第15話 流れ星
悠太が帰ってきたら家の前に青色の軽トラックが停まっていた。ドアの所に黄色い稲妻ラインが入っている。
へえ、紗彩の友達が来てるんだ。暫く立ち止まってトラックを眺めていたら、玄関から紗彩とその友だちが出てきた。
「じゃあ、紗彩ちゃん気をつけて行ってね」
「有難うございます」
二人がハグしていたら景子も出てきた。
「薩摩さん、いろいろ有難うね、お世話掛けて」
「いえいえ全然大丈夫です。あたしも淋しくなくて済むから」
「紗彩ちゃんも心強いですよ」
話に入って行けない気がして悠太は身を隠した。間もなく青い軽トラが坂を下ってゆき静かになる。悠太はそーっと道に出て門扉を開けた。
「たっだいまー」
「あら、お帰り悠太」
景子が出てくる。紗彩の部屋のドアが開いていて、悠太は覗きながら2階へ上がる。紗彩の部屋の真ん中にはデンとキャリーケースが居座ってた。やっぱ、現実なんだ。明日は紗彩がヨーロッパに発つ日。と言っても2ヶ月後にはスクーリングで戻って来るって言ってた。
「もうすぐごはん?」
「そうよ。紗彩ちゃんの送別会だからね、一応」
「毎回やるの?」
「そ。単なる口実だから。楽しいじゃないイベントみたいで。悠太も手伝ってよ」
「あい」
まあいいけど。悠太は自分の部屋にリュックを置くと手を洗ってダイニングに入った。紗彩もエプロンをしてキッチンに向かっている。送別される本人も手伝ってるって変なの。
「俺、何する?」
紗彩が振り向いた。
「あ、悠太。お帰り。丁度いいや、ケーキを冷蔵庫に入れて」
見るとテーブルに大きめの箱が置いてある。
「さっき亜美さんが持って来てくれたの」
「ああ、車見たよ、坂降りてくの」
「そうなんだ。一緒にって誘ったんだけど、夜バイト入ってるって駄目だった」
「ふうん」
悠太はケーキの箱を冷蔵庫に押し込み、テーブルを拭いて、お箸とシルバーを並べた。紗彩がピザの入った皿を持って来る。悠太はテーブルの食器を動かして場所を空けた。
「おお、悠太その調子!」
「うっさいなあ、姉貴みたいだ」
「ふふ。レモンドレッシングと柚子胡椒も出してね」
「あいあい」
「紗彩ちゃんがいると悠太もいい子になるよねえ」
景子が皮肉る。悠太は『ったく、いつもやってるじゃん』と心でツッコミながら着々と準備を整え、やがて賑やかな夕食になった。孝も景子も時々名残惜しそうに紗彩を見つめる。2ヶ月後に帰ってくるんでしょ。悠太は心の中でまたツッコミを入れた。
全てが片付いた夜、リビングで寛ぐ紗彩に、悠太はそっと包みを持って行った。市民体育大会の日、足を延ばして買って来たものだった。
「紗彩、これ」
「ん?なに?」
「お餞別って言うのかお土産って言うのか」
「へーえ、悠太から?」
「うん」
「開けていい?」
「うん」
紗彩は紙袋を開けてガサガサ手を突っ込む。
「わお!星座盤だ。ありがとー悠太。欲しかったんだー」
「そんな高級品じゃないけど、光るから暗くても使えるって書いてた」
「へーえ。すごーい」
「ん?ヨーロッパでも使えるのかな。そこ、確認してないや」
「緯度が近ければ大丈夫じゃないの?」
「そっか」
「あっちに持ってく。あ、でも今見よう。お月様出てるけどきっと見えるよ」
紗彩は立ち上がった。行きがかり上、悠太も庭用アルミ椅子を2脚持って後を追った。テラスから裏手に回る。
「ずっと前にも一度見たよねえ」
紗彩が懐かしそうに言う。そうだ、紗彩が来て間もない頃、一緒に星を見た。悠太もよく覚えていた。紗彩は楽し気に星座盤を回し、空を見つめる。
「星座ってギリシャ神話から出来たのが多いのよ」
「へえ」
「ほら上の方に白鳥座があるでしょ、夏の大三角形のデネブが丁度白鳥のお尻の方」
「あー、何となく」
紗彩は悠太に星座版を見せながら説明する。
「白鳥って一番偉い神様のゼウスが変身した姿なんだって」
「えー、イメージが変」
「でしょ。他人の奥さんを好きになっちゃって、近づくために白鳥に変身したのよ」
「ひえー、そんなのありなの?不倫じゃん」
