第17話 虹
翌日の帰り道、朝から降っていた雨も上がり、悠太は柚と水溜りをスキップしながら歩いていた。
「昨日さ、紗彩、ヨーロッパに出発したよ。お父さんとお母さんのいるところ」
「ふうん。素敵ねえ、地中海の傍でしょ」
「ま、2ヶ月後にはスクーリングで帰って来るんだけどね」
「2ヶ月後って夏休みね」
「うん。でもさ、紗彩、将来はきっと人間と結婚するよ」
「何言ってんのよ。当たり前じゃない」
柚は呆れて言った。
「いや、ギリシャ神話によるとそうだから」
「ギリシャ神話? 悠太、頭大丈夫?」
「あはは」
「あははじゃないよ。悠太はこれから大変なんだから覚悟できてる?」
「何の?」
「まずは高校受験。それから水泳教室」
「は? スイエイキョウシツ?」
「紗彩さんの弟なのに泳げないなんて信じらんない。あたし、紗彩さんに頼まれたの。よろしく頼むって」
弟? 柚、知ってるのか?
悠太は混乱したが、取り敢えず受け流すことにした。どっちか言うとそれどころじゃない。
「聞いてないけど」
「まずはバタ足25m。あたしが鍛えたげるからね」
「はあ?そもそも俺は弟じゃなくてイトコだし」
「あ、そうだった・・・」
柚は取り繕った。しまった・・・。紗彩さんごめん。でも上手く使えた。柚は心の中でペロッと舌を出した。
「夏休みに紗彩さんが帰ってきたら3人で競争よ」
「えーっ?」
「今度は紗彩さんに代わって貰えないんだからね」
柚はスクールバックで悠太のお尻を叩くと、
「じゃあ今日は波止場のバス停まで競争!」
と駈け出した。
『女の子は逃げるのが好き』 紗彩の言葉が悠太の頭を掠める。
「なんだよ、俺は陸上部なんだぞ、勝てるとでも思ってんのか?」
悠太は叫ぶと柚を追いかけた。
道路沿いには、鈴なりのレモンが、顔を覗かせた太陽を照り返し輝いている。柚は悠太が作ったクッキーを思い出した。紗彩が住む地中海沿いの街にもきっとレモンが鈴なりになっていることだろう。紗彩さん、レモンって酸っぱいけど甘いんだ。ちょうど今みたいに。
柚は振り向くと、近づいてくる悠太に向かって叫んだ。
「虹!」
瞬間、悠太も振り返ってペースが落ちる。その隙に柚は波止場のバス停を駈け抜けた。ずるいぞーっと叫びながら駈けてきた悠太の手を取って、柚は虹を振り返った。
「今度のゴールはあそこ。まだ何年もかかっちゃうけど」
「え?ゴール?」
柚は悠太の手を離すと、一歩虹の方に踏み出し、手を口に当てて叫んだ。
「悠太ー、大好きだよー!」
声おっきいよー、と慌てる悠太を尻目に柚はもう一度叫んだ。
「ありがとうー、おねえちゃーん!」
おねえちゃん? おい、柚・・・。婆ちゃんの言った言葉が蘇る。
『知らなくていいのよ。女の子同士の話なんだから』
そんな殺生な。俺より柚が先だったの? 姉貴ぃ、勘弁してよー。
柚は虹の彼方をじっと見ている。悠太は柚の隣に立つと、その手を繋いだ。柚の声に驚いたのか、カモメが2羽、舞い上がって虹の方へと飛んでゆく。
「何言ってんの?」
「本心」
「誰?おねえちゃん」
「いいからいいから」
柚は握った手に少し力を込めた。
「離さないでね、悠太」
柚が空を見たままそっと言う。
「あたし、ずっと悠太についてくんだから」
悠太は気がついた。紗彩が描いた3枚目の絵、このことだ。悠太は柚の手をぎゅっと握り返した。
俺たちも階段一段登ったよな。
二人は並んで空を見上げる。虹の向こうを見ている。
カモメは虹を越えて点になり、やがて見えなくなった。
【おわり】
瀬戸内が大好きです。年一回は主にサイクリングで訪れます。山肌には陽を浴びる鈴なりのシトラス、砂浜には透き通った波が打ち寄せ、目を遠くに転ずれば、青い島影に貨物船のシルエットが消えて行く。人気のない周回道路にはロードバイクのタイヤ音だけがどこまでも付いて来ます。まさに「爽快」の一言です。
目的だった「水彩画のような透明感」を実現できたのかは良く判りませんが、書き終わってやはり瀬戸内に行きたくなり、サイクリングツアーの申し込みをポチッてしまいました。紗彩が見た澄み切った海や、柚が見た輝くレモンの笑顔が今から楽しみです。それから・・・悠太にはちょびっと同情しちゃいます。
最後までお読み頂き有難うございました
☆彡追伸
競泳の池江選手の件、衝撃でした。私は競泳に詳しくなかったので、池江選手の出ている動画やリザルトなんかを参考にしてたのです。本編はストーリィー上、少し似た所もある話なので、一瞬、公開を躊躇いましたが、必ず復活するハッピーエンドと言うことでエール代わりに公開させて頂きました。
池江さん、頑張って!




