第1話 療養
表が騒がしい。祖父母がいそいそと出ていく。いらっしゃいの声が聞こえる。
来たみたいだ。
「悠太ー、降りといでー」
祖母が呼んでいる。悠太はゲームの手を止めて玄関に降りて行った。大きな荷物と一緒に叔父・安城直人と叔母・安城響子が入ってくる。
「悠太、大きくなったねえ。真っ黒だねえ」
響子は悠太をじっと見る。少し照れくさい。その後ろから一人の少女が現れた。祖母・一条景子と腕を組んでいる。
「ほら、紗彩ちゃん段差気を付けて」
「有難う」
「悠太、覚えてる?紗彩ちゃんだよ」
長い髪の色白な少女は控えめに微笑んだ。
「悠太?久しぶり。忘れちゃったかな。紗彩だよ」
俺、一条悠太は訳もなく恥ずかしくなって「ども」と言うと、2階の自分の部屋へ階段を駆け上がった。
安城紗彩は俺より3歳年上の従姉だ。病気の療養の為、しばらくこの家に一緒に住むことになると昨晩祖母から聞いた。そう言えば、1階の日当たり一番の洋室を祖父・一条孝がせっせと掃除し、ベッドが運び込まれたのは知っていた。てっきり祖父の書斎にでもするのかと思ってた。
「お父さんがヨーロッパに転勤で、お母さんも一緒に行くんだって。紗彩ちゃんは病気で飛行機に乗れないから行けないんだよ。静かに暮らさなきゃいけないっていうからここに来てもらう事にしたのよ」
祖母・景子は嬉しそうだった。悠太は父が亡くなり、母が家出してからここに住んでいる。景子は家の中に女の子が欲しかったのだろう。
その日の夕食は久しぶりに賑やかだった。祖父母とも娘が孫娘を連れて来てくれたのが殊の外嬉しいようだ。病気だって言うのに大丈夫なのかな。悠太は少し気にかかったが、賑やかな笑い声に口も挟めなかった。
悠太はお寿司に手を伸ばすついでにそっと紗彩を見た。控えめに笑っている。姉貴がいたら丁度こんな感じなんだろうな。
「ごち!」
悠太は叫ぶと席を立った。景子が振り向く。
「悠太、もういいの?折角なんだから座っといでよ」
「宿題」
わざと不愛想に言い捨てると襖を開け、和室を出た。背後から叔母・響子の声が聞こえる。
「悠太、照れてるね」
「ま、そういう年頃だから」
混ぜっ返す祖父・孝の声がムカつく。歳には関係ねえよ。
翌朝、直人と響子は賑やかに帰って行った。タクシーが来てトランクに荷物を積み込む。
「おミカンたくさん。お母さん、向こうには持って行けないんだけど」
「いいじゃない。ご近所に留守中はよろしくって配っとけば?」
「そっか。そうしよう。本場の瀬戸内ミカンだよって」
それから響子は紗彩を手招きすると、何事か話し込んでいる。紗彩は目を大きく見開いたり、口に手を当てたり、頷いたり目まぐるしかった。娘を置いて行く響子も何かと不安に違いない。最後に響子は紗彩を長い間ハグすると、待っているタクシーに乗り込んだ。
紗彩は小さく手を振って、玄関脇の柱で体を支えながら、坂道を下ってゆくタクシーをずっと見つめていた。春の陽に海がきらきら光っている。紗彩は手を翳して立ち続けた。
「ちっ」
悠太は玄関の奥で小さく舌打ちすると2階に上がった。ほどなく景子の声が聞こえた。
「紗彩ちゃん、もう入ったら?お陽様当たってるって結構疲れるよ」
「はい」
ふうん。太陽でも疲れちゃうのか。どうやって学校行くんだよ。高校生だろ。籠ってる訳にはいかないだろが。