「そ。ゼウスって、テティスの事も好きになっちゃったのよ。気が多いっていうか浮気性って言うか」
悠太はドキッとした。ちょっと解る・・・ゼウスの気持ち。こりゃ話題変えなきゃ。
「じゃ、隣のこと座は?」
「オルフェウスって人の竪琴よ。琴が上手だったから死んでしまった奥さんを冥界から連れて帰ることを許されたんだけど、決して振り返っちゃいけないって言われてたのに最後に振り返って元の木阿弥になったの。オルフェウスは結局殺されて、竪琴は空に飛んで星座になったのよ」
「殺された?そのオルフェウスって人なの?神様じゃなく?」
「オルフェウスのお父さんは神様ね。アポロンっていう神様」
「聞いた事ある名前」
「アポロンはイケメンで太陽の神様で、アルテミスって月の女神がお姉さま」
「月がお姉さんで太陽が弟?」
「そう」
紗彩は少し間を置くと続けた。
「悠太、ちょっと座って」
紗彩も椅子に座って悠太の方を見る。落ち着いた眼差しが悠太を静かに捉えた。
「悠太、1回しか言わないからよく聞いてね。聞いたからって何も変わらないんだけど」
「急に何?怖いことじゃないよね」
紗彩は微笑む。月の光を受けた髪が輝いている。前の時もそうだった。まるで紗彩が月の女神様みたいだ。紗彩は厳かに言った。
「私がアルテミスで悠太はアポロン」
「あ?」
姉と弟?イトコじゃなくて?
「血液型が不思議じゃなかった?悠太ABでしょ。お婆ちゃん、前に言ってたよね、悠太のお母さんもAだったって」
悠太の心に重く大きい石がずしんと落ちてきた。
「私、それ聞いた瞬間、まずい!って思ったんだけど、そこでは言えなかった」
それだ・・・。悠太は思い出した。紗彩が手術から帰って来た日、婆ちゃんの話に何か引っかかるものを感じた。でもそのまま忘れてしまっていたんだ。お父さんの輸血の話。みんなA型だから出来たって。俺、ABなのに・・・。
紗彩は続けた。
「これはきっと悠太気がつくなって思ったの。本当のお母さんは誰?って。そんなの可哀想すぎる。でも、このことはここへ来るまで私も知らなかったの。ごめんね悠太」
紗彩が立ち上がり、そっと悠太の頭を抱き締めた。紗彩の仄かな香りが鼻腔をくすぐる。
なんで?なんで紗彩が謝る? 長い間押し殺していた気持ちが一気にこみ上げた。
「悠太のお母さんはもう帰って来ない。でも私が時々帰ってくるから。それに私のお母さんもきっと帰ってくる。向こうへ行ったら私、悠太のことちゃんとしようって話す」
「なんでだった?」
「事情は私も知らない。今更言えなくなったのかな」
「そうじゃない。なんで紗彩が今言うの?これを」
「だって、柚ちゃん妹にしたいから。悠太が柚ちゃんを守って、でも悠太を守る人がいないから、私が守ってあげる」
そんな、そんな情けない・・・。悠太の目に涙が滲んだ。
「違うよ悠太。今は私が悠太も柚ちゃんも守ってあげる。お姉さんだから。でも悠太が大人になったら私もそこまでできないよ」
紗彩が悠太の頭を撫でる。悠太は目をぎゅっと瞑り、唇を噛み締めて涙を止めた。
「俺が、俺が柚も紗彩も守る。大人になったらちゃんとする」
「有難う。でもその頃には私にも守ってくれる人がいたらいいな。なんてね」
紗彩は悠太の頭を離し椅子に座って微笑んでいる。月の光が姉貴を照らす。眩しくてまた悠太の目には涙が滲んだ。
悠太は誤魔化すために空を見上げた。紗彩も一緒に見上げる。姉弟で見上げる夜空。その時、つーっと星が流れた。
「あ、流れ星!」
紗彩が小さく叫ぶ。紗彩にも見えた。前は俺しか見なかった流れ星が紗彩にも見えた。その軌跡は悠太の心のグタグタを一瞬で断ち切った。前にさ・・・言いかけた瞬間、また星が流れた。
「わ、また流れ星!悠太見えた?」
「う、うん」
「最初のはちょっと控え目で二つ目のはもうちょっと明るかったね。追いかけてるみたいだった」
「ああ・・・」
「柚ちゃんと悠太みたいだ」
紗彩は悠太を見て微笑んだ。
「俺が追いかけてるの?」
「そう。女の子はね、逃げるのが好きなの。でも待ってるのよ」
はは、本当に姉貴になっちゃった。悠太は笑いながらまた涙がこみ上げた。




