。しかし長くは続かなかった。海辺の記憶が蘇る。


 悠太の小さい頃を、紗彩はぼやっと覚えていた。その当時紗彩が住んでいた海辺の街、観光地としても有名だった街。そこに悠太と健在だった両親が遊びに来た。夏休みだったこともあり紗彩の両親はビーチに出掛けることにした。


 紗彩は自在に足の立たないところまで泳ぎ回っていたが、やっと浮輪につかまれるようになった悠太は波を恐がり、しばしば紗彩に掴まって泣いていた。紗彩がまだ小学校1年生の頃だ。悠太は砂浜では強気だったのが、水に入った途端にピイピイ言ってたなあ。紗彩は懐かしんだ。私が引っ張ってあげないと砂浜に戻ることもできなかった。


 悠太の父が亡くなったのはそれから間もなくのことだ。そしてそれがきっかけのように、今度は悠太の母が居なくなった。悠太をこの家に連れて来て、そのまま失踪してしまったと言う。悠太はこの家に残され、祖父母が代わって育てた。


 悠太はどんな思いで母を待ち続けたのだろう。紗彩は自室の窓から空を見つめながら考えた。毎日この庭や窓から母が帰って来ないかと外を見続けたに違いない。祖父母に何と言われても、気配がするたびに、外を見に行ったに違いない。可哀想だった。今その現場にいると、当時の悠太の様子が見える気がする。男の子だけど、きっと夜になると泣いていただろう。それでも人前では突っ張っていたんだ。


 だから、ガールフレンドがいるのはいい事だ。自分が守るべき人を見つけたのはいい事だ。私がここに来た日も、精一杯強がってた。ふふ。年下の男の子は可愛いな。自然と微笑みが漏れた。



 その頃、悠太はそのガールフレンド、河野柚こうの ゆずと一緒に港近くを歩いていた。


「悠太、今日何ぼんやりしてたの?英語の時」


 柚は授業中を思い出して言った。悠太は指名されているのに気づかず、先生が席の横に来て、イ・チ・ジョ・ウ!と怒鳴るまでぼーっとしていたのだ。悠太は紗彩の事を考えていた。柚とは正反対に見える紗彩。病気は進んでいるのか回復しているのかも判らない。だから人魚姫みたいに沈んだ表情だったのか。人魚姫も確か報われない話だったような気がするけど、映画で見たアリエルはそうじゃなかったなあ。紗彩はどっちに似てるんだ?と思案していたら横に先生が立っていたのだ。


「考えごと」

「何?」

「ウチのこと。柚は知らないこと」

「何よ勿体ぶって。お母さんが見つかったとか?」

「違うよ。人魚姫がいるんだよ今」

「人魚姫? 頭、大丈夫? この頃変だよ。小テストの追試まで受けてたじゃん。悠太らしくない」

「大丈夫だよ。追試は小テストの解答欄がずれて悲惨な点だったから。答えは合ってるのに欄が違うだけで×になるんだよ。サイテーじゃね?」


「間違えるか?ふつう」

「うっせーな」

「じゃ、人魚姫は何? あたしじゃないでしょ?」

「従姉が来てるんだよ。しばらくの間、病気の療養で」

「へえ。見掛けないよ。お婆ちゃんとはたまにスーパーで会うけど」

「外出しないもん。静養してなくちゃいけないんだよ」

「イトコって女子?」

「そ、3つ上」


 柚は訝しく思った。従姉なんだから気にしても仕方ないけど、もしや悠太、お母さんの代わりを求めてるのかな。


 静養のため出られないって、深窓の令嬢? あたしとは真逆だ。柚は道端の石ころを蹴飛ばした。石ころは真っ直ぐ飛んで電柱に括られていた看板に命中し派手な音を立てた。


「柚、もうちょっと淑やかに出来ねーのか?」

「うるさいなあ。あたしはこういう育ちなのよ」


 返しながら柚はその深窓の令嬢を意識し出した。



 帰宅後、悠太は祖母の景子に聞いた。丁度紗彩はベッドで眠っている。


「婆ちゃん、紗彩は全く外に出ちゃいけないの?」

「そんな事ないと思うよ。病院だって通ってた訳だし」

「バスとかに乗れば大丈夫?」

「どうだろうねえ。あんまり長い間は疲れるんじゃないかしらねえ」

「ふうん」


 悠太は週末にある対岸の街の『みなと祭』に紗彩を連れてゆくことを思いついた。いつも同じ景色じゃつまんないだろうし、俺がエスコートして、バスで行けばそれ程歩かなくて済む。バスターミナルまではいざとなったらおぶって行けばいい。柚は海女役として呼ばれてるから一緒に行けないし、丁度いいや。


 夕食後、悠太は紗彩にこの話を提案した。


「俺がついてるから大丈夫だよ。向こうまではバスだし、祭も椅子のあるとこ、知ってるんだ」


 祖母は心配した。


「そんな事言っても、人で一杯でしょ。座れるかどうか判らないじゃない」

「俺が確保する。それにいざという時は、釣り用の折り畳みの椅子持ってくから心配ないよ」

「バスだって混むんじゃないの?」

「始発だからさ、混んでたら次のにする。祭の日はたくさん出る筈だし」


 悠太は雄弁だった。紗彩は何だかよく解からない。黙っていた祖父の孝が口を開いた。


「ま、悠太の思う通り、やってみな。爺ちゃんも呼ばれてるから、いざとなったら駆けつけるさ。景子、その日は悠太に携帯貸してやってくれ」

「はい」

「ありがと爺ちゃん、世話かけないようにするから」

「紗彩ちゃんはそれで大丈夫なの」

「よく解からないから悠太に任せてみます。お祭りって久し振りだし」


 紗彩はまた悠太の幼い頃を思い出し、男の子っぽくなってる と思った。これは断れないよ。悠太のプライドを傷つけちゃう。でも、お婆ちゃんが言ってた悠太のガールフレンドは放っておいていいのかな。お祭りってほら、定番のデートコースだよね。手を握れるチャンスだよね。歳上の従姉のお世話しててガールフレンドは何とも思わないのかな。聞けないけど・・・。

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